新国立劇場バレエ団「ニューイヤー・バレエ」配信2021

標記公演の配信を見た(1月11日 新国立劇場オペラパレス―無観客)。当初演目は、『パキータ』、バランシン作『デュオ・コンチェルタント』、ビントレー作『ペンギン・カフェ』のトリプル・ビル。コロナ禍で指導者の来日が困難となり、バランシン作品を、国内振付家(含団員)による3つの小品に変更した(10.22)。演目・配役共に今公演が、吉田都監督の実質デビューとなるはずだったが、残念なことに直前の1月4日、関係者1名のコロナ陽性が判明し、公演中止の判断を余儀なくされる。その後、再検査で他の全員が陰性と分かり、リハーサルを再開、最終日の11日に、無観客上演を無料ライブ配信することになった。是が非でもダンサーを踊らせたいという、吉田監督の強烈な意志を感じさせる。当日配布予定だった無料リーフレット(インターネット上で期限付き公開)には、充実した作品解説が掲載され、吉田監督の公演に賭ける意気込みを伝えている。

配信には2万8千人がアクセスし、通常 劇場に足を運べない人々もバレエ団の舞台に触れることができた。記録映像も残り、ダンサーの体にも作品が刻印されたが、無観客での舞台は、ダンサーにとって心もとなかっただろう。「体がびっくり」(吉田監督冒頭挨拶)した直後のリハーサル再開ということもあり、本来の仕上がりよりはややマイルドな印象を受けた。

第1部『パキータ』の団初演は2003年、18年ぶりの再演は不思議な気もする。初演時にはマリインスキー劇場からワジーエフ芸術監督とクナコーワが来日し、伝統版を伝えた。女性ソリストのヴァリエーションは、ミンクス追加作曲『ナイアードと漁夫』、プーニ『カンダウル王』、チェレプニン『アルミードの館』、ゲルベル『トリルビィ』より、が選ばれている。(2008年ブルラーカ復活版では15曲の楽譜を揃えたという)。

主役は米沢唯、渡邊峻郁(二日目は木村優里、井澤駿―中止)、パ・ド・トロワは池田理沙子、柴山紗帆、速水渉悟、ソリストは寺田亜沙子、細田千晶、益田裕子、奥田花純、いずれも適役である。米沢は舞台を率いる気概十分、精緻な回転技が冴えわたる。渡邊はダイナミックな跳躍で見せ場を作ったが、米沢と張り合う二枚目の色気を出すには至らず。公演チラシの写真(米沢)でも明らかなように、吉田監督の理想は、最終的には、観客を抱え込む舞台人の色気を備えることだろう。観客の感情を受け止める器となるには、自分を捨てるしかない。米沢と渡邊なら実現できるような気がする。トロワの速水は、芯からバレエの伝統と繋がっている。体幹の強いシンメトリーの体から、19世紀バレエの清潔な香りが漂う。トゥール・アン・レールは両回転できるはずだが、なぜか実行せず。

第2部は国内振付家の3作品。木下嘉人作『Contact』は、昨年3月に中止となった「DANCE to the Future 2020」で初演されるはずだった(記録映像あり)。その後各地で再演を重ね、今回の上演に至る。初演時キャストは米沢と木下だが、今回は小野絢子と木下、二日目に米沢と渡邊(中止)という配役。ミニマルなオーラブル・アルナルズ『Happine Does Not Wait』が生演奏されるのは画期的だろう。小野は、昨秋の中村恩恵作品同様、クラシックの蓄積を生かし、音楽的で艶やかなコンテンポラリーダンスを見せる。新境地を拓くというよりも、持っていた才能を開花させた印象だった。コロナ禍を反映し、「触れる」、「触れないで触れる」を追究した作品だが、コンサートピースとしてはやや短く、コンセプトの展開が望まれる。

昨年逝去した深川秀夫の『ソワレ・ド・バレエ』(83年)からパ・ド・ドゥは、17年に米沢唯と奥村康祐、池田理沙子と井澤駿がバレエ団初演し、その後、池田と井澤により再演された。今回は池田と中家正博という組み合わせ。池田の甘さ可愛らしさを、中家の研ぎ澄まされたノーブルスタイルが包み込む。テンポのせいか、深川のニュアンスがやや薄れたが、星空に青紫のチュチュが生える、爽やかなグラズノフ・パ・ド・ドゥだった。

貝川鐡夫の『カンパネラ』は、リストの同名ピアノ曲に振り付けられた男性ソロ。2016年宇賀大将、貝川のWキャストで初演、19年に福岡雄大、貝川で再演された。いずれも素晴らしい出来栄えだったが、今回は福岡が山中敦史の生演奏と渡り合う(二日目は速水―中止)。福岡は貝川の日本的ニュアンスを最もよく伝える。重心の低い 地をさらうような動きに、重みがあり、フォルムの力強さにベテランの円熟味を見せる。ピンポイントの音感だが、ピアノを待つところもあり、一騎打ちというよりも、福岡の音楽を読む懐の深さが印象に残った。日本のバレエ団にふさわしいコンテンポラリー・ソロである。

ビントレーの『ペンギン・カフェ』(1988年 英国ロイヤル・バレエ)は、2010年 ビントレーが新国立劇場バレエ団芸術監督に就任した開幕公演で上演された。その後13年に再演、8年ぶりの上演である。以下は当時の公演評。

 最終演目『ペンギン・カフェ』は、民族音楽の要素を多く含むサイモン・ジェフスの曲を創作の端緒とする。振付も多彩だった。ボールルームダンスやモリスダンスなど、種々の踊りを動物たちが賑やかに踊る。終盤は一転してカフェの入口が「ノアの箱船」の入口となり、動物と人間が二人一組で入っていく。夕闇迫る中、ペンギンが遠ざかる箱船を背に一人佇んで幕となる。

動物は全て絶滅危惧種であり、このペンギン種が既に滅んでいる事実を知らなくとも、生と死についての深い洞察が作品に隠されていることは明白である。シマウマが射殺される時の崇高な痙攣、消え入るように立ち去るネズミの小さな魂。動物たちの楽しげに踊る姿は、束の間の生、種のはかなさと表裏である。原題にある Still Life の二重の意味、「人生は続く」と「静かな生(静物画)」が、振付家の詩的で繊細な演出を通して静かに伝わってくる。

ダブルキャスト全員が献身的な演技を見せるなか、シマウマ 古川和則の高密度のフォルム、ノミ 西山裕子の的確で音楽的な動き、ネズミ 福田圭吾のペーソスと役への同化が素晴らしかった。またペンギン さいとう美帆の細やかなフットワーク、ヒツジ 湯川麻美子とパートナー マイレン・トレウバエフの洒脱な踊り、モンキー 福岡雄大の華やかさ、熱帯雨林家族の貝川鐵夫、本島美和の無意識の哀しみも印象深い。

入口は入り易く、出るときは思索家となる優れた作品。恐らく子供の目と頭は深い理解を示すだろう。ポール・マーフィ指揮、東京フィル。(2010年10月27、28、30日、11月3日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2835(H23.2.21号)初出

  ビントレー初期の傑作『ペンギン・カフェ』(88年)は、サイモン・ジェフ率いるペンギン・カフェ・オーケストラの「世界音楽」を用いた被り物バレエ。ヒツジ、サル、ネズミ、ノミ等が民族音楽に乗って楽しげに踊るが、彼らは実は絶滅危惧種であり、狂言回しのペンギンは既に絶滅していることが、最後に分かる。

終幕、黒い不吉な雨を逃れ、動物と人間が対になってノアの箱船に乗り込む。しかしペンギンの前で扉は閉ざされ、あとに一人ポツンと残される。残されたことさえ分からないその無防備な立ち姿は、死そのもの、我々の行き着く先である。

さらに今回は3・11以前の前回と比べ、住むところを追われた熱帯雨林家族の哀しみが、他人事ではないリアリティを持って胸に迫ってきた。生の喜び(踊り)を味わううちに、いつの間にか死の影に捉えられる。緻密に計算された重層的な作品である。

久々復帰のさいとう美帆が嬉々としてペンギンを演じている。ウーリーモンキーの福岡雄大、オオツノヒツジの湯川麻美子、カンガルーネズミの八幡顕光、福田圭吾、ケープヤマシマウマの奥村康祐、古川和則もはまり役だった。最大の見せ場は貝川鐵夫、本島美和と子供が演じる熱帯雨林の家族。その無意識の哀しみ、無垢な魂が緩やかな動きとなって流れ出す。本当の家族に思われた。

演奏はポール・マーフィ指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。(2013年4月28、29日、5月4日 新国立劇場オペラパレス) *『音楽舞踊新聞』No.2900(H25・6・11号)初出

 今回の配役は、ペンギン:広瀬碧、オオツノヒツジ:米沢唯、カンガルーネズミ:福田圭吾、ノミ:五月女遥(二日目は奥田花純―中止)、ケープヤマシマウマ:奥村康祐、熱帯雨林の家族:本島美和、貝川鐡夫、岩井夏凛〈子役〉(二日目は小野絢子、中家正博―中止)、ウーリーモンキー:福岡雄大。久しぶりにビントレーの超ハードかつ音楽的な振付を、ダンサーたちが喜びと共に踊っている。初演時からの福田、本島、貝川、福岡(出演順)が作品を牽引、福田の変わらぬ愛らしさが印象深い。二回目の奥村は成熟した肉体美を見せて、ビントレーの本質を突いた数々の配役を思い出させた。米沢は『パキータ』でポアント、ヒツジでハイヒール、さらにシマウマ・モデルでもハイヒール、終幕は裸足、とタフ。バレエ団オリジナル作品ビントレー版『パゴダの王子』と共に、再演を期待する。

東京フィルハーモニー交響楽団を率いるのは、冨田実里。ミンクス、オーラブル・アルナルズ、グラズノフ、サイモン・ジェフスを鮮やかに振り分ける。通常録音音源で踊られるコンテンポラリーダンスを含め、全て生演奏にこだわった吉田監督の気概に、気概で応えた。『ペンギン・カフェ』のカーテンコールは、サンバと共にだったのか。