笠井叡『櫻の樹の下には―カルミナ・ブラーナを踊る―』2022

標記公演を見た(11月23日 吉祥寺シアター)。昨年2月に続き、笠井叡が5人の男性ダンサーに振り付ける一晩物である。大植真太郎、島地保武、辻本知彦、森山未來、柳本雅寛(五十音順、辻本のシンニョウは一つ点)は、全員が振付家、踊り盛りで男盛り。荒武者のような5人を束ね、それぞれの本質を炙り出す振付を施し、存在そのものを出し切るよう駆り立てられるのは、笠井をおいて他にいない。プログラム、チラシには彼らの本名はなく、笠井の付けた愛称が記載されている。すなわち、ユリアヌス大植、カリオストロ島地、ジニウス辻本、ド・モレー未來、ジャンヌ柳本。あくまで笠井ワールドで生きる仮構の肉体ということだろう。

前回は初めて会うダンサーたちに笠井が狂喜し、自ら混沌と渦巻くエネルギーを放射、ダンサーたちを死ぬほど踊らせていた記憶がある(コチラ)。今回はダンサーの性格も分かり、ダンサーたちも笠井スタイルを理解。オルフの『カルミナ・ブラーナ』に『白波五人男』をダブらせる相変わらずのアナーキーぶりだが、全体にすっきりとした感触が残った。統一された音楽構成もさることながら、場を撹乱する笠井の身体不在が要因と思われる。笠井が櫻の樹となり、その下で5人が乱舞するはずだったが、体調不良のため降板。辻本が代役を務めた。

冒頭、客電付き無音のなか、辻本がアイボリードレスを身に纏い一人佇む。大きく開いた背中には、ジニウス用に描かれた翼状濃紺刺青。背徳的ではあるが、笠井のような両性具有の妖しさはない。ドレスを身に付けることに何のためらいもなく、女性らしくすることもなく、自意識なく、笠井振付を真っ直ぐに遂行する。動きの迷いのなさ、手の美しさ、親指を回すシークエンスの魔術性。舞台奥ひな壇でしどけなく横たわり、ついヤンキー座りをするも、しっかりした品のある‟おばさん”のように、4人を慎ましく見守った。

残る4人は客席階段から登場。粋な黒スーツに赤いから傘を差し、高下駄で荒々しく降りてくる。柳本、島地、森山、大植の順に『白波』の口上を述べ、見得を切る。『カルミナ』が始まり、高下駄で踊るが難しそう。下駄でのツケ打ちあり(森山)。スーツの下は白褌に刺青、時に薄ピンクの長襦袢をはおり、清濁併せ飲む『カルミナ』の音楽世界を、ソロ、デュオ、トリオ、クインテットで描き出した。

最後は櫻ならぬ銀吹雪が降りしきるなか、辻本が宙吊りで死体となり、足下で4人が踊り狂う。傘を開くたび、長襦袢を振り放つたび、銀片が舞い上がり、逞しい裸身を彩る。美しいクライマックスに陶然させられて幕と思いきや、「もう一度やらせて下さいまし」と言いながら土下座する島地と森山、「おーろーせー」と言い続ける辻本、「まともな方はおられない」とつぶやく大植、「まだ暗くしないで」「以上です、終わります」とディレクションする柳本。笑いながら劇場を後にしたが、不意に笠井の不在に胸が締め付けられる。遺言のように笠井の痕跡のみが残され、身体がない。笠井のいない世界に慄然とさせられた。

「これからも時々ユリアヌスを名乗り、また自身の創作を続け、死に際に〈ああ、よかったな〉と思いたい」(プログラム)と語るユリアヌス大植は、アナキスト・ダンサー笠井の血を引いている。前回の坊主頭と打って変わり、柔らかく美しい長髪が踊りと共に揺れ動き、体にまとわりつく。超高音テノールの〈むかしは湖に住まっていた〉をソロ(本来は笠井とのデュオ)として与えられ、「かつて私は美しかった、私の白鳥だった頃は。あわれな私よ! 今は黒くはげしく焙られている」と踊る。〈愛神はどこもかしこも飛び廻る〉で床に横たわる姿はキリストのようだった。美しい体である。

カリオストロ島地はバリトンの〈万物を太陽は整えおさめる〉でソロ。パ・ド・ブレ、アン・オーで白鳥を踊る。美しい腕使いに、形式・ムーヴメントを追求してきた軌跡を思わせる。強面に見えるが、他の4人のハードな立ち方に比べると柔らか。4人を見る眼差し、作品の推移を見守る姿に、この場にいる喜びが滲む。振付家としての笠井に最も近く、優れた音楽性を共有する。

ジニウス辻本は、ヘリオガバルスとなったが、部分的に自身のパートも踊った。

ド・モレー未來はソプラノの〈天秤棒に心をかけて〉が与えられた。最も美しい天上の響き。未來の儚さ、虚無的な心性を掬い取っている。日舞風振付、表情の無い面差しと長襦袢がよく合った。恒例の大植肉体いじめ(島地と柳本が大植にプロレス技、裏返った大植を揺する、Y字倒立させる)の前後には、大植の腹と股をジャケットで鋭く叩く。サディズムと無垢な魂が無理なく両立した。

ジャンヌ柳本は「今夜は満月のようですか」と語りつつ「大雨だっつーの」と自答(当日は大雨)。「砂漠の話をして下さいと言われて。ゴビ砂漠は一面に満月が照らされると海面を下から見たようになる。旅人は海に深く沈んでいくような気持になるらしい(要約)」と語る。なぜ柳本のみに言葉が与えられたのか。世界を切り開く終盤の超高音ソプラノ〈とても、いとしい方〉でソロ。白褌に薄ピンクの長襦袢が、任侠の雰囲気を醸し出した。最後は照明に指示し、観客にも挨拶して公演を終わらせたが、キャプテンの位置づけだったのか。

5人が笠井の愛=振付を受け入れ、虚構の体で笠井ワールドを作り上げたのは、‟献身” と言うしかない。今年3月の笠井作品『牢獄天使城でカリオストロが見た夢』を見た翌朝は、目覚めがすっきりして、精神性の高い場に遭遇した心持だった。今回も同様にすっきりと目覚め、笠井の愛の照射を思わされた。身体は不在ながらも、笠井の霊性が作品に行き渡っていた証拠である。