山崎広太 劇場プロジェクト『机の一尺下から陰がしのび寄ること』2022

標記公演を見た(12月28日 BankART Station)。山崎広太による日本では15年ぶりのフルイヴニング公演とのことだが、昨年末には2日間にわたる13時間公演を実施している(2021年12月25, 26日 スパイラルホール)。この時は観客がダンサーを3方で囲む体育館形式。今回は劇場風にダンサーと観客が正対する。舞台奥は一面ブラック。両脇には山村俊雄の岩と波頭(に見える)を白黒で描いた屏風一対が立つ。シモテ前に大谷能生が陣取り、サックス演奏と音作りを担当した(楽曲使用:永井健太、菅谷昌弘)。上演時間は80分。

大谷の鮮烈な一吹きで開始。昨年 DaBYトライアウトで上演されたデュオ作品『幽霊、他の、あるいは、あなた』()が、西村未奈、岩渕貞太、山崎広太のトリオでペーストされる。共に上下黒い服。西村がおばあさんの話や地衣類の話を語りつつ、老婆に、地衣類になる。ぽつりぽつりと鳴る自然音のようなピアノが、西村の透明な体に波紋を呼び起こす。カミテ前の岩渕、シモテ奥の山崎は動かない踊り、または地衣類。山崎は岩渕を ‟植物質”、自らを ‟筋肉質” と評したが、岩渕肉体の軽さ、山崎肉体の重さは歴然としていた。本来は山崎と西村のデュオ作品のため、二人の動きは自然に同期する。最後は西村と岩渕が奥壁に向かい、幽霊体となった。

続いて穴山香菜、小暮香帆、鶴家一仁、宮脇有紀、山野邉明香(50音順)が四つん這いで登場。赤紐の付いた墨色のワンピース(鶴家はパンツ)に薄物を羽織り、四肢を突っ張っては、つぶれる、を繰り返す。金属音、轟音、ドリル音が響くなか、突っ立っての痙攣、へそからの歩行、気の温めから脱力、びっこでくねるなども。山崎の体を経由した舞踏のエッセンスが、5人の体で花開いた(途中から岩渕も)。2回のダイアゴナル・フォーメーションが面白い。

山崎のテキストを一人一人叫びながらスピーディに動くシークエンスでは、それぞれにふさわしい言葉が与えられる。表題となった「机の一尺下から陰がしのび寄ること」は小暮が語った。穴山は力持ちの荒武者、小暮は内なるマグマを痙攣に変えるアナキスト+人形ぶり、鶴家は妙なフェロモン放出、宮脇は端正で意識的、山野邉は無意識で儚い。山崎のダンサー観はヴィジョンとして立ち現れ、それに向けて本体を導いていくのだろう。岩渕はやや引いた印象。フェイドアウト後、下駄パートへ。

小暮が下駄履き、宮脇が裸足で登場し、ユニゾンを踊る。よたる二人。小暮は爪先立ちになり、下駄パ・ド・ブレ。「赤い鼻緒のじょじょ履いて」風の無垢な少女となって、下駄の感触を涼やかに楽しむ。山崎の「日本の哀しみ」を体現できる新たなミューズである。山崎と5人が塊となって下駄ユニゾン。鶴家の歌舞伎風見得、グラン・バットマンが高い。リズムが入り始めると、全員がうつぶせになり背後で下駄を合わせる。尻歩き、床こねくり回り、左右跳び。

下駄履きゆえ、当然盆踊りの輪を作り、左右に揺れ動く。焚火のようなオレンジライトが、一層 土人の踊り風に。「ホワインホワイン、ホワホワホワ、ホワエーホワエー」と訳の分からない声が土俗性を掻き立てる(因みに「ホワインホワイン」は某地方ではバタ屋さんの掛け声)。岩渕、西村も加わり、酔っ払ってナンバ歩き、太鼓が入ってアフリカンダンス、欽ちゃん風二次元歩き(両腕下に広げて)も。

大谷のインプロ・サックスが入ると、山崎が狂ったように微細に動き出す。客席左の壁に突進、その裏に入り、戻ってきて、全員で即興ダンス。地面から浮いた下駄の効用は、天に上る浮遊感と、下駄歯の地面への暴力的な食い込みが合わさった ‟地べたからの祝祭性” にある。即興デフォルトの山崎にしか作れない場。山崎の体が糊となって全員をまとめると同時に、瞬時にその場から逸脱し、戻ってくる。戻ってくる慎ましさに山崎の品格がある。

岩渕が裸足で床ソロを踊り始めると、全員が半円となって囲み、滞った体に。岩渕が奥へ退き、今度は西村が白いブラウス・薄ベージュのパンツで床に座る。皆は内巻きの体で西村を囲む。「ノーマクサンマンダー、ハンニャハラミタ」が微かに聞こえ、西村は聖愚者となって薄っすらとほほ笑む。浮遊音が漂うなか、西村は奥へと向かい即身仏と化した。小暮、鶴家がくねりながら揺れてフェイドアウト(西村のソロは自身の作品『Mapping a Forest While Searching for an Opposite Term of Exorcist』からペーストされた)。

米国在住の山崎と西村がどのような作品を創っているのか、その現況報告と、目前の日本人ダンサーに振り付ける進行形のパートを組み合わせた流動的作品。幽霊体、舞踏エッセンス、さらに下駄についての思索が炸裂した。山崎の体に滓のように溜まった日本人の肌感覚、子供時代の五感の記憶が、密やかにしめやかに表出する。小暮の下駄パ・ド・ブレは、島田衣子の点滴ポワントソロを思い出させた。