2023年公演総括

2023年の舞踊公演を振り返り、印象に残った振付家・ダンサーを列挙する(含2022年12月)。すでにコロナ関連の劇場規制はなく、通常の上演形態に戻った。コロナ禍の名残りとしては、バレエ公演におけるスタンディングオベーションが挙げられる。声を出せないため、拍手とスタンディングでコロナ下のダンサーを応援した習慣が、そのまま残ったと思われる。個人的には今年初めてコロナ陽性を経験した。ある演劇の終演後、俳優の方(マスクなし)と会話した二日後に喉痛があり、猛烈な倦怠感に襲われた。この公演はすでに初日、コロナで降板した俳優の代役を演出家が務め、その後次々と感染拡大し、公演中止に至っている。明確な後遺症としては、嗅覚の異常があった。

もう一つは劇場コンテンツとクリエーションの問題。コンテンポラリーダンスの一見「よく出来た」作品が、なぜか琴線に触れないことがままあった。理由としては、振付家が本当に作りたいものではなく、期待されるものを作っているからだと思われる。本当に作りたいものを作るには、自分を掘らなければならない。その深さによって、観客の胸に届くかが決まる。たとえ断片的でも未完でも。劇場コンテンツとしては流通しづらく、振付家としての場を確保することにならないかもしれない。しかしクリエーションの本質は、自分でも思ってもみないパッセージが生まれること、自分を超える場が生まれることにある。期待に応えるという創作姿勢は、終着点が見えていることを意味する。クリエーションではなく、編集作業に堕してしまうのではないか。

2019年の大竹みか氏(享年85)に続いて、今年は松崎すみ子氏(1月4日没、享年87)と、矢野美登里氏(6月7日没、享年92)を失った。お三方は、幼い批評家(私)を温かく見守り、批評を続ける後押しを下さった方たちである。松崎氏はバレエ団ピッコロを主宰し、優れた創作バレエを作り続けた。練馬クリスマス公演では、子どもたちをあるがままで肯定する松崎ワールドを展開。氏の物語喚起力、音楽的振付、多彩なムーブメントが、子どもたちのみならず大人までをも魅了した。見る者を前向きにさせるのは、氏の真っ直ぐな人間性が舞台に反映されていたからである(『不思議の国のアリス』評はコチラ)。

一方矢野氏は、日本バレエ協会関東支部埼玉ブロック運営委員長を長年にわたって務められ、ブロック公演「バレエファンタジー」の継続に尽力された。優しく厳しいお人柄が多くの人を惹きつけ、古典と創作を軸とする公演には多彩な才能が集まった。若手の育成と創作の推進を常に目指されていたため、氏の周りにはいつもクリエイティブな息吹が漂っていた。埼玉県舞踊協会主催「埼玉全国舞踊コンクール」の実行委員長としては、若手育成への情熱のこもった閉会の挨拶が思い出される。バレエ関係では珍しく、長谷川六編集『ダンスワーク』の購読者でもあった。

 

【バレエ振付家

国内振付家では、谷桃子くるみ割り人形』(谷桃子バレエ団)、石田種生『挽歌』(東京シティ・バレエ団)、石井清子『四季』より「春」(東京シティ)、松崎すみ子『不思議の国のアリス』(バレエ団ピッコロ)、今村博明・川口ゆり子+イルギス・ガリムーリン・成澤淑榮『ドン・キホーテ』(バレエシャンブルウエスト)、篠原聖一『Les Saisons』(DANCE for Life)、中島伸欣『カルメン』よりPDD(東京シティ)、鈴木稔『ドラゴンクエスト』(スターダンサーズ・バレエ団)、マシモ・アクリ『ドン・キホーテ』(日本バレエ協会)、伊藤範子『シンデレラ』(日本バレエ協会神奈川ブロック)、斎藤友佳理『眠れる森の美女』(東京バレエ団)、木村和夫『fruits of wisdom』(東京)、熊川哲也『眠れる森の美女』(K-BALLET TOKYO)、石井竜一『シルヴィア』(井上バレエ団)、福田圭吾『Resonance』(新国立劇場バレエ団)、福田紘也『echo』(新国立)、久保綋一+宝満直也・岩田雅女『海賊』(NBAバレエ団)、貝川鐵夫『ロマンス』(国立劇場)、髙橋一輝『コロンバイン』(日本バレエ協会)。

海外振付家では、ド・ヴァロア(小林紀子バレエ・シアター)、バランシン(NBA、スタダン、東京シティ)、アシュトン(新国立)、ロビンズ(東京、スタダン)、リファール(草刈民代INFINITY)、プティ(東京、新国立、草刈、バレエアステラス)、ベジャール(東京)、マクミラン(小林)、ヌレエフ(草刈)、プロコフスキー(牧阿佐美バレヱ団)、ノイマイヤー(東京)、キリアン(東京)、フォーサイス(東京シティ)、ドゥアト(新国立)、ショルツ(東京シティ)、タケット(新国立)、ドウソン(新国立)、スカーレット(アステラス)。

【モダン&コンテンポラリーダンス振付家

モダンでは、能藤玲子『限られることの』(現代舞踊協会)、芙二三枝子『土面』+折田克子『夏畑』+アキコカンダ『マーサへ』他(新国立+現代舞踊協会)、川口節子『マダム・バタフライ』(日本バレエ協会)、田中いづみ『peace by dance』(S.I.T ダンススタジオ)。フラメンコでは佐藤浩希『恋の焔炎』(アルテイソレラ)。舞踏系では、笠井叡『「フーガの技法」を踊る』(横浜赤レンガ倉庫1号館)、山崎広太『机の一尺下から陰がしのび寄ること』(ボディアーツラボラトリ―)、伊藤キム『誰もいない部屋』(フィジカルシアターカンパニーGERO)、岩渕貞太『エイリアンのミラーボール主義宣言』(岩渕貞太 身体地図)、関かおり『み とうとう またたきま いれもの』(団体せきかおり)、中村蓉『fマクベス』(ヨウ+)。バレエベースでは、中村恩恵エチュード』(草刈民代INFINITY)、金森穣『Der Wanderer』(新潟市芸術文化振興財団)+『畦道にて』(日本バレエ協会)+『かぐや姫』(東京バレエ団)、黒田育世『Ysee』(黒田育世事務所)、松崎えり『kukka』(東京シティ・バレエ団)。純コンテンポラリーでは、勅使川原三郎ランボー詩集』(カラス)、康本雅子『全自動煩悩ずいずい図』(ペーハー、康本雅子)、藤田善宏『ライトな兄弟』(MITATEYA)、下島礼紗『ビコーズカズコーズ』(ケダゴロ)、黒須育海『ごんぞうむし』(彩の国さいたま芸術劇場)、川村美紀子『じごくのあばれもの』(同)、大森瑤子『おざなりちゃん』(吉祥寺シアター)。海外振付家ではクリスタル・パイト&ジョナサン・ヤング(DaBY・神奈川県民ホール)。

【女性ダンサー】(括弧内は振付家名)

出演順に、日髙世菜のマリー姫、秋山瑛のマーシャ、野久保奈央のオーロラ姫、米沢唯のこんぺい糖の精、小野絢子の同じく、小暮香帆(山崎広太)、西村未奈(西村)、能藤玲子(能藤)、直塚美穂(ドウソン)、小野(バランシン)、アリーナ・コジョカル(ノイマイヤー)、三東瑠璃(柳本雅寛+三東)、ケイタケイ(ケイ)、石橋静河岡田利規)、上野水香ベジャール)、小野のプティ版スワニルダ、米沢の同じく、井関佐和子(金森穣)、菅井円加(ノイマイヤー)、清田カレン(フォーサイス)、北村思綺(関かおり)、秋山(アルバレス)、伝田陽美(同)、五月女遥(福田圭吾)、川村美紀子(川村)、秋山(ロビンズ)、米沢のマクベス夫人(タケット)、小野の同じく、寺田亜沙子(アシュトン)、池田理沙子(同)、塩谷綾菜(バランシン)、渡辺恭子(ロビンズ)、秋山のジゼル、野久保のメドーラ、山田佳歩のギュルナーレ、高瀬譜希子(芙二三枝子)、中村恩恵(アキコカンダ)、米澤真弓のコンスタンス、飯塚絵莉(バランシン)、志賀育恵(中島伸欣)、大久保沙耶(ショルツ)、佐合萌香(同)、島添亮子(マクミラン)、秋山(ブルノンヴィル)、佐々晴香(リファール)、ドロテ・ジルベール(プレルジョカージュ)、リュドミラ・パリエロ(プティ)、ジェシカ・ジュアンのオーロラ姫、吉田合々香(スカーレット)、野久保のドラキュラ・ミーナ、勅使河原綾乃のドラキュラ・ルーシー、塩谷のドラクエ王女、杉山桃子のドラクエ戦士、康本雅子(康本)、鈴木春香(康本)、小野(篠原聖一)、中村蓉(中村)、加藤みや子(加藤)、川口まりのキトリ、米沢唯のキトリ、小野の同じく、秋山のかぐや姫(金森)、沖香菜子の影姫(金森)、伝田の秋見(金森)、日髙のオーロラ姫、妻木律子(山田奈々子)、佐東利穂子(勅使川原三郎)、沖のオーロラ姫、秋山の同じく、金子仁美の同じく、伝田のカラボス、吉田朱里のジゼル(2幕)。

【男性ダンサー】(括弧内は振付家名)

出演順に、刑部星矢のデジレ王子、福岡雄大のくるみ割り王子、速水渉悟の同じく、中家正博のドロッセルマイヤー、山崎広太(山崎)、森本晃介(ドウソン)、柳本雅寛(柳本)、マルセロ・ゴメス(プティ)、大塚卓(キリアン)、福岡のプティ版フランツ、山本隆之の同コッペリウス、山田勇気(金森穣)、林田翔平(鈴木稔)、アレクサンドル・リアブコ(ノイマイヤー)、新井悠汰(フォーキン)、福田建太(ブベニチェク)、内海正考(関かおり)、樋口祐輝(木村和夫)、大塚(同)、山下湧吾(アルバレス)、大塚の帝(金森)、福岡のマクベス(タケット)、奥村康祐の同じく、中家のマクダフ(タケット)、速水(アシュトン)、石山蓮(同)、秋山康臣のアルブレヒト、柄本弾の同じく、新井のコンラッド、本岡直也のパシャ・ザイード、大森康正のビルバンド、スチュアート・キャシディのシャープレス、福岡のジークフリード、速水の同じく、中家のロットバルト、木下嘉人のベンノ、島地保武(折田克子)、清瀧千晴のダルタニアン、吉留諒(バランシン)、濱本泰然(中島伸欣)、キム・セジョン(ショルツ)、渡邊峻郁のジークフリード(こども劇場版)、マルク・モロー(ベジャール)、マチアス・エイマン(ポリャコフ)、吉山シャール ルイ(プティ)、木本全優(バランシン、プティ)、江部直哉(ブルノンヴィル)、刑部のドラキュラ、池田武志のドラクエ黒の勇者、笠井叡(笠井)、八幡顕光(宝満直也)、池上たっくん(中村蓉)、柳下則夫(加藤みや子)、藤島光太のバジル、伊藤龍平のグランゴワール、福岡のバジル、速水の同じく、中家の同じく、中島瑞生のエスパーダ、柄本の道児(金森)、木村和夫の翁(金森)、山本雅也のデジレ、三浦一壮(ダルクローズ+α)、ハビエル・アラ・サウコ(勅使川原三郎)、大川彪のソロル(2幕)、秋元のデジレ、宮川新大の同じく、仲村啓のアルブレヒト(2幕)、石山蓮(ドゥアト)、森本(ドゥアト)。

 

 

12月の公演感想メモ(旧Twitter)2023

新国立オペラ『こうもり』、久しぶりに見た。シュトラウスの音楽を聴いていると、R・プティの振付が思い出され、胸が締め付けられる。プティの絶妙な選曲、振付の音楽性、独創性は傑出している。『コッペリア』もいいが、傑作バレエ『こうもり』もぜひ再演して欲しい。本作バレエ・シーンは東京シティ・バレエ団(再振付:石井清子)。男性5人(吉留諒、福田建太、杉浦恭太、西澤一透、大川彪)が、ロザリンデを囲んで踊る場面は、ギャラントリーにあふれる。特に前半のトップを踊った福田は、ロザリンデのマルグエッレと全身でコミュニケーションを取り、輝かしい場面を創出。音楽の喜びにあふれていた。後半トップの吉留は美しい踊りを見せたが、少し人見知りか。新人の大川は先日の「シティ・バレエ・サロン」で美しいソロルを踊ったばかり。今回も舞踏会にふさわしく、ノーブルなパートナリングを見せる。燕尾服がよく似合っていた(カーテンコールには石井も登場した)。

オラフ・ツォンベックの書割のような装置、アールヌーボーの洒落た衣裳が素晴しい。この後、牧阿佐美版『くるみ割り人形』の美術・衣裳を担当、繊細な舞台を演出した。花のドレスの美しさは忘れ難い。 音楽面ではフロッシュが歌を歌ったこと、主役陣の伝統芸能のような芝居の巧さが印象的。アルフレードの伊藤達人は声もあり、芝居にも優れる稀少な日本人テノール。西洋人座組でも互角、声を聴くだけで嬉しくなる。(12/6 新国立劇場オペラパレス)12/7初出

 

女屋理音振付『PUPA』、シアタートラム・ネクストジェネレーション〈フィジカル〉の第1弾。鈴木春香、Aokid 出演に惹かれて見た。やはり二人のベテランは凄かった。鈴木を初めて見たのは康本雅子『全自動煩悩ずいずい図』。技量も素晴らしいが、肉体提示の潔さがずば抜けている。この人誰? 今回も的確な振付解釈と自由な運用、その場で体を出し切る肚の決まり具合に見惚れてしまった。「EU中心に5ヶ国で就労」とあるが、何度自分を脱ぎ捨てたろう、何度裸で踊ったろう、と思わせる。百戦錬磨のプロだった。

一方 Aokid は自分を捨てることなく、その場に馴染んで、いつの間にか作品に浸潤。最後はAokid の空間と化してしまう。ドラムの家坂清太郎との掛け合いは、女屋コンセプトとはあまり関係なく、フリージャズとフリーダンス。楽しかった。PPトークのハラサオリも強烈。明晰な思考と批評性。Aokid 作品で踊った娘らしいハラから、女傑へと変貌を遂げている。(12/8 シアタートラム)12/9 初出

【追記】康本作品で思い出したが、康本の包丁捌きは何なのか。西部劇のガンマンがピストルを捌くように、包丁を捌く。優雅で自然。なぜあれほどまでに習熟したのだろう、謎。以下は公演の感想メモ。

康本雅子『全自動煩悩ずいずい図』。体の快感を基底に、内外の民族舞踊を取り入れ、歌、芝居を加えたタンツテアター。ポップな和風設え、畳の上で踊る。ダンサーの質の高さ。康本の自在、包丁捌き、鈴木春香の虚構度の高い体、菊沢将憲のエロス(康本との足指交感)が素晴らしい。 100分は長いが。(8/19 KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ)8/20 初出

 

山崎広太@シンポジウム「アートがまちをかえていく」(共生社会の実現に向けた港区文化芸術ネットワーク会議)。wwfes で港区の助成を受けている山崎が登壇。他は「芸術と子どもたち」の中西麻友氏、STスポットの田中真実氏。山崎はアーティストとしての活動歴、ダンスと社会の関わり方について語った。山崎の語りはダンス。内なるイデアに向かって即興的に喋るので、聞き手はパフォーマンスを見ている気分になる。いつもダンスを見ながらメモを取るが、この時も同じ感覚で山崎の言葉をメモしていた。思考の思いもよらない跳躍、ディメンションの鮮烈な切り替え、時空を自在に飛び回る言葉達。中西氏の語りもやや山崎寄りで、思考の軽やかなステップを感じさせた。司会の戸館正史氏(港区みなと芸術センター参与)が「ここからは分かりやすいですよ」と述べた田中氏の語りは、社会化された言語で相手に情報を正しく伝えようとする。山崎時とは反対に、なぜかメモを取ることができなかった。

気になったのは、山崎の「2021年の wwfes は大失敗」という言葉に、二人が「失敗してもいいのだ」という受け方をしていたこと。山崎は主舞台のスパイラルホールとサテライトの循環がなかったことを指したと思われるが、体育館化したスパイラルは混沌そのものだった。山崎にしかできない所業である。(12/22 男女平等参画センターりーぶらホール)初出12/24

東京バレエ団『眠れる森の美女』新制作 2023

標記公演を見た(11月11, 12, 18日 東京文化会館 大ホール)。つい20日前に、同じく新制作でコンテンポラリー色の強い創作全幕『かぐや姫』を初演したばかり。10日間しかスタジオを使えなかったとのことだが、バレエ団 OG・OB、学校生を含む大所帯の古典全幕を、完璧なスタイルで仕上げている。

新演出・振付は芸術監督の斎藤友佳理。演出・制作コンセプトはニコライ・フョードロフ、舞台美術はエレーナ・キンクルスカヤ、衣裳デザインはユーリア・ベルリャーエワ、照明は喜多村貴という布陣。後三者担当のビジュアル面は、オーソドックスで調和が取れている。長めで張りのあるチュチュは優雅で古風。独特なのが緑と水色を合わせたドリアード・チュチュ。水の精との掛け合わせだろうか。繊細な照明が音楽と呼応して、観客を無意識のうちに物語世界へと誘った。

斎藤版の特徴は19世紀への眼差し。柔らかい腕使い、繊細な脚捌き、無音のポアント行使が、優美な舞踊スタイルを実現する。伝統的マイムは控えめながら、意味を考え抜いた緻密な演技を連ねて物語を運ぶ。共にプティパ・バレエの正統的解釈と言える。新振付は通常改訂よりも多いが、スタイルの統一ゆえに新奇な印象は与えなかった。新旧ヴァリエーションにおいて、古典技法の基礎がミリ単位で徹底されたことも、大きな美点となっている。

主な新振付は、まずプロローグの妖精たちのヴァリエーション。プティパ振付の変奏で難度が高い(リラの精はロプホフ振付を踏襲)。1幕村人のワルツは、女性8人が花籠、男性8人が花輪、少女8人が花綱を携え、さらに女性8人が加わって、多彩なフォーメーションを描く。ワルツ拍はあまり強調せず、優雅さを重視。2幕前半は鬼ごっこサラバンドファランドールとコンパクトに。サラバンドはデジレ王子と公爵令嬢のバロック・ダンスから、王子の憂愁のソロ、再び令嬢との踊りへと戻り、王子の心情を明らかにする。ファランドールは1人の女性と5人の男性村人が、回転技の多い闊達な踊りで王子の心を慰めた。

2幕幻影の場では、オーロラ姫の幻影とデジレ王子の触れ合わないアダージョが、通常よりも厳格に振り付けられた。二人の間にリラの精、ドリアード、リラの精のお付きが入り、要塞を築く。手の届かないオーロラに、デジレはグラン・ジュテで後を追い、恋心を募らせる。オーロラのヴァリエーションは、リラが先導し、オーロラが続いて踊る形となった。3幕宝石の精は、ダイヤモンド、サファイヤ、金、銀に、カヴァリエのプラチナ4人が加わる新趣向。ダイヤモンドのヴァリエーションは全身を四方に飛ばすハードな振付、プラチナは金の曲で跳躍の多いノーブルな踊りを披露した。

演出面では、プロローグ、1幕の間奏に、2幕の交響的間奏曲を使用したことがまず挙げられる。シモテでは、カラボスが手下と共に糸を繰り出し、巣を作る様子、さらに黒マントを手下に被せ、1幕の手筈を整える様が、紗幕越しに描かれる。少し遅れてカミテでは、カタラビュットの従僕2人が、糸紡ぎ針を持っていないか、村娘を検査。針を取り上げ、代わりに花籠を渡す。最後はカタラビュットに山盛りの糸紡ぎ針を報告、紗幕を上げて、1幕村人のワルツへと続ける。終盤のオーロラが針を刺す場面では、番兵が黒マントの影武者を槍で追いかける間に、カラボス本人がオーロラに針入り花束を渡す演出だった。両者とも仕込みが生きている。

2幕パノラマでは初演装置を復活させ、白鳥の小舟に乗ったデジレとリラが、動く森を縫うように進んでいく。歌舞伎の道行と共通する舞台芸術の醍醐味と言える。周りをお付きがヒラヒラと舞うのは斎藤のこだわりだろう(アシュトンの『夏の夜の夢』を想起)。オーロラの目覚めを、デジレのキスだけでなく、リラの力を必要としたことは、独自の解釈である。間奏曲で二人が踊り、オーロラが父母を起こす流れだった。

3幕ではディヴェルティスマンを仮面舞踏会の趣向で見せる(本来はそうだったか)。カタラビュットの従僕2人がタペストリーを担いで左右に移動すると、その裏で、宮廷男女が猫や青い鳥や赤ずきんに変身するという仕掛け。親指小僧とその兄弟と人食い鬼も登場し、幼い生徒たちの生き生きとした踊りに心和まされた。アポテオーズはリラの精が正しく奥に位置し、世界を祝福するが、装置の関係で上階の席からは見えなかった。

主役は3組。初日のオーロラ姫は沖香菜子、デジレ王子は秋元康臣。沖は光輝く姫だった。伸びやかなラインに繊細な表情が宿り、きらめきを発散する。秋元は端正な踊りに古典の風格を示した。二日目は秋山瑛と宮川新大。秋山は続けざまに新制作の主役を踊ったことになる。1幕はやや動きすぎに思われたが、2幕幻影の情感が素晴しかった。ロマンティックな王子 宮川との間に無垢な空間が広がる。ジゼルとアルブレヒトシルフィードとジェイムズに似た、ロマンティックな森が出現した。3組目は金子仁美と柄本弾。金子は落ち着いた姫。一点一画をゆるがせにしない技術に華やかなオーラがあった。柄本は血の通った ‟役の踊り” を見せる。大きく暖かい存在感で舞台を牽引した。

カラボスは男女配役。王子も踊った柄本は、腰の曲がった老婆を強烈な存在感で演じている。対する伝田陽美は、活発な勇気の精、大胆なダイヤモンドの精と踊り継いで、カラボスに至った。小刻みに動く老婆の面白さに惹き込まれる。芝居心、ユーモア、音楽的マイムの揃ったカラボスだった。二人は今夏のハンブルク・バレエ団「ニジンスキー・ガラ」で、ベジャールの『バクチⅢ』を踊っている。

リラの精は政本絵美、榊優美枝。政本は大きくゆったりと世界を統括。愛情深さもあっさりと、踊りに隙がない。榊は夢見るような優美さで、いつの間にか世界に浸透する。ヴァリエーションは吸い込まれる感触。共に技術が高い。妹の妖精たちも難度の高いヴァリエーションを、基礎に忠実に、しかも雄弁に踊っている。

青い鳥とフロリナ王女は、生方隆之介と中島映理子、池本祥真と足立真里亜。前者は華やかなスタイル、後者は技巧の高さで客席を魅了した。中島はダイヤモンドでも美しいスタイルを披露している。芸達者揃いのディヴェルティスマン陣のなかで、目を見張ったのは、後藤健太朗の長靴を履いた猫。これほど可愛らしい雄猫は見たことがない。愛される猫だった。

国王の中嶋智哉は威厳、安村圭太は華やかさで、王妃の奈良春夏、大坪優花は優しさで、カタラビュットの岡崎隼也は品格ある心得たマナーで、鳥海創は少し恥ずかしそうに、宮廷を運営した。求婚の王子たちもノーブル揃い。眠ったオーロラを担ぐのは、同じくノーブルなカヴァリエ(リラのお付き)たちだった。

指揮はトム・セリグマン、演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。初日はたっぷりとしたテンポで、一つ一つの踊りを見切ることができた。二日目以降は通常のテンポに戻ったが、重厚で華やかな音楽を響かせている。

10、11月の公演感想メモ(旧Twitter)2023

NBAバレエ団ジュニアカンパニー公演。エリザレフ版『エスメラルダ』第2幕と『パキータ』の演出・指導が素晴しい。前者のフランス風群舞とドラマ性、後者のスペイン風群舞と技巧。本公演でも見たい。岩田雅女振付『Schritte』は女性群舞のコンテ作品。師匠矢上恵子譲りのパワフルな語彙が炸裂。12月『ドン・キ』夢の場PDDも期待。団員ゲストでは、グランゴワール伊藤龍平の的確な役理解とノーブルな踊りが印象深い。(10/8 所沢市民文化センターミューズ マーキーホール)10/9初出

 

アルテイソレラ『恋の焔炎』。花道、すっぽん、セリを駆使したフラメンコ創作集。フラメンコギターは当然として、義太夫津軽三味線、和太鼓、附け打ちをフラメンコの変拍子に強引に巻き込む佐藤浩希の熱い演出・振付が素晴しい。本人もソロを踊ったが、むしろ奏者と並び、パルマと掛け声で演者を駆り立てる姿に本来がある。

8作それぞれ味わい深く、中でも鍵田真由美の玉手、松田知也の俊徳丸ははまり役。低重心の念仏群舞と共にフラメンコベースの『玉手』を作り上げた。おくだ健太郎の直前解説も間合いが絶妙で、舞台の虚構を崩さない。津軽三味線の浅野祥が朗々と自作を歌い上げれば、カンテの中里眞央が強度の高い声を肚から発信。二人の伸びやかな歌声に顔がほころんだ。ゲスト権弓美の立体的なフォルム、松田の両性具有の美しさが印象深い。(10/18 日本橋公会堂)10/22初出

 

*昨年88歳で亡くなった山田奈々子のメモリアル公演。9人の弟子と、縁の深いゲストが出演。折原美樹は山田経由の高田せい子作『母』と自作、三浦一壮は父五郎から山田に伝えられたダルクローズのリトミック『20ジェスチャー』、妻木律子は山田作『声なき声のレクイエム』(89年)を山田の弟子2人と、川村美紀子は『愛の讃歌』をヨーデル=ラップ風に歌い踊る。最後は弟子たちと山田の映像がリンクする『曼殊沙華』(98年)が捧げられた。

折原のパトス、三浦の飄々と世界と対峙する深い身体性、妻木の強烈なフォルムと音楽性、川村の比類ない声が、山田を追悼。生前の豊富な映像を作品と絡めた構成が素晴らしい。山田の愛情深さを彷彿とさせる愛情のこもったメモリアル公演だった。 山田がダルクローズの「20ジェスチャー」をNYのダンサーに教える映像が興味深い。ベートーヴェンの『月光』をバックに、20のジェスチャーが呼吸やニュアンスを取り入れて ‟踊り” へと変わっていった。(11/2 俳優座劇場)11/7初出

 

カラス アパラタス アップデイトダンス100回記念『素晴らしい日曜日』。演出・照明は勅使川原三郎、出演は勅使川原、佐東利穂子、ハビエル アラ サウコ。前回の『ワルツ』(未見)に続く布陣だが、全く違う踊りだろうと思う。ダンスの芽、ダンスになる前の動きが、雨音と共に延々と続く。3人は距離を置いて、しかし互いの気配を感じ取りながら"いごいご”と動く。それぞれの思考を味わうような公演だった。

面白かったのはハビエルの存在。いつも二人で踊っているところに、新局面が差し込まれる。特に佐東は自由に踊っている印象。最後は勅使川原と二人になるが、急に体が硬くなり、亭主関白夫の良き伴侶となった。勅使川原は気付いているだろうか。佐東の演出・振付で勅使川原が踊る可能性はあるだろうか。(11/5 カラス アパラタス)11/7初出

 

東京シティ・バレエ団「シティ・バレエ・サロンvol.12」。スタジオカンパニーダンサーを中心に振り付けられた創作集。濱本泰然振付『B possibility』、キム・ボヨン改訂振付『ラ・バヤデール』第2幕、松崎えり振付『kukka』、草間華奈振付『百花繚乱』と、古典バレエからコンテンポラリーまで並ぶ。ゲストの松崎作品は、ダンサーにとって初めてのダンススタイルだったのでは。自分の体を受け入れながら、音楽と呼吸をシンクロさせていく。鈴木百花とキム・キョンロクのパセティックなデュオが素晴しかった。鈴木の暗い情念、キムの相手と関わる人間的強さ、両腕の伸びやかさが印象深い。

濱本作品は濱本らしい美しいスタイルが徹底されている。場面や人物の関係性など分かりにくさも残るが、白組の古典美、黒組のパトス、金の女神と、イメージが明確。細やかな指示がダンサーに施されている。ここでも鈴木の艶のある存在感が印象的。ピエロの山畑将太は儚げだった。『ラ・バヤデール』のガムザッティは求心的な踊りの根岸茉矢、ソロルの大川彪は腕と上体が美しく、感情のこもったサポートを見せる。黄金の仏像、壺の踊りからアンサンブルまで、キムの古典指導が行き届いていた。最後の草間作品は華やかな衣裳で伸びやかに踊られるシンフォニックバレエだった。(11/12 豊洲シビックセンターホール)11/14初出

 

新国立劇場バレエ団「Young NBJ GALA」ドゥアト振付『ドゥエンデ』。ニジンスキー作『牧神の午後』の変奏で、現代の牧神とニンフが森で戯れる。若手中心のため歴代と比べるとやや薄味だが、その中で最も牧神を感じさせたのは石山蓮。PDD集のソロル同様、音楽的で覇気あふれる踊りを見せる。振付のあるべき形を体で理解できるのは、東バの牧神、大塚卓と同じ。もう一人は、強靭なポジションから無意識の動きを繰り出せる森本晃介。深いプリエと力感みなぎる両腕は武術を思わせる。真摯なサポートも美点の一つ。西一義の知的な牧神も印象深い。自身の思考の形が見える踊りだった。

PDD集で全幕を見たいと思わせたのは、吉田朱里と仲村啓の『ジゼル』第2幕より。長身カップルゆえのライン美も長所と言えるが、何よりも精緻な踊り、深い役理解、真っ直ぐな舞台姿勢に胸打たれた。1幕を踊るとどうなるのか、様々に想像させる。(11/25, 26 新国立劇場中劇場)11/27初出

 

新国立劇場バレエ団『ドン・キホーテ』2023

標記公演を見た(10月20, 21昼, 22夜, 27昼, 28日昼夜 新国立劇場オペラパレス)。3年振り10回目の上演である。今回は改訂振付の元ボリショイ劇場バレエ芸術監督 アレクセイ・ファジェーチェフが来日し、直接指導を行なった。最大の変化は脇役陣の演技。一分の隙もなく、同時多発芝居を遂行する。ガマーシュとロレンツォがこれほど密に絡んでいたとは。アンサンブルの動きも生き生きとリアルだった。

4年目に入った吉田都芸術監督(再任決定)は、この3年間ダンサーの世代交代を進めながら、キャスティングの組み合わせを様々に試みてきた。今回の主役5組は吉田監督の試行の結果と言える。さらにバレエ団の中堅や、自身がオーディションしたダンサーも適材適所で登用し、バレエ団の新たな陣容が明らかになりつつある。今季は経済上の理由で新制作はないが、選ばれたダンサーたちが旧作をどのように料理するか、期待が高まる。

主役のキトリとバジルは、米沢唯と速水渉悟、小野絢子と中家正博、池田理沙子と福岡雄大、柴山紗帆と井澤駿、木村優里と渡邊峻郁。米沢は1幕を即興的、2幕は完成度の高い古典様式、3幕は扇開閉グラン・フェッテなど技巧の粋を尽くす。速水と初めて組んだ前回よりも、意識的な役作りに思われた。対する速水は磨き抜かれた美しい踊りを披露、引き締まった舞台を見せる。高い跳躍は持ち味として、ピルエットの質の高さ、減速の柔らかさは比類がない。

小野は振付を音楽的にきっちり遂行する。小野の最大の美点である。おきゃんな娘役は手の内に入り、チュチュ姿には貫禄が滲み出た。正統派ダンスール・ノーブルの中家は、安定感のある万全のサポートで小野を自由に踊らせる。美しい踊りもこれ見よがしがない。ワガノワ流の美学だろうか。

福岡は隅々まで自分で考え抜いた演技と踊りを見せる。一つの一つの所作について、詳しく説明ができるだろう。パートナー池田との呼吸もよく練られ、極めて密度の高い舞台を作り上げた。最もドラマを感じさせた組み合わせである。その池田はまっすぐ福岡に寄り添う。ひたむきで爽やかなキトリだった。

柴山はすっきりと晴れやかなキトリ、井澤は大らかなバジルで、のどかな日常風景を描く。3幕はもう少し儀式性が望まれるが、二人の相性の良さは伝わってきた。終盤、井澤の一瞬の迷いは残念。木村はダイナミックで強いキトリ、渡邊は優男で尽くすバジル。長年のパートナーで呼吸は合っているが、相互的なコミュニケーションとは必ずしも言えない。二人の心からの丁々発止を期待したい。

ドン・キホーテの趙載範は茫洋とした大きさが特徴。初役の中島駿野は狂気ゆえの機敏な動きで、熱血の老人を描き出した。ドゥルシネアへの愛がよく伝わってくる。供をするサンチョ・パンサは3人。ベテランだが最も動きの激しい福田圭吾は、毛布投げの回転技に命をかける。角笛が取れないアクシデント(28日昼)も、空中で角笛を吹いて挽回した。初役の小野寺雄は素直で優しいサンチョ、同じく宇賀大将は可愛らしいサンチョだった。

ロレンツォは中島(駿)がピンポイントの演技を見せる。周囲とのコミュニケーションをよく心得て、1幕芝居の要となった。初役の清水裕三郎は男らしさを強調。キホーテの鎧や盾も重くなさそう。洗練と豪快が綯い交ぜになったベテラン演技だった。ガマーシュは奇しくも関西勢。奥村康祐は5回見たが、同じテンション、同じ痙攣動きを維持、純粋で真っ直ぐなガマーシュを演じた。ペトルーシュカ同様、憑依系アプローチだったのかもしれない。小柴富久修はもちろん動きの端々におかしみがある。当日のメヌエットは中家バジル、中島ドン・キホーテ、小柴ガマーシュで、ノーブルな脚捌きの勢揃いとなった。

キトリ友人はベテラン飯野萌子、五月女遥の踊りの巧さ、芝居心が圧倒的。成熟の極みにある。一方、新人の山本涼杏が古典の香気と、行き届いた演技で、初役であることを忘れさせた。ドーソン作品でも急遽代役にもかかわらず、度胸のある冒頭ソロを踊っている。3幕ヴァリエーションでもクラシカルで音楽的な踊りを披露し、今後に期待を抱かせた。

エスパーダは3人。ベテラン木下嘉人が熟練のマント捌きにマスタークラスのような体遣いを見せる。粋だった。別日バジルの井澤は、1幕の躍動感あふれる荒事風の踊りが圧巻。初役の中島瑞生は、山本隆之以来のフェロモン噴出。2幕ソロも大きさ、美しさがあり、ボレロファンダンゴ共々、スパニッシュ・ラインが鮮やかだった。3人の女性を惹き付けるが、特にカスタネットの原田舞子とは、濃厚な愛のドラマを立ち上げた。ボレロでは中島に加え、大きさのある渡邊拓朗、美しく切れの良い仲村啓の長身3人組が花開き、吉田監督の起用が実を結んでいる。

街の踊り子も3人。奥田花純はダイナミックな姉御肌。越し方を思わせる滋味も滲み出て感慨深い舞台となった。直塚美穂は明るいオーラで皆を取りまとめる町の人気者。中島エスパーダとは同志のような関係。柴山は美しい体捌きに強度のある踊りで、お手本のような踊り子。井澤エスパーダとは阿吽の呼吸だった。メルセデスの渡辺与布は人の好さ、益田裕子はきりっとした踊り、カスタネットの朝枝尚子は情念の深さ、原田は繊細な美しいラインで、それぞれエスパーダにアピールしている。

森の女王は3人とも初役。吉田朱里は涼やかで超越的、中島春菜はおっとりとした妖精、内田美聡は華やかな女王。今後の配役が楽しみである。キューピッドはベテラン五月女がマスタークラスのような踊り。五月女が教師なら、広瀬碧はチビ・キューピッドの面倒を見る幼稚園の先生、初役の廣川みくりはなぜか濃厚な役作りだった。

公爵夫人とロマの女王を交互に演じた楠元郁子と丸尾孝子が、舞台を外側から見守り有機的に結びつける ‟糊” の役割を果たしている。ベテランにしかできない技である。ロマの王には小柴と森本晃介。ぎりぎりになってブーツを履き、紐を結ばなければならない。のっそりとした存在感が秀逸だった。楠元と丸尾は世話女房風。

今回からトレアドールのナイフは柄立て(少し残念)。キトリのダイアゴナルでマントを振るトレアドールの一番奥では、同じようにガマーシュがギターを鳴らし、ロレンツォがテーブルクロスを振っている。メヌエット時にはカミテでロレンツォと女房も踊る。隅々まで楽しい細やかな演出だった。

指揮はマシュー・ロウと冨田実里、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団。ロウは舞台との交感よりも音楽を追求するタイプか。オーケストラを高度にコントロールし、極めて質の高いミンクス他を聞かせている。冨田は従来のバクラン寄り。拍の強いメリハリのある音作りで舞台を大いに盛り上げた。

 

 

 

K-BALLET TOKYO『眠れる森の美女』新制作 2023

標記公演を見た(10月25日 東京文化会館 大ホール)。演出・振付・台本・音楽構成は芸術監督の熊川哲也(原振付:マリウス・プティパ)、舞台美術デザインはダニエル・オストリング、衣裳デザインはアンゲリーナ・アトラギッチ、照明デザインは足立恒という布陣。2劇場を跨いで12公演の長丁場である。バレエ団にとっては2回目の『眠り』。前回(2002年)は熊川が所属した英国ロイヤル・バレエの美学を受け継ぐ演出だったが、今回は熊川らしさが爆発した改訂版となった。

プロローグと第1幕を合わせて第1幕とし、第2幕と第3幕を続けて上演する2幕構成。大きな改変は、デジレ王子をカラボスの手先にしたこと。ダークな王子像、ゴスロリ風の赤ずきんは、現代的な美意識に沿っている。デジレは森で狼に襲われるオーロラを救け、出会いのパ・ド・ドゥを踊るが、カラボスの手先となっていた赤ずきんに誘導され、王笏に封印されていたカラボスを解放してしまう。カラボスに籠絡された王子は、赤ずきんから黒バラを1輪渡される。オーロラ姫の誕生日に招かれたデジレは、ローズ・アダージョで一人黒衣をまとい、オーロラに黒バラを嗅がせて気を失わせる。

ローズ・アダージョや、幻影の場のアダージョ、宝石のトロワ(男性ソロを除く)、グラン・パ・ド・ドゥはプティパ振付を採用、マイムを多く残し、古典の香気を保つ。一方、リラのヴァリエーション、王子のヴァリエーションは難度を高めて、熊川振付の醍醐味を示した。また3幕ディヴェルティスマンを二つに分け、青い鳥とフロリナ王女、猫は1幕の森の場に、宝石、改心した赤ずきんと狼は3幕で踊るのも新演出。1幕農民のワルツは森の場の花のワルツに変換させ、見慣れぬカエルも登場する。アポテオーズでは、花とカエルがデジレとオーロラに長いチュールを付けて、ファンタジー色を強めた。

古典版を知る観客は驚きの連続だったと思うが、知らない観客は物語にグッと引き込まれたのではないか。ダーク・ファンタジーと、プティパおよび熊川の強度の高い振付が合わさって、芸術性の高いエンタテインメントに仕上がっている。初登場アトラギッチの衣裳は美しく、特にオーロラのチュチュには目を奪われた。白雪姫風のガラスの棺は、熊川のアイデアだろうか。オーロラが横たわり、ガラスの蓋で覆われると、冷気のようなスモークが充満する。熊川の縦横無尽な想像力が、隅々にまで反映されていた。

オーロラ姫には日髙世菜。しっとりとした気品、演技の要所を外さない落ち着き、踊りをピンポイントで決める気迫と責任感の揃ったプリマである。熊川の疾風怒濤の演出にも動じず、古典の格調を保った。一方デジレの山本雅也は、ダークな王子像がよく似合う。ローズ・アダージョでのニヒルな表情は山本ならでは。その後改悛し、リラの精に慰められ、示された道を進む素直さも。彼のために作られたような新しいデジレだった。

カラボスの小林美奈は力強くダイナミック、リラの精の成田紗弥は、柔らかく強靭な踊りで世界を悪から守っている。フロレスタン王グレゴワール・ランシエの芝居の巧さ、王妃 山田蘭の淑やかさ、執事ビャンバ・バットボルトの行き届いた演技が、開かれた王室を印象付ける。岩井優花のしっかりしたフロリナ王女、吉田周平の献身的な青い鳥、佐伯美帆の正統派宝石、栗原柊の爽やかな猫、杉野慧のダイナミックな狼、そして山田夏生の色っぽい赤ずきんなど、ソリスト陣のレベルは高かった。アンサンブルも音楽性、様式性ともに優れている。

指揮は音楽監督の井田勝大、管弦楽はシアター オーケストラ トウキョウ。チャイコフスキーの他曲を含む音楽構成に、生き生きとした息吹を吹き込んだ。特にコンサートマスターの浜野考史が、オーロラとデジレの出会いのアダージョ、間奏曲で、美しいメロディを舞台と客席に届けている。

東京バレエ団『かぐや姫』新制作

標記公演を見た(10月22日 東京文化会館 大ホール)。本作は第1幕を2021年秋、第2幕を2023年春に発表、今回初めて全3幕が通しで上演された。演出・振付は Noism Company Niigata 芸術監督の金森穣、音楽はドビュッシーの音楽を選曲、衣裳デザインに廣川玉枝、木工に近藤正樹、映像に遠藤龍、照明は伊藤雅一、金森穣、演出助手に NCN 国際活動部門芸術監督の井関佐和子、衣裳製作は武田園子という布陣。初演では写実的だった1幕の美術・衣裳を変更、音源も改訂され、視覚、聴覚面の統一が果たされている。

台本は金森自身。翁がかぐや姫を竹の中から見つけ、大事に育て上げるのは原作と同じ(媼はなし)。かぐや姫の初恋の人(道児)、帝の正室(影姫)を新たに設定し、4人の公達を大臣とした。最大の変更は、かぐや姫が人間的な感情を豊かに表現する点。好奇心旺盛で活発な娘が、宮廷での愛憎関係に巻き込まれ苦悩の日々を過ごす。最後は初恋の人に裏切られた上、帝と村人たちの戦(少しアンバランス)に遭遇、いたたまれず大きな叫び声を上げると、天からの迎えがやってくる。かぐや姫は初恋の人とその妻子、帝と影姫を祝福し、月へと帰っていく。異界から来た女性が、周囲の人々に影響を与える物語の原型に加え、その女性自身が成長していく過程も描かれている。

近藤のシンプルだが暖かみのある美術、廣川の豪華なオールタイツとスタイリッシュなたっつけ袴、それらを生かす効果的な映像・照明は、海外発信を想定した日本の創作バレエにふさわしい。金森のドビュッシー選曲、音楽的振付も素晴らしく、かぐや姫と道児の月の光パ・ド・ドゥ(1幕)、影姫パ・ド・サンクおよび、帝、かぐや姫、影姫のパ・ド・トロワ(2幕)は情感にあふれる。さらにベジャール・オマージュと言える「海→竹の精」女性群舞(1幕)、Noism メソッドを用いた力強い宮廷男性群舞(2幕)、金森版『ラ・バヤデール』を彷彿とさせる「雪→光の精」女性群舞(3幕)が、ドビュッシー音楽を微細に視覚化。金森の優れた音楽性を再確認させた。

今回、翁を中心とするコミックリリーフは、ベテラン木村和夫を得て、飄々とした中にも気品の漂う場面となった。木村がかぐや姫に腕を差し伸べるだけで、深いドラマが立ち上がる。ダンスール・ノーブルとしての歴史が身体化されている。また、踊れるダンサーを配した黒衣の扱いも目覚ましい。これまで作品に黒衣を採用してきたのはこのためだった、とさえ思わせる。オケピットからの意想外の登場に加え、低重心の機敏な動き、翁、かぐや姫、秋見(教育係)と踊る際のユーモアが素晴しかった(当日は岡崎隼也、井福俊太郎、海田一成、山下湧吾)。

一方、美術、音楽、舞踊の緊密な融合に対し、物語の流れとしては、まだ練り上げるべき箇所が残されている。例えば1幕の最後、かぐや姫が秋見に連れていかれ、残された道児が嘆いているところへ姫が再び戻ってくるのは、余情が損なわれる。また翁がお金と反物を竹林から取り出すのを村人が見て、自分たちもと竹林を傷つける場面。環境破壊を連想させるが、直後の姫が都に上る場面との繋がりがなく、唐突に思われた。さらに秋見と大臣4人が村を眺める都上りの伏線も、やや説明的。秋見と従者でよいのでは。3幕での道児の裏切り(地元女性と子を成す)は、天で罪を犯したかぐや姫の贖罪と、道児を許す姫の天上性を示すためと思われるが、この場合2幕月の光パ・ド・ドゥ(管弦楽版)の真実が問われることになる。あれほど愛し合ったのに裏切ってしまう道児のキャラクターは、踊り手の豊かな経験を投入してもなお、整合性を欠いて見えた。全幕物語バレエは初めてということもあるが、もう少し観客の想像力、踊り手の生理を考慮に入れた演出を期待したい。

主要人物はWキャスト。かぐや姫の初日、三日目は秋山瑛、二日目は足立真理亜、道児はそれぞれ柄本弾、秋元康臣、影姫は沖香菜子、金子仁美、帝は大塚卓、池本祥真、翁の木村和夫、秋見の伝田陽美はシングルキャストだった。その三日目を見た。

秋山は繊細なラインに豊かな感情を滲ませて、かぐや姫の地上での生涯を描き出した。1幕の無垢な魂、2幕の不安と苦悩、3幕の崇高な赦しが、考え抜かれた演技と踊りから伝わってくる。これまでの蓄積と鋭敏な感受性を、かぐや姫造形に注ぎ込み、手探りで格闘してきた様子が窺える。翁との遣り取りと別れには深い真実味があった。影姫の沖はゴージャスなラインと堂々たる存在感で帝の愛されぬ正室を演じる。赤と黒のオールタイツがよく似合っていた。愛情深い教育係、秋見役は伝田。と言うよりも、伝田があってこその秋見である。持ち前のユーモアと芝居心が作品に晴れやかさをもたらした。

道児の柄本は大らかで暖かく、かぐや姫の孤独を包み込む。その彼の裏切りは衝撃的だった。柄本としても不本意だったと思うが、あらん限りの解釈を体に入れた仁王立ちを見せている。帝は今春の第2幕上演で、牧神のような孤独のソロを踊った大塚。今回は物語のバランスを考慮してか、抑え気味だった。金森振付の粋とも言えるソロ(トロワへ移行する)なので、初演時解釈に戻して欲しい。

宮川新大、池本祥真、樋口祐輝、安村圭太の大臣たち、二瓶加奈子、三雲友里加、政本絵美、中島映理子の側室たちと、実力派ソリスト陣が脇を固める。しなやかな女性群舞、ベジャール張りの男性群舞、明るい村人群舞が、骨太の骨格を形成した。