12月に見た『くるみ割り人形』2023

*スターダンサーズ・バレエ団(12月10日 テアトロ・ジーリオ・ショウワ)

演出・振付は鈴木稔、舞台美術・衣裳はディック・バード、照明は足立恒による。主人公のクララが、家族と訪れたクリスマス市で謎の人形劇場に入りこみ、ネズミに囚われた人形たちを救う冒険譚。くるみ割り人形やその仲間たちと雪の森を超え、人形の国に辿り着くと、くるみ割り人形は王子様だった。結婚の PDD を踊るも、懐かしい旋律で家族を思い出し、クララは広場の家族の元へ帰ってくる。バード美術のクリスマス市、人形劇場の舞台裏、3人組兵隊、ドールハウスは見るだけで楽しい。雪ん子のような男女がコンテを踊る雪片のワルツは名振付。粉雪から吹雪へと躍動、下から突き上げるような迫力と力強さがあった。鈴木コンテ版『白鳥の湖』も見てみたいところ。

主役3キャストの内、最終日の渡辺恭子石川龍之介を見た。渡辺は初役の石川を助けて舞台をまとめると同時に、無垢で愛らしくひたむきなクララとなった。上体の柔らかさと瑞々しさが際立っている。石川は王子らしい凛々しい佇まい。古典の見せ方やパートナリングは慣れが必要だが、よく考えられた演技で舞台映えもする。今後が期待される。

怪しいドロッセルマイヤーの鴻巣明史、酔っ払い父の東秀昭、愛情深い母の周防サユル、器用で細かいドロッセル使用人の関口啓、胡散臭い大道芸人の友杉洋之、大きさのあるくるみ割り人形の久野直哉、ダイナミックなネズミの王様の大野大輔など、芸達者の演技陣が舞台を支えている。

指揮の田中良和、演奏のテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラが、舞台と親密な音楽を紡ぎ出している。

 

*牧阿佐美バレヱ団(12月16日 文京シビックホール 大ホール)

演出・改訂振付は三谷恭三、衣裳デザインはデヴィッド・ウォーカー、照明デザインはポール・ピヤントによる。美術と照明の一致にいつも驚かされる。内側から光を発しているような室内の立体的輝かしさ、雪の国のほの暗い明るさが素晴しい。三谷演出では、客間の壁からドロッセルマイヤーが、両扉からくるみ割り王子が登場する。夢遊病のようなクララと共に、夢の世界に引き込まれる演出である。

主役3キャストの内、初日の青山季可、清瀧千晴のベテランカップルを見た。青山はエレガンスと気品にあふれる金平糖の精。アラベスクの洗練は極まっている。清瀧は持ち味の高い跳躍はそのままで、美しいスタイルに磨きがかかった。優しいサポート、穏やかなオーラが、温かい舞台を作り上げる。雪の女王の西山珠里は品よくあっさりと、当団らしい踊りだった。

シュタールバウム夫妻の保坂アントン慶、茂田絵美子は円満、ドロッセルマイヤーは妖しい魅力の菊地研、甥は切れのよい𡈽屋文太、くるみ割り人形の近藤悠歩は美しい踊り、ねずみの王様の正木龍之介はダイナミックな踊りを披露した。トレパックの大川航矢、𡈽屋、小笠原征諭は元気よく明るい。主役級が配された花のワルツ・ソリストも見応えがあった。

指揮は大ベテランのデヴィッド・ガーフォース。東京オーケストラ MIRAI から気品と懐の深さを兼ね備えた音楽を引き出した。ドラマが豊かに流れる、胸に沁み入るチャイコフスキーである。

 

*東京シティ・バレエ団/ティアラ ‟くるみ” の会(12月17日 ティアラこうとう 大ホール)

バレエ団団員とティアラ ‟くるみ” の会の子供たちが合同で作る舞台。演奏に、バレエ団と同じく江東区と芸術提携を結ぶ東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、合唱に、江東少年少女合唱団が加わる地域密着型の公演である。構成・演出・振付は石井清子、演出補佐は中島伸欣、美術は松井るみ、照明は阿部美世子、衣裳デザインは八重田貴美子他による。

 ‟くるみ” の会の子供たちは、小クララ、フリッツ、友人たち、ねずみたち、兵隊、小人形、波の精、キャンドルを担当。幕開けのスケーターたち、小人形のコロンビーヌ、ピエロ、ムーアには、石井の児童舞踊がよく生かされている。小人形3人による2幕回想劇の巧みさと可愛らしさ。石井版ならではの名場面である。

主役2キャストの内、飯塚絵莉、吉留諒を見た。飯塚は高い技術の持ち主。明確なパ、キラキラ輝くオーラ、明るい性格で、晴れやかな舞台を作り上げた。バランシンに優れるように、音楽性も豊か。対する吉留はやや控えめながら、美しいノーブルスタイルを継承している。コンテンポラリーダンスにも秀でるので、自分らしい王子像の造形が期待される。クララの松本佳織は、優れた音楽性と確かな技術で、流れるような抒情的踊りを披露、くるみ割り人形の岡田晃明は、高い技術と美しいスタイルが際立っていた。

バレエ団伝統の男性ノーブルスタイル、女性陣の濃厚なキャラクターダンスは健在。折原由奈、務台悠人のスタイリッシュなスペイン、土橋冬夢の暖かみのあるトレパック、大川彪の美しいスタイルが印象深い。かつて鮮烈なスペインを踊った濱本泰然は、ノーブルなドロッセルマイヤーを演じている。

指揮は井田勝大。福田一雄を思わせる熱い指揮ぶりで、グラン・パ・ド・ドゥを大きく盛り上げた。ミラーボールのくるくる回るクリスマス・メドレーも心が浮き立つ。カーテンコールではサンタに変身するサプライズもあった。

 

*バレエ団ピッコロクリスマス公演GP(12月22日 川口リリア 大ホール)

23年お正月に亡くなった松崎すみ子の版。1985年の初演以来、再演を重ねてきたバレエ団の重要なレパートリーである。今回は娘の松崎えりが演出・改訂振付を担当したが、雰囲気は変わらず。子供たちがありのままで輝く舞台だった。

えりの改訂振付は母と同じく音楽性豊か。コンテンポラリーダンスで独自の道を歩むが、バレエの振付ではすみ子の流れを汲む。今回残した母の振付は、クラウンとコロンビーヌのパートだった。1幕の自動人形(クラウンは途中で一度動きが止まる)、2幕のコメディア・デラルテ・デュエット(別曲)は、二人への慈しみにあふれる。特にクラウンへの愛情は深く、当たり役だった小出顕太郎を思い出させた。豊かな想像力と優れた音楽性が融合した名振付である。

金平糖の精は西田佑子、王子は橋本直樹。キラキラと輝く精緻な踊りの西田を、橋本が温かく献身的に包む。共にはまり役だった。ドロッセルマイヤーは初演者でもある小原孝司。子供たちを優しく見守り、包容力にあふれる。クラウンの飛永嘉尉は、小出に劣らない技術、献身性、愛らしさで、コロンビーヌの田代夏花はきびきびとした清潔な踊りで、舞台の清涼剤となった。お父さんの大神田正美、お母さんの松崎えりはゆったりとした佇まいで、ボーイの山畑将太は爽やかに、クリスマスパーティを切り盛りする。酔っ払いの大石丈太郎、ねずみの王様の髙橋純一、コーヒーの久野直哉、あし笛の深山圭子、須藤悠のゲスト陣、各スタジオの生徒たちも心を一つにして、ほのぼのと心温まる舞台を作り上げた。

 

東京バレエ団(12月24日 東京文化会館 大ホール)

改訂演出・振付は斎藤友佳理(イワーノフ、ワイノーネンに基づく)、舞台美術はアンドレイ・ボイテンコ、装置・衣裳コンセプトはニコライ・フョードロフ、装置はセルゲイ・グーセヴ、ナタリア・コズコ、照明デザインはアレクサンドル・ナウーモフによる。2幕ディヴェルティスマンのキャラクターダンサーを、クリスマスツリーのオーナメントになぞらえた演出が、斎藤版の大きな特徴である。花のワルツからはお菓子の国に変わり、そのままパ・ド・ドゥに至る。全編にわたり、物語に沿った高度な振付が散りばめられるが、団員振付の1幕「戦い」のフォーメーションは、物語よりも音楽に寄せた感触がある。そこだけ違いが感じられた。ダンサーたちの磨き抜かれたスタイルは、他作品と同じ。充実の舞台である。

主役5キャストの内、東京最終日の金子仁美、池本祥真を見た。金子はパーティ場面ではバレエ学校生と見まがう幼さだったが、真夜中 ねずみと対峙してからは、意志の強い少女となった。スリッパでねずみの王様を叩き、くるみ割り人形を護って、大人びた風情を漂わせる。2幕パ・ド・ドゥでは美しい肢体と明確な技術で、フランス風の優雅な女性に変貌を遂げた。日本では珍しい大人っぽさがあり、今後ドラマティックバレエが期待される。対する池本は、規範に則った美しい踊りと、切れのよい体捌きで、古典の味わいを醸し出す。伸びやかな跳躍も素晴らしい。

この版のドロッセルマイヤーはマジシャン風でコミカルな味わいがあるが、安村圭太はノーブル寄りの造形。回転技駆使のピエロ、コロンビーヌ、ウッデンドールには、後藤健太朗、中沢恵理子、岡崎隼也が配され、マーシャの優しいお供となった。マーシャ父は大きさのある中嶋智哉、母はたおやかな榊優美枝、フリッツは利発な長谷川琴音、ねずみの王様は闊達な岡崎司が担当した。

キャラクター陣も適材適所の配役。伝田陽美・宮川新大の明るく大らかなスペイン、アラビアではフリッツの長谷川と樋口祐輝が妖しく美しい肢体を披露、涌田美紀・井福俊太郎のクリッとした中国、二瓶加奈子・加古貴也・山下湧吾のダイナミックなロシア、足立真理亜・安西くるみ・大塚卓の優雅なフランスと、主役級が揃った。アンサンブルはポアント音なし、男性陣も優雅なノーブルスタイルを身に付けている。

パーティ場面ではシューベルト夫人の伝田に目を奪われた。絶えずその人になり切って、芝居が途切れない。息子にドレスのリボンを引っ張られる際の、そこはかとないユーモアの素晴らしさ。夫の山田眞央とも息が合い、やり過ぎず、目立ち過ぎずの芸達者ぶりだった。

指揮のフィリップ・エリス、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団NHK 東京児童合唱団が、ゆったりと奥行きのある音楽を紡いでいる。

 

新国立劇場バレエ団(12月24日夜、25日、28日 新国立劇場オペラパレス)

振付はウエイン・イーグリング、美術は川口直次、衣裳は前田文子、照明は沢田祐二による。玄関前のオランダ風スケートシーンに始まり、同じく玄関前のクララとフリッツが月に照らされる姿で幕を閉じる。「家族」を中心に物語は展開。ルイーズと求婚者たちによる予告劇、世代継承のグロス・ファーター、両親、姉が顔を覗かせるディヴェルティスマンなど。子役も多く登場、活躍する。パーティ場面で複雑なフォーメーションを紡ぎ出す子供たちは、「戦い」で兵隊と小ねずみとなり、多彩な演技と踊りを見せる。小クララのソロも難度が高く、大人ダンサーだけでなく、子供ダンサーにとってもチャレンジングな作品である。

ジョナサン・ハウエルズがゲスト・コーチに招かれているが、一部脇役の演技、一部ソリストの踊りが向上、アンサンブルには優雅さが加わった。ただしイーグリング振付の鮮烈さ(特に2つのワルツ)、破天荒な演技は陰を潜める。芸術監督が代わり、レパートリー化する過程で、仕方のない変化なのかもしれない。今年は「ニューイヤー・バレエ」を取りやめて、『くるみ割り人形』17公演という、前例のない回数をバレエ団は経験している。

主役6組の内、3組を見た。クララの小野絢子と米沢唯は対照的な資質で、互いに影響を与えながら共に歩んできた。小野は音楽的できらめく踊り、少女らしさ、振付ニュアンスの実現、米沢は心を込めた踊り、優しさ、穏やかさが際立つ。小野はバレエの持つ伝統芸能の面を重視し、米沢はバレエというメディアを通して自らの生を示す。それぞれの道を進んだベテランの境地だった。今季からプリンシパルとなった柴山紗帆は、主役としてスタート地点に立ったところ。2幕PDDの輝かしさ、振付アクセントの身体化は申し分ないが、クララの心情を表す演技については、さらなる探究を期待する。

小野と組んだ福岡雄大は、躍動感あふれる踊りに加え、緻密な演技が抜きん出ている。隅々までドラマを感じさせる舞台だった。米沢と組んだ井澤駿は、鷹揚で伸びやかな踊り。ただ少し上の空になったのはなぜか。柴山と組んだ速水渉悟は、美しい踊りと行儀の良さが特徴。米沢と組んだ時のような爆発力はないが、端正な舞台を心がけている。

ドロッセルマイヤーは、力強く美しい中家正博、ノーブルで洗練された中島駿野、酸いも甘いも嚙み分けた清水裕三郎、ねずみの王様は軽快な木下嘉人、おかしみのある小柴富久修(渡邊拓朗は未見)が配された。ディヴェルティスマンでは、福田圭吾の本格的な中国武術(祖父、老人、ロシアでも元気)、上中佑樹の伸びやかでダイナミックなロシア、仲村啓の晴れやかで包容力あるスペイン、渡辺与布の緊密なアラビア踊り、山本凉杏の誰よりも落ち着きがあって踊りの上手いスペインが印象的。五月女遥の蝶々、飯野萌子の花のワルツ、原田舞子の同じくにはベテランらしい味わい、乳母の木村優子は優しく、徳永比奈子はお茶目だった。

指揮はアレクセイ・バクラン、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団グロス・ファーターの荘厳さ、PDDアダージョの深い悲しみが胸を打つ。母国では禁じられているチャイコフスキーの真髄に迫る指揮だった。バクランは『くるみ割り人形』は子供のような魂で演奏しなければならないと語る。米沢のアダージョでは全身全霊を傾けた音が鳴り響いた。相通じるものがあるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

日本バレエ協会「バレエクレアシオン」2023

標記公演を見た(12月20日 新国立劇場 中劇場)。文化庁「次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」の一環である。演目は吉﨑裕哉振付『ハイランド』、宝満直也振付『でたら芽』、石井潤振付『AYRE』。若手・中堅によるコンテンポラリーの新作と、故人となったベテラン振付家のモダンバレエ再演という、興味深い組み合わせである。

石井潤は長年、新国立劇場バレエ団のバレエマスターを務め、開場記念公演『梵鐘の聲』並びに、『十二夜』、『カルメン』をバレエ団に振り付けた。今回は元ホーム劇場への凱旋公演ということになる。再演の『AYRE』は2008年の初演。12年再演時の制作ノートには、

愛、嫉妬、激しい怒りそして宗教的な切望や祈りから構成されたゴリジョフの〈AYRE〉を聴いた時、祖国を奪われ流浪の民として生活する一人の女の半生を描けないかと思った。(中略)当初はあまり政治的なメッセージを意識していなかったが、現在のこの世界の状況下、民族間や宗教の対立による争いがもたらす悲劇に対して、悲しさや憤りを抱いている事に気づき、どうか少しでもこういう状態が無くなるよう願いを込めた。

とある。現在はさらに状況が悪化し、避難民を描いた本作の再演は意義深い。演出・振付指導は、愛弟子の寺田みさこ、石井千春が担当した。

アルゼンチンの作曲家、オズバルド・ゴリホフの同名曲に乗せて、9景が構成される。「クラシック、ユダヤ伝統音楽、ピアソラで育った」ゴリホフの音楽は、短調を基調とし、東欧、中東の響きが入り混じる民族色豊かなメロディが特徴。音楽に触発された石井の振付は、バレエのパに、深いプリエ、コントラクションを交えたもので、ダンサーたちは全身で感情を露わにさせる。四肢を上方にして仰向けになり、開脚して立ち上がるなど、床(大地)との親和性が高く、大地に根差しながら、そこを離れなければならない人間の哀しみが浮き彫りになった。

女性は臙脂色のターバンにワンピース、男性は上半身裸で幅広のズボン。作品の中軸を担う石川真理子の嘆きのソロ、佐々木夢奈と大森一樹、蛭川騰子と吉田旭、それぞれの愛のデュオ、奥村唯の赤子を抱いた新妻のソロ、佐藤惟の苦悩に満ちたソロが、流れるように踊られる。その間、アンサンブルは纏まったり、遠くに佇んだりして情景の一部となる。様々なバレエ団から適材適所のダンサーが選ばれて、一人の振付家の作品に集中する、その身体の捧げ方には凄みがあった。指導者である寺田と石井の、亡き師への強い想いに裏打ちされた再演と言える。

幕明けの吉﨑作品『ハイランド』(バレエミストレス:池ヶ谷奏)は、冨田勲の『火の鳥』『答えのない質問』、手塚治虫火の鳥』にインスピレーションを得て作られたという。冨田の音楽は今なお新鮮で、中嶋佑一による金属状の多数の紐(下を束ねられ、後に放たれてカーテン状に上昇する)も、力強いインスタレーションだった。吉﨑の確かな美意識を感じさせる。中川賢、本島美和、藤村港平、戸田祈、髙橋慈生、黒田勇等の起用も的確で、多人数のダンサーを配するスケール感も申し分ない。

ただこれらの要素が一点に収斂することなく、バラバラに通り過ぎてしまう印象を受けた。『火の鳥』を下敷きにしたコンセプトが明確でないことも一つにはあるだろう。コンタクトを用いた振付も手慣れているが、なぜこの動きなのか、何を意味するのかが伝わってこない。一見作品として成立しているように見えるが、もう少し自身の得た感動を掘り下げて、それを形にする必要があったのではないか。

バレエ作品を多く作ってきた宝満直也は、今回原点に戻って振付語彙の開拓に臨んだ。『でたら芽』は客電が点いたまま、少女が紙ヒコーキを折る場面から始まる。舞台奥上から手前に向かって吊り下げられた巨大な白い紙に向かって、少女がそれを飛ばす。紙に当たって落ちる音。この白い巨大紙はダンサーがその上で踊る時もカサコソと鳴り、蹴散らされて破れ、最後にはボロボロになって上方に吊り上げられる。背後の光がこぼれ、作品の軌跡と人生が重なり合う終幕を演出した(美術:長峰麻貴)。山田いづみによるベージュ・グレーのTシャツとズボンも美術とよく合っている。

ダンサーは女性16人と宝満。振付は脱力系コンテンポラリーから痙攣風まで。スタイリッシュな動きはなく、オーガニックでシンプル。デュオは対話に、ソロは自分との対話に見える。自分の肚から出た動き、自分と乖離しない動きである。途中、祭儀風フォーメーションや、白紙を持って踊る盆踊り風、ナンバでの動きなど、原初への眼差しを感じさせる部分があった。宝満の新たなフェーズと言える。プリペアド・ピアノのようなとぼけた音や、土俗的な音の繰り返しなど、熊地勇太の音楽が踊りや動きに親密に寄り添っていた。

 

芸劇 dance ワークショップ 2023 発表公演『√オーランドー』

標記公演 GP を見た(12月21日 東京芸術劇場 シアターイースト)。講師・構成・振付・出演は中村蓉、原作はヴァージニア・ウルフの同名作、出演はワークショップ参加者15人で、ダンサー、俳優、劇作家、勤め人、看護師、研究者、学生が含まれるという。2か月の期間中、現代美術の浅野ひかり、中国語中国文学研究者の三村一貴、現代美術の AKI INOMATA、海獣学の田島木綿子の各氏を招いて、原作へのアプローチを深めた。

ロビーには木材でできたクリスマスツリーが飾られ、ある参加者によるリハーサル日記、参加者たち所有の原作本、リハーサル写真、緒方彩乃(アーカイブ作成・演出振付アシスタント・舞台美術)によるリハーサル・イラストが展示された(GP 当日はまだ展示がなかったため、本番を見た知人の写真から)。通常想定される「コンテンポラリーダンスを一般の人たちが踊る」といったワークショップではなく、中村のクリエーションに参加者を引きずり込むワークショップだったことが分かる。

原作は、エリザベス朝から20世紀初頭まで、男から女に変身しながら樫の木のある大邸宅と共に生きたオーランドーの長い生涯を、伝記作家が綴る形式。作家で貴族、バイセクシュアルだった友人のヴィタ・サックヴィル・ウエストと、その一族に捧げられたオマージュである。

原作へのアプローチは、前作『f マクベス』と同じ、要となる原文を抜き出して、身体技法へと結びつける方法。前作と異なるのは、出演者がダンサーではなく、多種多様な職種の人物だったことである。ピナ・バウシュ風の出演者インタビューが行なわれたようで、看護師による寝たきりの人(昏睡状態のオーランドー)への介護実践、経済学者による運ばれながらのオーランドー経済分析、さらに講師の三村氏に扮した俳優が文筆家のニック・グリーンと化すなど、それぞれの職業を生かした場面が散見された。さらにチアリーディングや日舞経験者の身体技法も取り入れられている。舞台中央の樫の木に似せた大木には、チアの緑のポンポン、日舞の白扇が松葉状に飾られ、赤いシフォンの布が掛けられている。昏睡から覚めたオーランドが女性になり、それぞれの小道具を使って踊ることになる。

発話しながらの動きが多く、タンツテアターと言えなくもないが、中村及び参加者のオーランドー解釈への集中、身体への意識が強力で、言葉の多いダンス公演という印象だった。相手の動きを逐一実況する喧しい場面、ほぐれるユニゾン円など、ワークショップの成果が見られるなか、独立した舞踊シーンとしては、卵焼きの味付けから世界観の異なる人と暮らせるかについて、シンメトリーで語り踊る男女デュオが優れていた。最後はジタバタと転がりながら子どものように叫ぶ。中村の愛の形が見えた。

その中村は中ほどでソロを踊る。小津安二郎監督『晩春』の名場面、父(笠智衆)と娘(原節子)が結婚前に京都に旅をし、娘が結婚しないで父と暮らしたいと思い詰めたように話す、その語りで踊る。オーランドーの結婚についての逡巡を、中村が原節子と結びつけたわけだが、ぜい肉のない中村の体は深く内向して、日本的な身体となった。父の説諭に対し、原は「ええ(うんに聞こえた)」と答え、「わがまま言ってすみません」と謝る。これに同期し、中村は「うん」と頷き、向こう向きで首深くうなだれる。その背骨を頂点とする透き通った枯れた背中は、室伏鴻のそれを思わせた。ワーグナーの結婚行進曲が流れ、ひしゃげる中村。

ワークショップ発表公演としては、参加者の新たな地平が切り開かれたこと、個々人の個性が掬い上げられたことがよく分かり、ダンス公演としては、中村のソロ(禁じ手かもだが)、卵焼き男女デュオを筆頭に、クリエイティヴなシーンを多く見ることができた。クラッピングと水滴、ブラームスのワルツ、メトロノームなど、楽曲構成も素晴しい。Eternal Dance(Takasago)楽曲制作は廣庭賢里。

 

2023年公演総括

2023年の舞踊公演を振り返り、印象に残った振付家・ダンサーを列挙する(含2022年12月)。すでにコロナ関連の劇場規制はなく、通常の上演形態に戻った。コロナ禍の名残りとしては、バレエ公演におけるスタンディングオベーションが挙げられる。声を出せないため、拍手とスタンディングでコロナ下のダンサーを応援した習慣が、そのまま残ったと思われる。個人的には今年初めてコロナ陽性を経験した。ある演劇の終演後、俳優の方(マスクなし)と会話した二日後に喉痛があり、猛烈な倦怠感に襲われた。この公演はすでに初日、コロナで降板した俳優の代役を演出家が務め、その後次々と感染拡大し、公演中止に至っている。明確な後遺症としては、嗅覚の異常があった。

もう一つは劇場コンテンツとクリエーションの問題。コンテンポラリーダンスの一見「よく出来た」作品が、なぜか琴線に触れないことがままあった。理由としては、振付家が本当に作りたいものではなく、期待されるものを作っているからだと思われる。本当に作りたいものを作るには、自分を掘らなければならない。その深さによって、観客の胸に届くかが決まる。たとえ断片的でも未完でも。劇場コンテンツとしては流通しづらく、振付家としての場を確保することにならないかもしれない。しかしクリエーションの本質は、自分でも思ってもみないパッセージが生まれること、自分を超える場が生まれることにある。期待に応えるという創作姿勢は、終着点が見えていることを意味する。クリエーションではなく、編集作業に堕してしまうのではないか。

2019年の大竹みか氏(享年85)に続いて、今年は松崎すみ子氏(1月4日没、享年87)と、矢野美登里氏(6月7日没、享年92)を失った。お三方は、幼い批評家(私)を温かく見守り、批評を続ける後押しを下さった方たちである。松崎氏はバレエ団ピッコロを主宰し、優れた創作バレエを作り続けた。練馬クリスマス公演では、子どもたちをあるがままで肯定する松崎ワールドを展開。氏の物語喚起力、音楽的振付、多彩なムーブメントが、子どもたちのみならず大人までをも魅了した。見る者を前向きにさせるのは、氏の真っ直ぐな人間性が舞台に反映されていたからである(『不思議の国のアリス』評はコチラ)。

一方矢野氏は、日本バレエ協会関東支部埼玉ブロック運営委員長を長年にわたって務められ、ブロック公演「バレエファンタジー」の継続に尽力された。優しく厳しいお人柄が多くの人を惹きつけ、古典と創作を軸とする公演には多彩な才能が集まった。若手の育成と創作の推進を常に目指されていたため、氏の周りにはいつもクリエイティブな息吹が漂っていた。埼玉県舞踊協会主催「埼玉全国舞踊コンクール」の実行委員長としては、若手育成への情熱のこもった閉会の挨拶が思い出される。バレエ関係では珍しく、長谷川六編集『ダンスワーク』の購読者でもあった。

 

【バレエ振付家

国内振付家では、谷桃子くるみ割り人形』(谷桃子バレエ団)、石田種生『挽歌』(東京シティ・バレエ団)、石井清子『四季』より「春」(東京シティ)、松崎すみ子『不思議の国のアリス』(バレエ団ピッコロ)、今村博明・川口ゆり子+イルギス・ガリムーリン・成澤淑榮『ドン・キホーテ』(バレエシャンブルウエスト)、篠原聖一『Les Saisons』(DANCE for Life)、中島伸欣『カルメン』よりPDD(東京シティ)、鈴木稔『ドラゴンクエスト』(スターダンサーズ・バレエ団)、マシモ・アクリ『ドン・キホーテ』(日本バレエ協会)、伊藤範子『シンデレラ』(日本バレエ協会神奈川ブロック)、斎藤友佳理『眠れる森の美女』(東京バレエ団)、木村和夫『fruits of wisdom』(東京)、熊川哲也『眠れる森の美女』(K-BALLET TOKYO)、石井竜一『シルヴィア』(井上バレエ団)、福田圭吾『Resonance』(新国立劇場バレエ団)、福田紘也『echo』(新国立)、久保綋一+宝満直也・岩田雅女『海賊』(NBAバレエ団)、貝川鐵夫『ロマンス』(国立劇場)、髙橋一輝『コロンバイン』(日本バレエ協会)。

海外振付家では、ド・ヴァロア(小林紀子バレエ・シアター)、バランシン(NBA、スタダン、東京シティ)、アシュトン(新国立)、ロビンズ(東京、スタダン)、リファール(草刈民代INFINITY)、プティ(東京、新国立、草刈、バレエアステラス)、ベジャール(東京)、マクミラン(小林)、ヌレエフ(草刈)、プロコフスキー(牧阿佐美バレヱ団)、ノイマイヤー(東京)、キリアン(東京)、フォーサイス(東京シティ)、ドゥアト(新国立)、ショルツ(東京シティ)、タケット(新国立)、ドウソン(新国立)、スカーレット(アステラス)。

【モダン&コンテンポラリーダンス振付家

モダンでは、能藤玲子『限られることの』(現代舞踊協会)、芙二三枝子『土面』+折田克子『夏畑』+アキコカンダ『マーサへ』他(新国立+現代舞踊協会)、川口節子『マダム・バタフライ』(日本バレエ協会)、田中いづみ『peace by dance』(S.I.T ダンススタジオ)。フラメンコでは佐藤浩希『恋の焔炎』(アルテイソレラ)。舞踏系では、笠井叡『「フーガの技法」を踊る』(横浜赤レンガ倉庫1号館)、山崎広太『机の一尺下から陰がしのび寄ること』(ボディアーツラボラトリ―)、伊藤キム『誰もいない部屋』(フィジカルシアターカンパニーGERO)、岩渕貞太『エイリアンのミラーボール主義宣言』(岩渕貞太 身体地図)、関かおり『み とうとう またたきま いれもの』(団体せきかおり)、中村蓉『fマクベス』(ヨウ+)。バレエベースでは、中村恩恵エチュード』(草刈民代INFINITY)、金森穣『Der Wanderer』(新潟市芸術文化振興財団)+『畦道にて』(日本バレエ協会)+『かぐや姫』(東京バレエ団)、黒田育世『Ysee』(黒田育世事務所)、松崎えり『kukka』(東京シティ・バレエ団)。純コンテンポラリーでは、勅使川原三郎ランボー詩集』(カラス)、康本雅子『全自動煩悩ずいずい図』(ペーハー、康本雅子)、藤田善宏『ライトな兄弟』(MITATEYA)、下島礼紗『ビコーズカズコーズ』(ケダゴロ)、黒須育海『ごんぞうむし』(彩の国さいたま芸術劇場)、川村美紀子『じごくのあばれもの』(同)、大森瑤子『おざなりちゃん』(吉祥寺シアター)。海外振付家ではクリスタル・パイト&ジョナサン・ヤング(DaBY・神奈川県民ホール)。

【女性ダンサー】(括弧内は振付家名)

出演順に、日髙世菜のマリー姫、秋山瑛のマーシャ、野久保奈央のオーロラ姫、米沢唯のこんぺい糖の精、小野絢子の同じく、小暮香帆(山崎広太)、西村未奈(西村)、能藤玲子(能藤)、直塚美穂(ドウソン)、小野(バランシン)、アリーナ・コジョカル(ノイマイヤー)、三東瑠璃(柳本雅寛+三東)、ケイタケイ(ケイ)、石橋静河岡田利規)、上野水香ベジャール)、小野のプティ版スワニルダ、米沢の同じく、井関佐和子(金森穣)、菅井円加(ノイマイヤー)、清田カレン(フォーサイス)、北村思綺(関かおり)、秋山(アルバレス)、伝田陽美(同)、五月女遥(福田圭吾)、川村美紀子(川村)、秋山(ロビンズ)、米沢のマクベス夫人(タケット)、小野の同じく、寺田亜沙子(アシュトン)、池田理沙子(同)、塩谷綾菜(バランシン)、渡辺恭子(ロビンズ)、秋山のジゼル、野久保のメドーラ、山田佳歩のギュルナーレ、高瀬譜希子(芙二三枝子)、中村恩恵(アキコカンダ)、米澤真弓のコンスタンス、飯塚絵莉(バランシン)、志賀育恵(中島伸欣)、大久保沙耶(ショルツ)、佐合萌香(同)、島添亮子(マクミラン)、秋山(ブルノンヴィル)、佐々晴香(リファール)、ドロテ・ジルベール(プレルジョカージュ)、リュドミラ・パリエロ(プティ)、ジェシカ・ジュアンのオーロラ姫、吉田合々香(スカーレット)、野久保のドラキュラ・ミーナ、勅使河原綾乃のドラキュラ・ルーシー、塩谷のドラクエ王女、杉山桃子のドラクエ戦士、康本雅子(康本)、鈴木春香(康本)、小野(篠原聖一)、中村蓉(中村)、加藤みや子(加藤)、川口まりのキトリ、米沢唯のキトリ、小野の同じく、秋山のかぐや姫(金森)、沖香菜子の影姫(金森)、伝田の秋見(金森)、日髙のオーロラ姫、妻木律子(山田奈々子)、佐東利穂子(勅使川原三郎)、沖のオーロラ姫、秋山の同じく、金子仁美の同じく、伝田のカラボス、吉田朱里のジゼル(2幕)。

【男性ダンサー】(括弧内は振付家名)

出演順に、刑部星矢のデジレ王子、福岡雄大のくるみ割り王子、速水渉悟の同じく、中家正博のドロッセルマイヤー、山崎広太(山崎)、森本晃介(ドウソン)、柳本雅寛(柳本)、マルセロ・ゴメス(プティ)、大塚卓(キリアン)、福岡のプティ版フランツ、山本隆之の同コッペリウス、山田勇気(金森穣)、林田翔平(鈴木稔)、アレクサンドル・リアブコ(ノイマイヤー)、新井悠汰(フォーキン)、福田建太(ブベニチェク)、内海正考(関かおり)、樋口祐輝(木村和夫)、大塚(同)、山下湧吾(アルバレス)、大塚の帝(金森)、福岡のマクベス(タケット)、奥村康祐の同じく、中家のマクダフ(タケット)、速水(アシュトン)、石山蓮(同)、秋山康臣のアルブレヒト、柄本弾の同じく、新井のコンラッド、本岡直也のパシャ・ザイード、大森康正のビルバンド、スチュアート・キャシディのシャープレス、福岡のジークフリード、速水の同じく、中家のロットバルト、木下嘉人のベンノ、島地保武(折田克子)、清瀧千晴のダルタニアン、吉留諒(バランシン)、濱本泰然(中島伸欣)、キム・セジョン(ショルツ)、渡邊峻郁のジークフリード(こども劇場版)、マルク・モロー(ベジャール)、マチアス・エイマン(ポリャコフ)、吉山シャール ルイ(プティ)、木本全優(バランシン、プティ)、江部直哉(ブルノンヴィル)、刑部のドラキュラ、池田武志のドラクエ黒の勇者、笠井叡(笠井)、八幡顕光(宝満直也)、池上たっくん(中村蓉)、柳下則夫(加藤みや子)、藤島光太のバジル、伊藤龍平のグランゴワール、福岡のバジル、速水の同じく、中家の同じく、中島瑞生のエスパーダ、柄本の道児(金森)、木村和夫の翁(金森)、山本雅也のデジレ、三浦一壮(ダルクローズ+α)、ハビエル・アラ・サウコ(勅使川原三郎)、大川彪のソロル(2幕)、秋元のデジレ、宮川新大の同じく、仲村啓のアルブレヒト(2幕)、石山蓮(ドゥアト)、森本(ドゥアト)。

 

 

12月の公演感想メモ(旧Twitter)2023

新国立オペラ『こうもり』、久しぶりに見た。シュトラウスの音楽を聴いていると、R・プティの振付が思い出され、胸が締め付けられる。プティの絶妙な選曲、振付の音楽性、独創性は傑出している。『コッペリア』もいいが、傑作バレエ『こうもり』もぜひ再演して欲しい。本作バレエ・シーンは東京シティ・バレエ団(再振付:石井清子)。男性5人(吉留諒、福田建太、杉浦恭太、西澤一透、大川彪)が、ロザリンデを囲んで踊る場面は、ギャラントリーにあふれる。特に前半のトップを踊った福田は、ロザリンデのマルグエッレと全身でコミュニケーションを取り、輝かしい場面を創出。音楽の喜びにあふれていた。後半トップの吉留は美しい踊りを見せたが、少し人見知りか。新人の大川は先日の「シティ・バレエ・サロン」で美しいソロルを踊ったばかり。今回も舞踏会にふさわしく、ノーブルなパートナリングを見せる。燕尾服がよく似合っていた(カーテンコールには石井も登場した)。

オラフ・ツォンベックの書割のような装置、アールヌーボーの洒落た衣裳が素晴しい。この後、牧阿佐美版『くるみ割り人形』の美術・衣裳を担当、繊細な舞台を演出した。花のドレスの美しさは忘れ難い。 音楽面ではフロッシュが歌を歌ったこと、主役陣の伝統芸能のような芝居の巧さが印象的。アルフレードの伊藤達人は声もあり、芝居にも優れる稀少な日本人テノール。西洋人座組でも互角、声を聴くだけで嬉しくなる。(12/6 新国立劇場オペラパレス)12/7初出

 

女屋理音振付『PUPA』、シアタートラム・ネクストジェネレーション〈フィジカル〉の第1弾。鈴木春香、Aokid 出演に惹かれて見た。やはり二人のベテランは凄かった。鈴木を初めて見たのは康本雅子『全自動煩悩ずいずい図』。技量も素晴らしいが、肉体提示の潔さがずば抜けている。この人誰? 今回も的確な振付解釈と自由な運用、その場で体を出し切る肚の決まり具合に見惚れてしまった。「EU中心に5ヶ国で就労」とあるが、何度自分を脱ぎ捨てたろう、何度裸で踊ったろう、と思わせる。百戦錬磨のプロだった。

一方 Aokid は自分を捨てることなく、その場に馴染んで、いつの間にか作品に浸潤。最後はAokid の空間と化してしまう。ドラムの家坂清太郎との掛け合いは、女屋コンセプトとはあまり関係なく、フリージャズとフリーダンス。楽しかった。PPトークのハラサオリも強烈。明晰な思考と批評性。Aokid 作品で踊った娘らしいハラから、女傑へと変貌を遂げている。(12/8 シアタートラム)12/9 初出

【追記】康本作品で思い出したが、康本の包丁捌きは何なのか。西部劇のガンマンがピストルを捌くように、包丁を捌く。優雅で自然。なぜあれほどまでに習熟したのだろう、謎。以下は公演の感想メモ。

康本雅子『全自動煩悩ずいずい図』。体の快感を基底に、内外の民族舞踊を取り入れ、歌、芝居を加えたタンツテアター。ポップな和風設え、畳の上で踊る。ダンサーの質の高さ。康本の自在、包丁捌き、鈴木春香の虚構度の高い体、菊沢将憲のエロス(康本との足指交感)が素晴らしい。 100分は長いが。(8/19 KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ)8/20 初出

 

山崎広太@シンポジウム「アートがまちをかえていく」(共生社会の実現に向けた港区文化芸術ネットワーク会議)。wwfes で港区の助成を受けている山崎が登壇。他は「芸術と子どもたち」の中西麻友氏、STスポットの田中真実氏。山崎はアーティストとしての活動歴、ダンスと社会の関わり方について語った。山崎の語りはダンス。内なるイデアに向かって即興的に喋るので、聞き手はパフォーマンスを見ている気分になる。いつもダンスを見ながらメモを取るが、この時も同じ感覚で山崎の言葉をメモしていた。思考の思いもよらない跳躍、ディメンションの鮮烈な切り替え、時空を自在に飛び回る言葉達。中西氏の語りもやや山崎寄りで、思考の軽やかなステップを感じさせた。司会の戸館正史氏(港区みなと芸術センター参与)が「ここからは分かりやすいですよ」と述べた田中氏の語りは、社会化された言語で相手に情報を正しく伝えようとする。山崎時とは反対に、なぜかメモを取ることができなかった。

気になったのは、山崎の「2021年の wwfes は大失敗」という言葉に、二人が「失敗してもいいのだ」という受け方をしていたこと。山崎は主舞台のスパイラルホールとサテライトの循環がなかったことを指したと思われるが、体育館化したスパイラルは混沌そのものだった。山崎にしかできない所業である。(12/22 男女平等参画センターりーぶらホール)初出12/24

東京バレエ団『眠れる森の美女』新制作 2023

標記公演を見た(11月11, 12, 18日 東京文化会館 大ホール)。つい20日前に、同じく新制作でコンテンポラリー色の強い創作全幕『かぐや姫』を初演したばかり。10日間しかスタジオを使えなかったとのことだが、バレエ団 OG・OB、学校生を含む大所帯の古典全幕を、完璧なスタイルで仕上げている。

新演出・振付は芸術監督の斎藤友佳理。演出・制作コンセプトはニコライ・フョードロフ、舞台美術はエレーナ・キンクルスカヤ、衣裳デザインはユーリア・ベルリャーエワ、照明は喜多村貴という布陣。後三者担当のビジュアル面は、オーソドックスで調和が取れている。長めで張りのあるチュチュは優雅で古風。独特なのが緑と水色を合わせたドリアード・チュチュ。水の精との掛け合わせだろうか。繊細な照明が音楽と呼応して、観客を無意識のうちに物語世界へと誘った。

斎藤版の特徴は19世紀への眼差し。柔らかい腕使い、繊細な脚捌き、無音のポアント行使が、優美な舞踊スタイルを実現する。伝統的マイムは控えめながら、意味を考え抜いた緻密な演技を連ねて物語を運ぶ。共にプティパ・バレエの正統的解釈と言える。新振付は通常改訂よりも多いが、スタイルの統一ゆえに新奇な印象は与えなかった。新旧ヴァリエーションにおいて、古典技法の基礎がミリ単位で徹底されたことも、大きな美点となっている。

主な新振付は、まずプロローグの妖精たちのヴァリエーション。プティパ振付の変奏で難度が高い(リラの精はロプホフ振付を踏襲)。1幕村人のワルツは、女性8人が花籠、男性8人が花輪、少女8人が花綱を携え、さらに女性8人が加わって、多彩なフォーメーションを描く。ワルツ拍はあまり強調せず、優雅さを重視。2幕前半は鬼ごっこサラバンドファランドールとコンパクトに。サラバンドはデジレ王子と公爵令嬢のバロック・ダンスから、王子の憂愁のソロ、再び令嬢との踊りへと戻り、王子の心情を明らかにする。ファランドールは1人の女性と5人の男性村人が、回転技の多い闊達な踊りで王子の心を慰めた。

2幕幻影の場では、オーロラ姫の幻影とデジレ王子の触れ合わないアダージョが、通常よりも厳格に振り付けられた。二人の間にリラの精、ドリアード、リラの精のお付きが入り、要塞を築く。手の届かないオーロラに、デジレはグラン・ジュテで後を追い、恋心を募らせる。オーロラのヴァリエーションは、リラが先導し、オーロラが続いて踊る形となった。3幕宝石の精は、ダイヤモンド、サファイヤ、金、銀に、カヴァリエのプラチナ4人が加わる新趣向。ダイヤモンドのヴァリエーションは全身を四方に飛ばすハードな振付、プラチナは金の曲で跳躍の多いノーブルな踊りを披露した。

演出面では、プロローグ、1幕の間奏に、2幕の交響的間奏曲を使用したことがまず挙げられる。シモテでは、カラボスが手下と共に糸を繰り出し、巣を作る様子、さらに黒マントを手下に被せ、1幕の手筈を整える様が、紗幕越しに描かれる。少し遅れてカミテでは、カタラビュットの従僕2人が、糸紡ぎ針を持っていないか、村娘を検査。針を取り上げ、代わりに花籠を渡す。最後はカタラビュットに山盛りの糸紡ぎ針を報告、紗幕を上げて、1幕村人のワルツへと続ける。終盤のオーロラが針を刺す場面では、番兵が黒マントの影武者を槍で追いかける間に、カラボス本人がオーロラに針入り花束を渡す演出だった。両者とも仕込みが生きている。

2幕パノラマでは初演装置を復活させ、白鳥の小舟に乗ったデジレとリラが、動く森を縫うように進んでいく。歌舞伎の道行と共通する舞台芸術の醍醐味と言える。周りをお付きがヒラヒラと舞うのは斎藤のこだわりだろう(アシュトンの『夏の夜の夢』を想起)。オーロラの目覚めを、デジレのキスだけでなく、リラの力を必要としたことは、独自の解釈である。間奏曲で二人が踊り、オーロラが父母を起こす流れだった。

3幕ではディヴェルティスマンを仮面舞踏会の趣向で見せる(本来はそうだったか)。カタラビュットの従僕2人がタペストリーを担いで左右に移動すると、その裏で、宮廷男女が猫や青い鳥や赤ずきんに変身するという仕掛け。親指小僧とその兄弟と人食い鬼も登場し、幼い生徒たちの生き生きとした踊りに心和まされた。アポテオーズはリラの精が正しく奥に位置し、世界を祝福するが、装置の関係で上階の席からは見えなかった。

主役は3組。初日のオーロラ姫は沖香菜子、デジレ王子は秋元康臣。沖は光輝く姫だった。伸びやかなラインに繊細な表情が宿り、きらめきを発散する。秋元は端正な踊りに古典の風格を示した。二日目は秋山瑛と宮川新大。秋山は続けざまに新制作の主役を踊ったことになる。1幕はやや動きすぎに思われたが、2幕幻影の情感が素晴しかった。ロマンティックな王子 宮川との間に無垢な空間が広がる。ジゼルとアルブレヒトシルフィードとジェイムズに似た、ロマンティックな森が出現した。3組目は金子仁美と柄本弾。金子は落ち着いた姫。一点一画をゆるがせにしない技術に華やかなオーラがあった。柄本は血の通った ‟役の踊り” を見せる。大きく暖かい存在感で舞台を牽引した。

カラボスは男女配役。王子も踊った柄本は、腰の曲がった老婆を強烈な存在感で演じている。対する伝田陽美は、活発な勇気の精、大胆なダイヤモンドの精と踊り継いで、カラボスに至った。小刻みに動く老婆の面白さに惹き込まれる。芝居心、ユーモア、音楽的マイムの揃ったカラボスだった。二人は今夏のハンブルク・バレエ団「ニジンスキー・ガラ」で、ベジャールの『バクチⅢ』を踊っている。

リラの精は政本絵美、榊優美枝。政本は大きくゆったりと世界を統括。愛情深さもあっさりと、踊りに隙がない。榊は夢見るような優美さで、いつの間にか世界に浸透する。ヴァリエーションは吸い込まれる感触。共に技術が高い。妹の妖精たちも難度の高いヴァリエーションを、基礎に忠実に、しかも雄弁に踊っている。

青い鳥とフロリナ王女は、生方隆之介と中島映理子、池本祥真と足立真里亜。前者は華やかなスタイル、後者は技巧の高さで客席を魅了した。中島はダイヤモンドでも美しいスタイルを披露している。芸達者揃いのディヴェルティスマン陣のなかで、目を見張ったのは、後藤健太朗の長靴を履いた猫。これほど可愛らしい雄猫は見たことがない。愛される猫だった。

国王の中嶋智哉は威厳、安村圭太は華やかさで、王妃の奈良春夏、大坪優花は優しさで、カタラビュットの岡崎隼也は品格ある心得たマナーで、鳥海創は少し恥ずかしそうに、宮廷を運営した。求婚の王子たちもノーブル揃い。眠ったオーロラを担ぐのは、同じくノーブルなカヴァリエ(リラのお付き)たちだった。

指揮はトム・セリグマン、演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。初日はたっぷりとしたテンポで、一つ一つの踊りを見切ることができた。二日目以降は通常のテンポに戻ったが、重厚で華やかな音楽を響かせている。

10、11月の公演感想メモ(旧Twitter)2023

NBAバレエ団ジュニアカンパニー公演。エリザレフ版『エスメラルダ』第2幕と『パキータ』の演出・指導が素晴しい。前者のフランス風群舞とドラマ性、後者のスペイン風群舞と技巧。本公演でも見たい。岩田雅女振付『Schritte』は女性群舞のコンテ作品。師匠矢上恵子譲りのパワフルな語彙が炸裂。12月『ドン・キ』夢の場PDDも期待。団員ゲストでは、グランゴワール伊藤龍平の的確な役理解とノーブルな踊りが印象深い。(10/8 所沢市民文化センターミューズ マーキーホール)10/9初出

 

アルテイソレラ『恋の焔炎』。花道、すっぽん、セリを駆使したフラメンコ創作集。フラメンコギターは当然として、義太夫津軽三味線、和太鼓、附け打ちをフラメンコの変拍子に強引に巻き込む佐藤浩希の熱い演出・振付が素晴しい。本人もソロを踊ったが、むしろ奏者と並び、パルマと掛け声で演者を駆り立てる姿に本来がある。

8作それぞれ味わい深く、中でも鍵田真由美の玉手、松田知也の俊徳丸ははまり役。低重心の念仏群舞と共にフラメンコベースの『玉手』を作り上げた。おくだ健太郎の直前解説も間合いが絶妙で、舞台の虚構を崩さない。津軽三味線の浅野祥が朗々と自作を歌い上げれば、カンテの中里眞央が強度の高い声を肚から発信。二人の伸びやかな歌声に顔がほころんだ。ゲスト権弓美の立体的なフォルム、松田の両性具有の美しさが印象深い。(10/18 日本橋公会堂)10/22初出

 

*昨年88歳で亡くなった山田奈々子のメモリアル公演。9人の弟子と、縁の深いゲストが出演。折原美樹は山田経由の高田せい子作『母』と自作、三浦一壮は父五郎から山田に伝えられたダルクローズのリトミック『20ジェスチャー』、妻木律子は山田作『声なき声のレクイエム』(89年)を山田の弟子2人と、川村美紀子は『愛の讃歌』をヨーデル=ラップ風に歌い踊る。最後は弟子たちと山田の映像がリンクする『曼殊沙華』(98年)が捧げられた。

折原のパトス、三浦の飄々と世界と対峙する深い身体性、妻木の強烈なフォルムと音楽性、川村の比類ない声が、山田を追悼。生前の豊富な映像を作品と絡めた構成が素晴らしい。山田の愛情深さを彷彿とさせる愛情のこもったメモリアル公演だった。 山田がダルクローズの「20ジェスチャー」をNYのダンサーに教える映像が興味深い。ベートーヴェンの『月光』をバックに、20のジェスチャーが呼吸やニュアンスを取り入れて ‟踊り” へと変わっていった。(11/2 俳優座劇場)11/7初出

 

カラス アパラタス アップデイトダンス100回記念『素晴らしい日曜日』。演出・照明は勅使川原三郎、出演は勅使川原、佐東利穂子、ハビエル アラ サウコ。前回の『ワルツ』(未見)に続く布陣だが、全く違う踊りだろうと思う。ダンスの芽、ダンスになる前の動きが、雨音と共に延々と続く。3人は距離を置いて、しかし互いの気配を感じ取りながら"いごいご”と動く。それぞれの思考を味わうような公演だった。

面白かったのはハビエルの存在。いつも二人で踊っているところに、新局面が差し込まれる。特に佐東は自由に踊っている印象。最後は勅使川原と二人になるが、急に体が硬くなり、亭主関白夫の良き伴侶となった。勅使川原は気付いているだろうか。佐東の演出・振付で勅使川原が踊る可能性はあるだろうか。(11/5 カラス アパラタス)11/7初出

 

東京シティ・バレエ団「シティ・バレエ・サロンvol.12」。スタジオカンパニーダンサーを中心に振り付けられた創作集。濱本泰然振付『B possibility』、キム・ボヨン改訂振付『ラ・バヤデール』第2幕、松崎えり振付『kukka』、草間華奈振付『百花繚乱』と、古典バレエからコンテンポラリーまで並ぶ。ゲストの松崎作品は、ダンサーにとって初めてのダンススタイルだったのでは。自分の体を受け入れながら、音楽と呼吸をシンクロさせていく。鈴木百花とキム・キョンロクのパセティックなデュオが素晴しかった。鈴木の暗い情念、キムの相手と関わる人間的強さ、両腕の伸びやかさが印象深い。

濱本作品は濱本らしい美しいスタイルが徹底されている。場面や人物の関係性など分かりにくさも残るが、白組の古典美、黒組のパトス、金の女神と、イメージが明確。細やかな指示がダンサーに施されている。ここでも鈴木の艶のある存在感が印象的。ピエロの山畑将太は儚げだった。『ラ・バヤデール』のガムザッティは求心的な踊りの根岸茉矢、ソロルの大川彪は腕と上体が美しく、感情のこもったサポートを見せる。黄金の仏像、壺の踊りからアンサンブルまで、キムの古典指導が行き届いていた。最後の草間作品は華やかな衣裳で伸びやかに踊られるシンフォニックバレエだった。(11/12 豊洲シビックセンターホール)11/14初出

 

新国立劇場バレエ団「Young NBJ GALA」ドゥアト振付『ドゥエンデ』。ニジンスキー作『牧神の午後』の変奏で、現代の牧神とニンフが森で戯れる。若手中心のため歴代と比べるとやや薄味だが、その中で最も牧神を感じさせたのは石山蓮。PDD集のソロル同様、音楽的で覇気あふれる踊りを見せる。振付のあるべき形を体で理解できるのは、東バの牧神、大塚卓と同じ。もう一人は、強靭なポジションから無意識の動きを繰り出せる森本晃介。深いプリエと力感みなぎる両腕は武術を思わせる。真摯なサポートも美点の一つ。西一義の知的な牧神も印象深い。自身の思考の形が見える踊りだった。

PDD集で全幕を見たいと思わせたのは、吉田朱里と仲村啓の『ジゼル』第2幕より。長身カップルゆえのライン美も長所と言えるが、何よりも精緻な踊り、深い役理解、真っ直ぐな舞台姿勢に胸打たれた。1幕を踊るとどうなるのか、様々に想像させる。(11/25, 26 新国立劇場中劇場)11/27初出