日本バレエ協会「バレエクレアシオン」2023

標記公演を見た(12月20日 新国立劇場 中劇場)。文化庁「次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」の一環である。演目は吉﨑裕哉振付『ハイランド』、宝満直也振付『でたら芽』、石井潤振付『AYRE』。若手・中堅によるコンテンポラリーの新作と、故人となったベテラン振付家のモダンバレエ再演という、興味深い組み合わせである。

石井潤は長年、新国立劇場バレエ団のバレエマスターを務め、開場記念公演『梵鐘の聲』並びに、『十二夜』、『カルメン』をバレエ団に振り付けた。今回は元ホーム劇場への凱旋公演ということになる。再演の『AYRE』は2008年の初演。12年再演時の制作ノートには、

愛、嫉妬、激しい怒りそして宗教的な切望や祈りから構成されたゴリジョフの〈AYRE〉を聴いた時、祖国を奪われ流浪の民として生活する一人の女の半生を描けないかと思った。(中略)当初はあまり政治的なメッセージを意識していなかったが、現在のこの世界の状況下、民族間や宗教の対立による争いがもたらす悲劇に対して、悲しさや憤りを抱いている事に気づき、どうか少しでもこういう状態が無くなるよう願いを込めた。

とある。現在はさらに状況が悪化し、避難民を描いた本作の再演は意義深い。演出・振付指導は、愛弟子の寺田みさこ、石井千春が担当した。

アルゼンチンの作曲家、オズバルド・ゴリホフの同名曲に乗せて、9景が構成される。「クラシック、ユダヤ伝統音楽、ピアソラで育った」ゴリホフの音楽は、短調を基調とし、東欧、中東の響きが入り混じる民族色豊かなメロディが特徴。音楽に触発された石井の振付は、バレエのパに、深いプリエ、コントラクションを交えたもので、ダンサーたちは全身で感情を露わにさせる。四肢を上方にして仰向けになり、開脚して立ち上がるなど、床(大地)との親和性が高く、大地に根差しながら、そこを離れなければならない人間の哀しみが浮き彫りになった。

女性は臙脂色のターバンにワンピース、男性は上半身裸で幅広のズボン。作品の中軸を担う石川真理子の嘆きのソロ、佐々木夢奈と大森一樹、蛭川騰子と吉田旭、それぞれの愛のデュオ、奥村唯の赤子を抱いた新妻のソロ、佐藤惟の苦悩に満ちたソロが、流れるように踊られる。その間、アンサンブルは纏まったり、遠くに佇んだりして情景の一部となる。様々なバレエ団から適材適所のダンサーが選ばれて、一人の振付家の作品に集中する、その身体の捧げ方には凄みがあった。指導者である寺田と石井の、亡き師への強い想いに裏打ちされた再演と言える。

幕明けの吉﨑作品『ハイランド』(バレエミストレス:池ヶ谷奏)は、冨田勲の『火の鳥』『答えのない質問』、手塚治虫火の鳥』にインスピレーションを得て作られたという。冨田の音楽は今なお新鮮で、中嶋佑一による金属状の多数の紐(下を束ねられ、後に放たれてカーテン状に上昇する)も、力強いインスタレーションだった。吉﨑の確かな美意識を感じさせる。中川賢、本島美和、藤村港平、戸田祈、髙橋慈生、黒田勇等の起用も的確で、多人数のダンサーを配するスケール感も申し分ない。

ただこれらの要素が一点に収斂することなく、バラバラに通り過ぎてしまう印象を受けた。『火の鳥』を下敷きにしたコンセプトが明確でないことも一つにはあるだろう。コンタクトを用いた振付も手慣れているが、なぜこの動きなのか、何を意味するのかが伝わってこない。一見作品として成立しているように見えるが、もう少し自身の得た感動を掘り下げて、それを形にする必要があったのではないか。

バレエ作品を多く作ってきた宝満直也は、今回原点に戻って振付語彙の開拓に臨んだ。『でたら芽』は客電が点いたまま、少女が紙ヒコーキを折る場面から始まる。舞台奥上から手前に向かって吊り下げられた巨大な白い紙に向かって、少女がそれを飛ばす。紙に当たって落ちる音。この白い巨大紙はダンサーがその上で踊る時もカサコソと鳴り、蹴散らされて破れ、最後にはボロボロになって上方に吊り上げられる。背後の光がこぼれ、作品の軌跡と人生が重なり合う終幕を演出した(美術:長峰麻貴)。山田いづみによるベージュ・グレーのTシャツとズボンも美術とよく合っている。

ダンサーは女性16人と宝満。振付は脱力系コンテンポラリーから痙攣風まで。スタイリッシュな動きはなく、オーガニックでシンプル。デュオは対話に、ソロは自分との対話に見える。自分の肚から出た動き、自分と乖離しない動きである。途中、祭儀風フォーメーションや、白紙を持って踊る盆踊り風、ナンバでの動きなど、原初への眼差しを感じさせる部分があった。宝満の新たなフェーズと言える。プリペアド・ピアノのようなとぼけた音や、土俗的な音の繰り返しなど、熊地勇太の音楽が踊りや動きに親密に寄り添っていた。