牧阿佐美バレヱ団「ダンス・ヴァンドゥⅡ」2024

標記公演を見た(2月3日 文京シビックホール 大ホール)。芸術監督 三谷恭三のプロデュース公演「ダンス・ヴァンテアン」に続く新シリーズ、「ダンス・ヴァンドゥ」の2回目である。22年の前回は、前年に亡くなった牧阿佐美を偲び、アシュトン作品と牧の振付集というプログラムだった。今回は三谷自身の色彩濃厚な公演である。

3部構成の第1部は、バランシン振付『ジュエルズ』より「ルビーズ」、第2部は三谷振付『ヴァリエーション for 4 』、『エスメラルダ』よりワガノワ振付「ダイアナとアクティオン」GPDD、牧振付『飛鳥 ASUKA』より「すがる乙女と竜神の PDD」、第3部はローラン・プティ振付『アルルの女』。バランシン、プティというムーヴメント創出に優れた振付家作品と、牧、三谷という団所属振付家作品が並び、創作物に力を注いできたバレヱ団の歴史を窺わせる。

バランシンの「ルビーズ」(67年)は、96年に「ダンス・ヴァンテアン」で団初演、翌97年の再演以来、27年振りの上演である。ストラヴィンスキーの『ピアノとオーケストラのための奇想曲』に振り付けられた闊達なシンフォニックバレエ。ルビーの情熱的な煌めきを模した短い衣裳(カリンスカ)で、男女プリンシパル、女性ソリスト、男性4人、女性8人が、バランシン特有のモダンな語彙を炸裂させる。直線的グラン・バットマンからのポアント突き刺し、大股開きのグラン・プリエ、腰やお尻を突き出す動き、肘、手首を曲げた回転、膝を出しての小走りなど。バレエのパの拡張を大きくはみ出して、バレエの禁じ手を連発する。社交ダンスの組手はジャズエイジの狂騒を想起。女性ソリストが大股グラン・プリエ、アラベスク・パンシェを連続させるシークエンス、4人の男性が女性ソリストの手と足を持って、ポーズを作っていくシークエンスが面白い。

初日の男女プリンシパルは『三銃士』でも組んだベテラン米澤真弓、清瀧千晴。米澤の優れた音楽性、高い技術が、振付のアタックをビシビシと可視化する。清瀧は米澤を見守りつつ、超絶技巧を披露。明るく、楽しく、ユーモラスに、息を合わせて作品を牽引した。ソリストの高橋万由梨は大らかさあり。グラン・プリエやアタックはやや淑やかだったが、アラベスクの美しさが際立っていた。ノーブルな中島哲也、坂爪智来、細野生、濱田雄冴の男性陣、織山万梨子率いるアンサンブルは、当初硬さが見られたものの、主役の躍動に引っ張られて徐々に覚醒、最後はバランシンの突き抜けた明るさを舞台に横溢させた。振付指導はポール・ボーズによる。

第2部の三谷作品『ヴァリエーション for 4 』(2000年)も「ダンス・ヴァンテアン」から生まれた。ウォルトンの『ファサード組曲』第1、2番に振り付けられ、黒いTシャツに黒ズボン、黒帽子に白手袋という小粋なスタイルで、男性4人が踊る。ショーアップされた高難度ソロが並ぶ、言わば顔見世作品。歴代のダンサーが踊り継いで、今回は鈴木真央、石山陸、大平歩、小笠原征諭が、溌溂とした踊りを見せた。

続く「ダイアナとアクティオン」のGPDDは、ロシア・バレエの人気コンサートピース。初日アクティオンの大川航矢が得意とする演目である。胸のすくような超絶技を爽やかに踊り、晴れやかなオーラで客席を包む。ディアゴナルの 540 連発は見たことがない。対するダイアナの上中穂香は、伸びやかなラインで女神の気品を示した。若手女性アンサンブルの瑞々しい踊りが、バレヱ団の新しい地平を予感させる。

牧作品『飛鳥 ASUKA』より「すがる乙女と竜神のPDD」は、日髙有梨と近藤悠歩によって踊られた。竜神とすがる乙女の婚姻の踊りで、すがる乙女の慎ましやかで凛とした佇まいが記憶に残る。日髙は22年の全幕上演において、近藤と「銀竜」を踊っており、今回はむしろそちらに近い印象を受けた。スレンダーな肢体からダイナミックな踊りが繰り出される。竜神の近藤はロマンティックなタイプ。今回は日髙のサポート役に徹している。

第3部のプティ作品『アルルの女』(74年)も、「ダンス・ヴァンテアン」で団初演された(96年)。以降、バレヱ団は数々のプティ作品を上演、初演し、プティとの蜜月を築いた。今回はルイジ・ボニーノの直接指導を得て、作品本来の姿が蘇っている。ヴィヴィエットの青山季可、フレデリの水井駿介には役の肚が入り、プティ語彙の経験豊富なベテランダンサーがアンサンブルを主導、さらに作品の全てを知り尽くすデヴィッド・ガーフォースの指揮が加わり、プティの最高傑作が輝かしい命を取り戻した。

バランシンが音楽から振り付けるなら、プティは物語から。手揺らし、脚揺らし、体あおり、6番足、フレックス足、くるくるパーの手回しなど、プティならではの装飾語彙が、バレエのパに装着される。その全てに意味があり、物語を指し示す。「メヌエット」でのヴィヴェットのクキクキ動き、「ファランドール」でのフレデリの足踏みマネージュの素晴らしさ。選曲はもちろん、動きと音楽の関係性も傑出している。

ベテランの青山はこれまでの蓄積を生かし、報われない愛を体に持ち続ける。心ここにない男との哀切極まるパ・ド・ドゥ、フレデリのシャツを拾い、腰低く消え入るように去る姿に、青山の来し方が表れていた。足首上下ヒョコヒョコ歩きの可愛らしさ、口に手を当てる表情の瑞々しさも、青山の個性である。対する水井は高い技術を駆使し、アルルの女への激情を全身で表現する。男性陣を率いて踊るフラメンコの気迫、終幕マネージュの一足一足には渾身のパトスがこもっていた。全身全霊を傾けたフレデリだった。坂爪智来を始めとする男女友人たちは、プティ振付の意味を体現、優れた音楽性で生きたアンサンブルを作り上げている。

ガーフォースの指揮が素晴しい。ストラヴィンスキーの弾けっぷり、コンサートピースのダイナミックな迫力、ビゼーのドラマ構築と、多彩な指揮で充実の公演を率いた。管弦楽は東京オーケストラ MIRAI 。

「NHK バレエの饗宴 2024」

標記公演を見た(1月27日 NHK ホール)。今現在の洋舞シーンを映像に残す貴重なアーカイブ公演である(後日 Eテレで放送予定)。3部構成の第一部は、東京シティ・バレエ団による『L'heure bleue』、第2部は永久メイ&フィリップ・スチョーピンによる『眠れる森の美女』からGPDD、金子扶生&ワディム・ムンタギロフによる『くるみ割り人形』からGPDD、中村祥子&小㞍健太による『幻灯』、第3部は新国立劇場バレエ団による『ドン・キホーテ』第3幕。井田勝大の指揮、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏が、バレエ団の垣根を越えた祝祭的公演を牽引した。

幕開けの『L'heure bleue』は、東京シティ・バレエ団のレパートリー。ハンブルク・バレエ団で活躍したイリ・ブベニチェクの振付である。額縁をモチーフとした舞台美術、バロック風衣裳に、バロック音楽を使用。西洋の耽美的な恋模様を、バレエベースのコンテンポラリー語彙で描いている。今回来日した振付家直々の指導が入り、バレエ団の美しい古典スタイルとコンテンポラリーの動きが、極限まで磨き抜かれた。

悠然と男達をあしらう主役の岡博美、美脚を披露する男装の植田穂乃香、折原由奈、ワンピース姿の可愛らしい平田沙織、石塚あずさの女性陣に対し、成熟した魅力の沖田貴士、目の覚めるような鮮やかな踊りの吉留諒、岡田晃明、林高弘、さらに無邪気なエロス福田建太の男性陣が、恋の駆け引きを実施。岡の懐の深さ、吉留の覇気あふれる美しい踊り、福田の無意識の半裸体が、作品に立体的な陰影を与えている。

作品の土台となった音楽構成のうち、バッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」は、辻彩奈と竹内鴻史郎(辻は「ヴァイオリン協奏曲第2番」も)、同じく「チェンバロ協奏曲第5番」ラルゴ、「6つのパルティータ」は五十嵐薫子(Pf.)の演奏。鮮烈なヴァイオリンに心駆り立てられ、夢のようなピアノ(ラルゴ)によって、神話の世界へと誘われる。生演奏の醍醐味を最も味わえた作品だった。

第2部は3つのパ・ド・ドゥ。マリインスキー・バレエの永久メイとスチョーピンは、お家芸の『眠れる森の美女』を踊った。永久は前回出場時よりも大人びた風情。気品、精神性の高さはそのままに、匂やかなオーロラをゆったりと演じている。ロシア派の美点である芸術への敬意が、繊細でしなやかな踊りから滲み出た。

英国ロイヤル・バレエの金子扶生とムンタギロフは、ライト版『くるみ割り人形』からGPDD。金子は重みのある金平糖の精で、主役を歴任してきた存在感を示した。コーダは溌溂と思い切りがよく、金子本来の素顔を垣間見せる。ムンタギロフはにこやかで丁寧な踊り。公演最後のフィナーレでは第3部の主役、新国立劇場バレエ団の米沢唯と隣り合わせになり、『マノン』での二人の熱演を思い出させた。

ウィーン国立、ベルリン国立、ハンガリー国立の各バレエ団で踊り、帰国後 K バレエカンパニー(現 K-BALLET TOKYO)で活躍、現在フリーとなった中村祥子は、小㞍健太の『幻灯』を小㞍と踊った。リヒターによるヴィヴァルディ『四季』の変奏(録音音源)を使用、四季の移り変わりを人生と重ね合わせる。照明、スモーク、カーテンが、暗転と共に、空間を変幻させた。中村は裸足とポアントを使い分け、2つのアダージョと軽快なソロを踊る。そのよく考えられた緻密な体遣いに圧倒された。これまでの経験が蓄積となって生かされている。小㞍は回転技の多いスタイリッシュなソロで持ち味を発揮。アダージョでは中村の良さを引き出すべく、黒衣に徹した。ベテラン二人の現在が響き合うデュエットだった。

第3部は新国立劇場バレエ団『ドン・キホーテ』第3幕。シーズン開幕公演の熱気をそのままNHKホールに移し込んだ。キトリの米沢唯は本拠地と全く変わらず。舞台と客席に晴れやかなオーラを降り注ぐ。鋭い回転技、長いバランスなど、高い技術は言うまでもなく、その場で自分を捧げ切る姿勢に、あるべきプリマの姿が見える。対する速水渉悟は高い跳躍と美しい踊りが特徴。米沢キトリと丁々発止の小粋なバジルだった。

第1ヴァリエーションの山本凉杏、第2ヴァリエーションの直塚美穂は、次代を担う逸材。山本の古典の味わいと落ち着き、直塚の伸びやかさが、清々しいグラン・パ形成の一翼を担った。川口藍、中島瑞生による艶やかなボレロ、華やかなファンダンゴ、活きのよいアンサンブルに、ドン・キホーテの趙載範、サンチョ・パンサの福田圭吾を始めとする立ち役の面々がよく心得て、豪華全幕のクライマックス再現となった。

 

1月に見た公演他 2024

* 天使館『魔笛(1月8日 KAAT 神奈川芸術劇場 ホール)

振付・演出・構成は笠井叡。笠井はポスト舞踏派と称して、これまで『櫻の樹の下には―笠井叡を踊る』、『櫻の樹の下には―カルミナ・ブラーナを踊る』を創作してきた。大植真太郎、島地保武、辻本知彦(辻のシンニョウは一つ点)森山未來、柳本雅寛、笠井が踊る形式だったが(カルミナは笠井がコロナ陽性でリモート参加)、今回は柳本が外れ、菅原小春が加わった。

モーツァルトの『魔笛』を終曲から始める破天荒な構成。衣裳も定番となった黒スーツに高下駄から、褌、長襦袢を経て、最後に『魔笛』の登場人物らしき服装に至る(笠井は最初から黒服)。タミーノ:森山、パミーナ:大植、パパゲーノ:島地、パパゲーナ:菅原、ザラストロ:笠井、夜の女王:辻本と、配役は決まっているが、逆から始まるので、筋を追うことよりも、笠井の音楽的振付を味わう上演になった。

フリーメーソンの三角形に目や、神殿の柱、ピラミッドに砂漠、さらに「現在」を表す砲弾の雨、笠井叡・久子夫妻のオールヌードが、バックに大写しされる(中瀬俊介)。その前で、配役の歌に沿って様々なソロ、デュオ、カルテットが踊られる。大植、島地、菅原、森山によるユニゾンの面白さ。笠井の呪術的な手の動きと斜めのポーズが歩行と組み合わされる。4人の体の質の違い、蓄積されたテクニックの違いが浮き彫りになった。

パパゲーノの島地は本領発揮、伸びやかで柔らかく音楽的。相手を受け止める体である。パートナーの菅原は紅一点の意識なくジェンダーレス、繊細で切れの良い踊りを見せる。島地と菅原のパパパ・デュオは似たもの夫婦だった。

タミーノの森山は控えめに全体を見守る。楚々とした佇まい、湿り気を帯びた体で、糊のような役割を果たした。「お控えなすって」の仁義の切り方が最も様になっている。夜の女王の辻本は、本作が故障復帰となる。動かないブラックホールのような体で、カインの末裔たる女王を体現した。パミーナ大植は今回はオカッパ(最初は坊主、次は美しい長髪)。笠井の振付を真っ直ぐに踊る。笠井の息子と言ってもいいほど。体いじりは相変わらずで森山、菅原とともにブリッジを披露した。無垢な体と魂の持ち主である。

その笠井は、前作で踊れなかったことを取り返すように、一番元気だった。ピンマイクで喋りながら、くるくると楽し気に踊る。弟子たちに担がれて退場する時の嬉しそうなこと。5人のベテラン振付家兼ダンサーが、これほどまでに献身できるのは、笠井の空間だからこそ。5人の笠井振付遂行の偽りのなさ、互いの踊りを見る真剣な眼差しに感動を覚えた。終幕、金銀紙吹雪が舞うなか、死体となって宙吊りになる笠井。西洋的知識の血肉化された体で、日本的霊性を表す唯一無二の存在である。

 

小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『言葉とシェイクスピアの鳥』(1月9日 吉祥寺シアター

吉祥寺ダンス LAB. の6回目。これまではジャンルの垣根を越えたコラボレーションが多かったが、今回は演劇にダンスシーンを組み込んだ公演だった。前半と後半は身体表現を伴った発話や対話、中間部に動きのみの場面がある。これが興味深かった。3人づつのバトルや全員ユニゾンなど。最初は無音、途中から音楽が入る。音楽が入ると少しダンスに見えるものの、全体的には、決め時の吐く息、何か意味を感じさせる手の動きから、手話に近い感触を受けた。手話を全身に拡大させ、東洋武術の足や、体操、スポーツ系の動き(柔道の審判など)を組み合わせた印象。ダンスと言うよりも身体技法の実演に見える。個人による動きの幅はあるが、それぞれの思考の流れ、情緒、感情は排除されている。

15人の出演者はダンサー体型でない人もよく動き、俳優としても発話がこなれている。城崎国際アートセンターのレジデンスを経ているとのことで、全体のパフォーマンスの質は高く、ラボらしい実験性も見て取れた。ただ、身体表現と発話の組み合わせ(少し岡田利規を思わせる)については、直近の山崎広太の詩的喚起力、中村蓉の言語解像度と音楽的抽出力に比べると、語られるテキストの推移が緩くランダムに思われる。加えて瞑想音楽が流れるため、集中するのが難しかった。中間部の身体技法に言葉を組み合わせるとどうなるか、テキストを(題名にある)シェイクスピアから採ったらどうかなど、色々夢想しながらの145分だった。

 

山崎広太ダンス・クラス(1月13, 14日 Dance Base Yokohama)

「舞台作品の制作を心がける方に向けたスペシャルワークショップ」という副題。主催は山崎、共催は Dance Base Yokohama(DaBY)、黒沼千春を中心とする Core Collective の後援による。2日間それぞれ、テクニッククラス、インプロビゼーションクラス、コンポジションクラス(基礎編)が開講された。そのうちインプロビゼーションクラスを両日見学した。 DaBY は一般に開かれた、いつでも見学ができるスタジオである。復元建築のため入れ子構造になっており、外廊下から見学する。例によってスタジオに立つ4本の巨大な柱が、クリエイティブな空間を形成する。

初日は Core Collective のメンバーに山崎をよく知っている人、ダンス経験者だが、山崎の技法を知らない人が混ざっていた。インプロへの道筋を教えるクラスで、手、腹、脚、口、声出し、座位、立位、椅子座り、振り子動きなどが、伝えられる。座位で口を大きく動かした後、同じ動きを体で繰り返すパートが面白かった。そこに音楽が入ると、誰もが途端にダンスになる。山崎がやって見せる動きの繊細さ。優雅で滑らか。すっと動きに入る体の、蓄積、歴史を思わされる。見る者を同期させる親密な体でもあった。

二日目は Core Collective のメンバーに、舞台経験のあるダンサーのみとなった。山崎もリラックスして、阿吽の呼吸で指示を出していく。これで分かるのかと思うほど簡潔な言葉だが、ダンサーたちはすぐに動きを出す。改めて体をメディアにしている表現者の凄さを思った。立位の動きが主で、歩行、言葉出し、点から面で動きを作る、つつきコンタクト、3人インプロ(役割あり)など。

後半は山崎の動きをダンサーが真似るダイアゴナル行って帰り。まるで親鳥が雛に餌を与えるように、次々と動き(養分)を与えていく。それだけでなく、一人一人順番に動きを作らせて、皆が(山崎も)真似るシリーズも。作品と同じように、山崎の体が糊となって徐々に共同体が形成される。

最後は①腹から動く、②正面性のアフリカンダンス、➂それぞれ(覚えてない)を組み合わせて、ポップな曲で全員インプロの嵐となった。その凄まじさ。ダンサーたちはダイアゴナル時に体が出来上がり、3つの動きを必死で覚えて、今はゾーンに入っている。山崎が一つ一つ餌を与えて、インプロが出来るようになる奇跡の過程を見ることができた。終わって車座になると、山崎が「頭が痛い」とつぶやく。動きすぎたか。

 

* Noism✕鼓童『鬼』(1月13日 KAAT 神奈川芸術劇場 ホール)

演出振付は Noism Company Niigata 芸術総監督の金森穣、22年の初演である。作曲は原田敬子、衣裳は昨年11月に他界した堂本教子による。新潟を拠点とするカンパニー、鼓童とNoism Comapany Niigata のコラボレーションとして注目を集めた。作曲を委嘱された原田が「鬼」というテーマを提示し、そこから金森は、鼓童の本拠地である佐渡を舞台に、伝説の役行者と清音尼をモチーフとして振り付けた。清音尼を Noism0 の井関佐和子、役行者を同じく山田勇気、侍女・遊女・鬼を、Noism1 の三好綾音、庄島さくら、庄島すみれ、杉野可林、太田菜月、兼述育見、修行者・鉱山労働者・鬼を、同じく中尾洸太、坪田光、樋浦瞳、糸川祐希、ジョフォア・ポプラヴスキー(ゲスト)、鬼を金森自身が務めた。

改めてダンサー金森と井関がよく似ている。体の質感、腕使い、体捌き。金森の方が力感は優るが、井関はより一層体が研ぎ澄まされてきた。山田は年齢を重ねるごとに武術家としての風貌が濃くなっている。修行僧としても同様。年齢を味方にする Noism0 の存在意義を強く感じさせた。Noism1 のダンサーたちはよく訓練され、金森の東洋的ニュアンスを具現化している。ノイズム・メソッドによる鍛錬の賜物だろう。

再演で方向性が分かっているせいか、原田の楽曲が初演時よりもよく聴こえた。ただし物語の意味が付着し、金森の音楽との呼応が十全に読み取れたとは言えない。抜きん出て優れた音楽性の持ち主なので、原田=鼓童との音楽的一騎打ちを見たかった気もする。

一方同時上演の『お菊の結婚』は、ストラヴィンスキーの『結婚』に振り付けられた。ピエール・ロティの『お菊さん』を基に、フランス人から見た日本人の異形性を人形ぶりに変換。ニジンスカ原典版のエコーもある。ピエールのポプラヴスキー、お菊の井関、楼主の山田、その妻の三好、息子の中尾、さらに遊女たちや若い衆、青年、ピエールの許嫁に至るまで、複雑な音楽を汲み取った振付を精緻に踊っていた。

だがなぜこの原作を選んだのかという疑問も浮かぶ。日本人である金森が日本人蔑視を含む小説を用いる裏には、海外経験からくるシニシズムがあるのだろうか。コンテンポラリーダンスのカンパニーとして、明確な物語を付加した方が、観客に伝わりやすいとの考えだろうか。劇場コンテンツとしては通りやすいが、金森の資質を生かした作品とは必ずしも言えない。21世紀の振付家として、ストラヴィンスキー(と原曲の物語)に素手で勝負し、ニジンスカに対抗して貰いたかった。

 

* Ballet Art Kanagawa 2024『白鳥の湖(1月14日 神奈川県民ホール

日本バレエ協会 関東支部 神奈川ブロックによる第38回自主公演。演出・再振付は石井竜一、バレエミストレスは小島由美子、池田尚子、大滝ようによる。石井版はマイムを採用し、終幕を悲劇で終わらせるオーソドックスなヴァージョン。新演出としては、プロローグでジークフリードとベンノの幼少期を描いた他、3幕の花嫁候補の踊りにオディールを絡ませるなど、随所に工夫が見られる。終幕では、死後のジークフリードとオデットの立ち姿を、ベンノが見守る演出となっている。

新振付は1幕パ・ド・トロワ(村人が踊る)のヴァリエーション、3幕のキャラクターダンス、3幕パ・ド・ドゥのコーダ(新発見曲使用、全員で踊る)など。いずれも音楽性が豊かである。1幕ワルツ、4幕白鳥フォーメーションでは、シンフォニック・バレエを振り付けてきた蓄積を感じさせた。

音楽性に優れる石井だが、演劇性の面では初演とあって分かりにくさが残る。登場人物の出入り(1、3幕の王子)、オディール選択の重複など、物語の流れが途切れる印象を受けた。またプロローグのマイムは、もう少し音楽と呼応した優雅さが望まれる。神奈川ブロックでは橋浦勇版、井上バレエ団では関直人版という優れた先行版がある。石井版の再演に向けて、更なる練り上げを期待したい。

オデット=オディールには福田侑香。ロシア カレリア共和国音楽劇場バレエ団に6年間所属、ソリストとして主役を踊ってきた。演出によりオディールのみを経験しているが、オデットも完成度が高く、古風なロシア派の伝統を感じさせる。一挙手一投足に神経が行き届き、あるべきラインとフォルムを隈なく見ることができた。湖畔のマイムも素晴らしい。品格があり、稀に見る本格派の白鳥だった。

ジークフリード秋元康臣。同じくロシア派の美しい踊りを見せる。王子らしい気品と悲しみの表現が際立っていた。ベンノには高橋真之。道化のパートを踊るせいか、学友に少し道化色が加わっている。献身的な踊りに人の好さが滲み出る幼友達だった。パ・ド・トロワは牧歌的な村娘、勝田菜々穂、西沢真衣に、溌溂とした村の青年、益子倭。益子は舞台をはみだす元気のよさだった。ロットバルトの安村圭太、王妃の三井亜矢、ヴォルフガングの川島春生はやや控えめ。やり過ぎず、心得た演技で舞台に貢献した。

白鳥アンサンブルは指導が行き届いている。ポアント音なし、音楽的によく揃っていた。花嫁候補の率いるキャラクターダンスもそれぞれ見応えがある。チャルダッシュの孝多佑月、ナポリの山下湧吾を始めとする男性ゲスト陣も、ノーブルなスタイルで統一されていた。

指揮の木村康人が俊友会管弦楽団から、情感豊かで引き締まった音楽を引き出している。

NBAバレエ団『ドン・キホーテ』新制作2023

標記公演を見た(12月23日昼夕 所沢市民文化センターミューズ マーキーホール)。演出・改訂振付:久保綋一、岩田雅女、安西健塁、衣裳デザイン:西原梨恵、照明プラン:TOMATO JUICE DESIGN / 山本高久、舞台美術デザイン:安藤基彦という布陣。西原デザインのシックな色使い、チュチュの洗練された美しさに目を奪われた。扇子のデザインも美術品の如く。舞台美術は夢の場のクリスタルな唐草模様が印象的。3幕広場のランタンは暖かさと懐かしさを呼び起こした。

構成はプロローグ、1幕バルセロナの広場、2幕酒場と夢の場、3幕バルセロナの広場。ジプシー野営地はなく、夢の場も森ではないため、森の女王は登場しない。1幕街の踊り子ナイフ巡り、サンチョパンサの毛布投げ、3幕ボレロファンダンゴもカット。ガマーシュの出番を増やし、3幕コーダを全員で踊るところは、バリシニコフ版と共通する。

一方、ガマーシュを踊る役に設定し、酒場の酔っ払い男をジーグで踊らせ、酒場のおかみとガマーシュの恋を描くなど、大胆なカットを補って余りある新演出が続出する。最大の見どころはドン・キホーテ夢の場。若き日のキホーテ、アロンソ・キハーノ(別配役)が登場し、ドルシネア姫(同)と美しいパ・ド・ドゥを踊る。1幕メヌエットの変奏(冨田実里編曲)がロマンティックに奏でられ、コンラッド風のキハーノがチュチュ姿のドルシネアを凛々しくサポートする。老いたキホーテの抱く若い精神を具現化した名場面。同団の『海賊』同様、演出家 久保のロマンティシズムが横溢した。

団員振付家の岩田は、流れるように絡み合う夢の場パ・ド・ドゥを振り付けて、二人の愛を雄弁に歌い上げる。同じく安西によるガマーシュ振付、酔っ払いジーグ、アンサンブル振付は、超絶技巧に加え、キャラクター色濃厚で巧み。二人の振付家の今後が期待される。新演出・新振付満載ながら、古典の格調を保っている点は、バリシニコフ版との大きな違いである。1幕伝統的マイムの音楽性、演劇性の素晴しさ。同団がかつてヴィハレフ版『ドン・キホーテ』を上演した際の遺産だろうか。

キトリとドルシネア姫は、本公演後プリンシパルに昇格した勅使河原綾乃と山田佳歩の交互配役。共に高い技術を誇り、チュチュ姿には気品と風格がある。勅使河原は鋭い回転技、山田はくっきりとした明快なラインが持ち味。演技面においても進境を示しており、今後が期待される。対するバジルは3キャスト、そのうち北爪弘史はノーブルな踊りに行き届いた芝居、新井悠汰は切れ味鋭い踊りと優しさで、新制作の舞台作りに貢献した(孝多佑月は未見)。

エスパーダとアロンソ・キハーノは宮内浩之と刑部星矢の交互配役。宮内はスタイリッシュなエスパーダ、気品のあるキハーノを、刑部は濃厚なエスパーダ、ノーブルで情熱的なキハーノを演じて、舞台の華となった。メルセデス(街の踊り子込み)は姉御肌の浅井杏里、華やかな渡辺栞菜、ドン・キホーテは鷹揚で愛情深い古道貴大、ノーブルな安中勝勇、サンチョパンサは芸達者の安西健塁、可愛らしい佐藤史哉、ロレンツォはどっしりとした多田遥、男らしい内村和真の配役。

踊るガマーシュには、正統派の踊りとコミカルな演技の高橋真之、癖のない踊りとすっとぼけた演技の三船元維が配された。1幕の伝統的マイムから、2幕キホーテとの決闘、酒場のおかみとの恋模様、3幕トレアドールたちとの闊達な踊りまで、見せ場が続く。本作で退団する高橋にとってはなむけの役となった。超絶技巧を酔っぱらって踊る酔っ払いにはベテランの大森康正と安西。大森はロシア正統派の酔っ払いを悠々と演じ踊る。バジルの狂言自殺を見ているのは彼一人、そのおかしみに演者としての懐の深さを感じさせた。踊りの切れは言うまでもない。対する振付家の安西は奇矯さが際立つ。臭うようなサンチョ共々、珍しいタイプのキャラクターダンサーである。

キトリ友人は、大島沙彩と米津美千花、市原晴菜と鈴木恵里奈、キューピッドには軽やかな須谷まきこと明るい米津、酒場のおかみには太っ腹で鉄火肌、振付家の岩田が配された。伊藤龍平、本岡直也率いるトレアドールはノーブルで切れ良し。元気なセギジリア・アンサンブル、たおやかな夢の場アンサンブルは、スタイル、音楽性ともよく揃っている。

指揮は磯部省吾、演奏はNBAバレエ団オーケストラ。冨田編曲を加えた新たな楽曲構成を、機動力豊かに生き生きと奏している。

12月に見た『くるみ割り人形』2023

*スターダンサーズ・バレエ団(12月10日 テアトロ・ジーリオ・ショウワ)

演出・振付は鈴木稔、舞台美術・衣裳はディック・バード、照明は足立恒による。主人公のクララが、家族と訪れたクリスマス市で謎の人形劇場に入りこみ、ネズミに囚われた人形たちを救う冒険譚。くるみ割り人形やその仲間たちと雪の森を超え、人形の国に辿り着くと、くるみ割り人形は王子様だった。結婚の PDD を踊るも、懐かしい旋律で家族を思い出し、クララは広場の家族の元へ帰ってくる。バード美術のクリスマス市、人形劇場の舞台裏、3人組兵隊、ドールハウスは見るだけで楽しい。雪ん子のような男女がコンテを踊る雪片のワルツは名振付。粉雪から吹雪へと躍動、下から突き上げるような迫力と力強さがあった。鈴木コンテ版『白鳥の湖』も見てみたいところ。

主役3キャストの内、最終日の渡辺恭子石川龍之介を見た。渡辺は初役の石川を助けて舞台をまとめると同時に、無垢で愛らしくひたむきなクララとなった。上体の柔らかさと瑞々しさが際立っている。石川は王子らしい凛々しい佇まい。古典の見せ方やパートナリングは慣れが必要だが、よく考えられた演技で舞台映えもする。今後が期待される。

怪しいドロッセルマイヤーの鴻巣明史、酔っ払い父の東秀昭、愛情深い母の周防サユル、器用で細かいドロッセル使用人の関口啓、胡散臭い大道芸人の友杉洋之、大きさのあるくるみ割り人形の久野直哉、ダイナミックなネズミの王様の大野大輔など、芸達者の演技陣が舞台を支えている。

指揮の田中良和、演奏のテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラが、舞台と親密な音楽を紡ぎ出している。

 

*牧阿佐美バレヱ団(12月16日 文京シビックホール 大ホール)

演出・改訂振付は三谷恭三、衣裳デザインはデヴィッド・ウォーカー、照明デザインはポール・ピヤントによる。美術と照明の一致にいつも驚かされる。内側から光を発しているような室内の立体的輝かしさ、雪の国のほの暗い明るさが素晴しい。三谷演出では、客間の壁からドロッセルマイヤーが、両扉からくるみ割り王子が登場する。夢遊病のようなクララと共に、夢の世界に引き込まれる演出である。

主役3キャストの内、初日の青山季可、清瀧千晴のベテランカップルを見た。青山はエレガンスと気品にあふれる金平糖の精。アラベスクの洗練は極まっている。清瀧は持ち味の高い跳躍はそのままで、美しいスタイルに磨きがかかった。優しいサポート、穏やかなオーラが、温かい舞台を作り上げる。雪の女王の西山珠里は品よくあっさりと、当団らしい踊りだった。

シュタールバウム夫妻の保坂アントン慶、茂田絵美子は円満、ドロッセルマイヤーは妖しい魅力の菊地研、甥は切れのよい𡈽屋文太、くるみ割り人形の近藤悠歩は美しい踊り、ねずみの王様の正木龍之介はダイナミックな踊りを披露した。トレパックの大川航矢、𡈽屋、小笠原征諭は元気よく明るい。主役級が配された花のワルツ・ソリストも見応えがあった。

指揮は大ベテランのデヴィッド・ガーフォース。東京オーケストラ MIRAI から気品と懐の深さを兼ね備えた音楽を引き出した。ドラマが豊かに流れる、胸に沁み入るチャイコフスキーである。

 

*東京シティ・バレエ団/ティアラ ‟くるみ” の会(12月17日 ティアラこうとう 大ホール)

バレエ団団員とティアラ ‟くるみ” の会の子供たちが合同で作る舞台。演奏に、バレエ団と同じく江東区と芸術提携を結ぶ東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、合唱に、江東少年少女合唱団が加わる地域密着型の公演である。構成・演出・振付は石井清子、演出補佐は中島伸欣、美術は松井るみ、照明は阿部美世子、衣裳デザインは八重田貴美子他による。

 ‟くるみ” の会の子供たちは、小クララ、フリッツ、友人たち、ねずみたち、兵隊、小人形、波の精、キャンドルを担当。幕開けのスケーターたち、小人形のコロンビーヌ、ピエロ、ムーアには、石井の児童舞踊がよく生かされている。小人形3人による2幕回想劇の巧みさと可愛らしさ。石井版ならではの名場面である。

主役2キャストの内、飯塚絵莉、吉留諒を見た。飯塚は高い技術の持ち主。明確なパ、キラキラ輝くオーラ、明るい性格で、晴れやかな舞台を作り上げた。バランシンに優れるように、音楽性も豊か。対する吉留はやや控えめながら、美しいノーブルスタイルを継承している。コンテンポラリーダンスにも秀でるので、自分らしい王子像の造形が期待される。クララの松本佳織は、優れた音楽性と確かな技術で、流れるような抒情的踊りを披露、くるみ割り人形の岡田晃明は、高い技術と美しいスタイルが際立っていた。

バレエ団伝統の男性ノーブルスタイル、女性陣の濃厚なキャラクターダンスは健在。折原由奈、務台悠人のスタイリッシュなスペイン、土橋冬夢の暖かみのあるトレパック、大川彪の美しいスタイルが印象深い。かつて鮮烈なスペインを踊った濱本泰然は、ノーブルなドロッセルマイヤーを演じている。

指揮は井田勝大。福田一雄を思わせる熱い指揮ぶりで、グラン・パ・ド・ドゥを大きく盛り上げた。ミラーボールのくるくる回るクリスマス・メドレーも心が浮き立つ。カーテンコールではサンタに変身するサプライズもあった。

 

*バレエ団ピッコロクリスマス公演GP(12月22日 川口リリア 大ホール)

23年お正月に亡くなった松崎すみ子の版。1985年の初演以来、再演を重ねてきたバレエ団の重要なレパートリーである。今回は娘の松崎えりが演出・改訂振付を担当したが、雰囲気は変わらず。子供たちがありのままで輝く舞台だった。

えりの改訂振付は母と同じく音楽性豊か。コンテンポラリーダンスで独自の道を歩むが、バレエの振付ではすみ子の流れを汲む。今回残した母の振付は、クラウンとコロンビーヌのパートだった。1幕の自動人形(クラウンは途中で一度動きが止まる)、2幕のコメディア・デラルテ・デュエット(別曲)は、二人への慈しみにあふれる。特にクラウンへの愛情は深く、当たり役だった小出顕太郎を思い出させた。豊かな想像力と優れた音楽性が融合した名振付である。

金平糖の精は西田佑子、王子は橋本直樹。キラキラと輝く精緻な踊りの西田を、橋本が温かく献身的に包む。共にはまり役だった。ドロッセルマイヤーは初演者でもある小原孝司。子供たちを優しく見守り、包容力にあふれる。クラウンの飛永嘉尉は、小出に劣らない技術、献身性、愛らしさで、コロンビーヌの田代夏花はきびきびとした清潔な踊りで、舞台の清涼剤となった。お父さんの大神田正美、お母さんの松崎えりはゆったりとした佇まいで、ボーイの山畑将太は爽やかに、クリスマスパーティを切り盛りする。酔っ払いの大石丈太郎、ねずみの王様の髙橋純一、コーヒーの久野直哉、あし笛の深山圭子、須藤悠のゲスト陣、各スタジオの生徒たちも心を一つにして、ほのぼのと心温まる舞台を作り上げた。

 

東京バレエ団(12月24日 東京文化会館 大ホール)

改訂演出・振付は斎藤友佳理(イワーノフ、ワイノーネンに基づく)、舞台美術はアンドレイ・ボイテンコ、装置・衣裳コンセプトはニコライ・フョードロフ、装置はセルゲイ・グーセヴ、ナタリア・コズコ、照明デザインはアレクサンドル・ナウーモフによる。2幕ディヴェルティスマンのキャラクターダンサーを、クリスマスツリーのオーナメントになぞらえた演出が、斎藤版の大きな特徴である。花のワルツからはお菓子の国に変わり、そのままパ・ド・ドゥに至る。全編にわたり、物語に沿った高度な振付が散りばめられるが、団員振付の1幕「戦い」のフォーメーションは、物語よりも音楽に寄せた感触がある。そこだけ違いが感じられた。ダンサーたちの磨き抜かれたスタイルは、他作品と同じ。充実の舞台である。

主役5キャストの内、東京最終日の金子仁美、池本祥真を見た。金子はパーティ場面ではバレエ学校生と見まがう幼さだったが、真夜中 ねずみと対峙してからは、意志の強い少女となった。スリッパでねずみの王様を叩き、くるみ割り人形を護って、大人びた風情を漂わせる。2幕パ・ド・ドゥでは美しい肢体と明確な技術で、フランス風の優雅な女性に変貌を遂げた。日本では珍しい大人っぽさがあり、今後ドラマティックバレエが期待される。対する池本は、規範に則った美しい踊りと、切れのよい体捌きで、古典の味わいを醸し出す。伸びやかな跳躍も素晴らしい。

この版のドロッセルマイヤーはマジシャン風でコミカルな味わいがあるが、安村圭太はノーブル寄りの造形。回転技駆使のピエロ、コロンビーヌ、ウッデンドールには、後藤健太朗、中沢恵理子、岡崎隼也が配され、マーシャの優しいお供となった。マーシャ父は大きさのある中嶋智哉、母はたおやかな榊優美枝、フリッツは利発な長谷川琴音、ねずみの王様は闊達な岡崎司が担当した。

キャラクター陣も適材適所の配役。伝田陽美・宮川新大の明るく大らかなスペイン、アラビアではフリッツの長谷川と樋口祐輝が妖しく美しい肢体を披露、涌田美紀・井福俊太郎のクリッとした中国、二瓶加奈子・加古貴也・山下湧吾のダイナミックなロシア、足立真理亜・安西くるみ・大塚卓の優雅なフランスと、主役級が揃った。アンサンブルはポアント音なし、男性陣も優雅なノーブルスタイルを身に付けている。

パーティ場面ではシューベルト夫人の伝田に目を奪われた。絶えずその人になり切って、芝居が途切れない。息子にドレスのリボンを引っ張られる際の、そこはかとないユーモアの素晴らしさ。夫の山田眞央とも息が合い、やり過ぎず、目立ち過ぎずの芸達者ぶりだった。

指揮のフィリップ・エリス、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団NHK 東京児童合唱団が、ゆったりと奥行きのある音楽を紡いでいる。

 

新国立劇場バレエ団(12月24日夜、25日、28日 新国立劇場オペラパレス)

振付はウエイン・イーグリング、美術は川口直次、衣裳は前田文子、照明は沢田祐二による。玄関前のオランダ風スケートシーンに始まり、同じく玄関前のクララとフリッツが月に照らされる姿で幕を閉じる。「家族」を中心に物語は展開。ルイーズと求婚者たちによる予告劇、世代継承のグロス・ファーター、両親、姉が顔を覗かせるディヴェルティスマンなど。子役も多く登場、活躍する。パーティ場面で複雑なフォーメーションを紡ぎ出す子供たちは、「戦い」で兵隊と小ねずみとなり、多彩な演技と踊りを見せる。小クララのソロも難度が高く、大人ダンサーだけでなく、子供ダンサーにとってもチャレンジングな作品である。

ジョナサン・ハウエルズがゲスト・コーチに招かれているが、一部脇役の演技、一部ソリストの踊りが向上、アンサンブルには優雅さが加わった。ただしイーグリング振付の鮮烈さ(特に2つのワルツ)、破天荒な演技は陰を潜める。芸術監督が代わり、レパートリー化する過程で、仕方のない変化なのかもしれない。今年は「ニューイヤー・バレエ」を取りやめて、『くるみ割り人形』17公演という、前例のない回数をバレエ団は経験している。

主役6組の内、3組を見た。クララの小野絢子と米沢唯は対照的な資質で、互いに影響を与えながら共に歩んできた。小野は音楽的できらめく踊り、少女らしさ、振付ニュアンスの実現、米沢は心を込めた踊り、優しさ、穏やかさが際立つ。小野はバレエの持つ伝統芸能の面を重視し、米沢はバレエというメディアを通して自らの生を示す。それぞれの道を進んだベテランの境地だった。今季からプリンシパルとなった柴山紗帆は、主役としてスタート地点に立ったところ。2幕PDDの輝かしさ、振付アクセントの身体化は申し分ないが、クララの心情を表す演技については、さらなる探究を期待する。

小野と組んだ福岡雄大は、躍動感あふれる踊りに加え、緻密な演技が抜きん出ている。隅々までドラマを感じさせる舞台だった。米沢と組んだ井澤駿は、鷹揚で伸びやかな踊り。ただ少し上の空になったのはなぜか。柴山と組んだ速水渉悟は、美しい踊りと行儀の良さが特徴。米沢と組んだ時のような爆発力はないが、端正な舞台を心がけている。

ドロッセルマイヤーは、力強く美しい中家正博、ノーブルで洗練された中島駿野、酸いも甘いも嚙み分けた清水裕三郎、ねずみの王様は軽快な木下嘉人、おかしみのある小柴富久修(渡邊拓朗は未見)が配された。ディヴェルティスマンでは、福田圭吾の本格的な中国武術(祖父、老人、ロシアでも元気)、上中佑樹の伸びやかでダイナミックなロシア、仲村啓の晴れやかで包容力あるスペイン、渡辺与布の緊密なアラビア踊り、山本凉杏の誰よりも落ち着きがあって踊りの上手いスペインが印象的。五月女遥の蝶々、飯野萌子の花のワルツ、原田舞子の同じくにはベテランらしい味わい、乳母の木村優子は優しく、徳永比奈子はお茶目だった。

指揮はアレクセイ・バクラン、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団グロス・ファーターの荘厳さ、PDDアダージョの深い悲しみが胸を打つ。母国では禁じられているチャイコフスキーの真髄に迫る指揮だった。バクランは『くるみ割り人形』は子供のような魂で演奏しなければならないと語る。米沢のアダージョでは全身全霊を傾けた音が鳴り響いた。相通じるものがあるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

日本バレエ協会「バレエクレアシオン」2023

標記公演を見た(12月20日 新国立劇場 中劇場)。文化庁「次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」の一環である。演目は吉﨑裕哉振付『ハイランド』、宝満直也振付『でたら芽』、石井潤振付『AYRE』。若手・中堅によるコンテンポラリーの新作と、故人となったベテラン振付家のモダンバレエ再演という、興味深い組み合わせである。

石井潤は長年、新国立劇場バレエ団のバレエマスターを務め、開場記念公演『梵鐘の聲』並びに、『十二夜』、『カルメン』をバレエ団に振り付けた。今回は元ホーム劇場への凱旋公演ということになる。再演の『AYRE』は2008年の初演。12年再演時の制作ノートには、

愛、嫉妬、激しい怒りそして宗教的な切望や祈りから構成されたゴリジョフの〈AYRE〉を聴いた時、祖国を奪われ流浪の民として生活する一人の女の半生を描けないかと思った。(中略)当初はあまり政治的なメッセージを意識していなかったが、現在のこの世界の状況下、民族間や宗教の対立による争いがもたらす悲劇に対して、悲しさや憤りを抱いている事に気づき、どうか少しでもこういう状態が無くなるよう願いを込めた。

とある。現在はさらに状況が悪化し、避難民を描いた本作の再演は意義深い。演出・振付指導は、愛弟子の寺田みさこ、石井千春が担当した。

アルゼンチンの作曲家、オズバルド・ゴリホフの同名曲に乗せて、9景が構成される。「クラシック、ユダヤ伝統音楽、ピアソラで育った」ゴリホフの音楽は、短調を基調とし、東欧、中東の響きが入り混じる民族色豊かなメロディが特徴。音楽に触発された石井の振付は、バレエのパに、深いプリエ、コントラクションを交えたもので、ダンサーたちは全身で感情を露わにさせる。四肢を上方にして仰向けになり、開脚して立ち上がるなど、床(大地)との親和性が高く、大地に根差しながら、そこを離れなければならない人間の哀しみが浮き彫りになった。

女性は臙脂色のターバンにワンピース、男性は上半身裸で幅広のズボン。作品の中軸を担う石川真理子の嘆きのソロ、佐々木夢奈と大森一樹、蛭川騰子と吉田旭、それぞれの愛のデュオ、奥村唯の赤子を抱いた新妻のソロ、佐藤惟の苦悩に満ちたソロが、流れるように踊られる。その間、アンサンブルは纏まったり、遠くに佇んだりして情景の一部となる。様々なバレエ団から適材適所のダンサーが選ばれて、一人の振付家の作品に集中する、その身体の捧げ方には凄みがあった。指導者である寺田と石井の、亡き師への強い想いに裏打ちされた再演と言える。

幕明けの吉﨑作品『ハイランド』(バレエミストレス:池ヶ谷奏)は、冨田勲の『火の鳥』『答えのない質問』、手塚治虫火の鳥』にインスピレーションを得て作られたという。冨田の音楽は今なお新鮮で、中嶋佑一による金属状の多数の紐(下を束ねられ、後に放たれてカーテン状に上昇する)も、力強いインスタレーションだった。吉﨑の確かな美意識を感じさせる。中川賢、本島美和、藤村港平、戸田祈、髙橋慈生、黒田勇等の起用も的確で、多人数のダンサーを配するスケール感も申し分ない。

ただこれらの要素が一点に収斂することなく、バラバラに通り過ぎてしまう印象を受けた。『火の鳥』を下敷きにしたコンセプトが明確でないことも一つにはあるだろう。コンタクトを用いた振付も手慣れているが、なぜこの動きなのか、何を意味するのかが伝わってこない。一見作品として成立しているように見えるが、もう少し自身の得た感動を掘り下げて、それを形にする必要があったのではないか。

バレエ作品を多く作ってきた宝満直也は、今回原点に戻って振付語彙の開拓に臨んだ。『でたら芽』は客電が点いたまま、少女が紙ヒコーキを折る場面から始まる。舞台奥上から手前に向かって吊り下げられた巨大な白い紙に向かって、少女がそれを飛ばす。紙に当たって落ちる音。この白い巨大紙はダンサーがその上で踊る時もカサコソと鳴り、蹴散らされて破れ、最後にはボロボロになって上方に吊り上げられる。背後の光がこぼれ、作品の軌跡と人生が重なり合う終幕を演出した(美術:長峰麻貴)。山田いづみによるベージュ・グレーのTシャツとズボンも美術とよく合っている。

ダンサーは女性16人と宝満。振付は脱力系コンテンポラリーから痙攣風まで。スタイリッシュな動きはなく、オーガニックでシンプル。デュオは対話に、ソロは自分との対話に見える。自分の肚から出た動き、自分と乖離しない動きである。途中、祭儀風フォーメーションや、白紙を持って踊る盆踊り風、ナンバでの動きなど、原初への眼差しを感じさせる部分があった。宝満の新たなフェーズと言える。プリペアド・ピアノのようなとぼけた音や、土俗的な音の繰り返しなど、熊地勇太の音楽が踊りや動きに親密に寄り添っていた。

 

芸劇 dance ワークショップ 2023 発表公演『√オーランドー』

標記公演 GP を見た(12月21日 東京芸術劇場 シアターイースト)。講師・構成・振付・出演は中村蓉、原作はヴァージニア・ウルフの同名作、出演はワークショップ参加者15人で、ダンサー、俳優、劇作家、勤め人、看護師、研究者、学生が含まれるという。2か月の期間中、現代美術の浅野ひかり、中国語中国文学研究者の三村一貴、現代美術の AKI INOMATA、海獣学の田島木綿子の各氏を招いて、原作へのアプローチを深めた。

ロビーには木材でできたクリスマスツリーが飾られ、ある参加者によるリハーサル日記、参加者たち所有の原作本、リハーサル写真、緒方彩乃(アーカイブ作成・演出振付アシスタント・舞台美術)によるリハーサル・イラストが展示された(GP 当日はまだ展示がなかったため、本番を見た知人の写真から)。通常想定される「コンテンポラリーダンスを一般の人たちが踊る」といったワークショップではなく、中村のクリエーションに参加者を引きずり込むワークショップだったことが分かる。

原作は、エリザベス朝から20世紀初頭まで、男から女に変身しながら樫の木のある大邸宅と共に生きたオーランドーの長い生涯を、伝記作家が綴る形式。作家で貴族、バイセクシュアルだった友人のヴィタ・サックヴィル・ウエストと、その一族に捧げられたオマージュである。

原作へのアプローチは、前作『f マクベス』と同じ、要となる原文を抜き出して、身体技法へと結びつける方法。前作と異なるのは、出演者がダンサーではなく、多種多様な職種の人物だったことである。ピナ・バウシュ風の出演者インタビューが行なわれたようで、看護師による寝たきりの人(昏睡状態のオーランドー)への介護実践、経済学者による運ばれながらのオーランドー経済分析、さらに講師の三村氏に扮した俳優が文筆家のニック・グリーンと化すなど、それぞれの職業を生かした場面が散見された。さらにチアリーディングや日舞経験者の身体技法も取り入れられている。舞台中央の樫の木に似せた大木には、チアの緑のポンポン、日舞の白扇が松葉状に飾られ、赤いシフォンの布が掛けられている。昏睡から覚めたオーランドが女性になり、それぞれの小道具を使って踊ることになる。

発話しながらの動きが多く、タンツテアターと言えなくもないが、中村及び参加者のオーランドー解釈への集中、身体への意識が強力で、言葉の多いダンス公演という印象だった。相手の動きを逐一実況する喧しい場面、ほぐれるユニゾン円など、ワークショップの成果が見られるなか、独立した舞踊シーンとしては、卵焼きの味付けから世界観の異なる人と暮らせるかについて、シンメトリーで語り踊る男女デュオが優れていた。最後はジタバタと転がりながら子どものように叫ぶ。中村の愛の形が見えた。

その中村は中ほどでソロを踊る。小津安二郎監督『晩春』の名場面、父(笠智衆)と娘(原節子)が結婚前に京都に旅をし、娘が結婚しないで父と暮らしたいと思い詰めたように話す、その語りで踊る。オーランドーの結婚についての逡巡を、中村が原節子と結びつけたわけだが、ぜい肉のない中村の体は深く内向して、日本的な身体となった。父の説諭に対し、原は「ええ(うんに聞こえた)」と答え、「わがまま言ってすみません」と謝る。これに同期し、中村は「うん」と頷き、向こう向きで首深くうなだれる。その背骨を頂点とする透き通った枯れた背中は、室伏鴻のそれを思わせた。ワーグナーの結婚行進曲が流れ、ひしゃげる中村。

ワークショップ発表公演としては、参加者の新たな地平が切り開かれたこと、個々人の個性が掬い上げられたことがよく分かり、ダンス公演としては、中村のソロ(禁じ手かもだが)、卵焼き男女デュオを筆頭に、クリエイティヴなシーンを多く見ることができた。クラッピングと水滴、ブラームスのワルツ、メトロノームなど、楽曲構成も素晴しい。Eternal Dance(Takasago)楽曲制作は廣庭賢里。