1月に見た公演他 2024

* 天使館『魔笛(1月8日 KAAT 神奈川芸術劇場 ホール)

振付・演出・構成は笠井叡。笠井はポスト舞踏派と称して、これまで『櫻の樹の下には―笠井叡を踊る』、『櫻の樹の下には―カルミナ・ブラーナを踊る』を創作してきた。大植真太郎、島地保武、辻本知彦(辻のシンニョウは一つ点)森山未來、柳本雅寛、笠井が踊る形式だったが(カルミナは笠井がコロナ陽性でリモート参加)、今回は柳本が外れ、菅原小春が加わった。

モーツァルトの『魔笛』を終曲から始める破天荒な構成。衣裳も定番となった黒スーツに高下駄から、褌、長襦袢を経て、最後に『魔笛』の登場人物らしき服装に至る(笠井は最初から黒服)。タミーノ:森山、パミーナ:大植、パパゲーノ:島地、パパゲーナ:菅原、ザラストロ:笠井、夜の女王:辻本と、配役は決まっているが、逆から始まるので、筋を追うことよりも、笠井の音楽的振付を味わう上演になった。

フリーメーソンの三角形に目や、神殿の柱、ピラミッドに砂漠、さらに「現在」を表す砲弾の雨、笠井叡・久子夫妻のオールヌードが、バックに大写しされる(中瀬俊介)。その前で、配役の歌に沿って様々なソロ、デュオ、カルテットが踊られる。大植、島地、菅原、森山によるユニゾンの面白さ。笠井の呪術的な手の動きと斜めのポーズが歩行と組み合わされる。4人の体の質の違い、蓄積されたテクニックの違いが浮き彫りになった。

パパゲーノの島地は本領発揮、伸びやかで柔らかく音楽的。相手を受け止める体である。パートナーの菅原は紅一点の意識なくジェンダーレス、繊細で切れの良い踊りを見せる。島地と菅原のパパパ・デュオは似たもの夫婦だった。

タミーノの森山は控えめに全体を見守る。楚々とした佇まい、湿り気を帯びた体で、糊のような役割を果たした。「お控えなすって」の仁義の切り方が最も様になっている。夜の女王の辻本は、本作が故障復帰となる。動かないブラックホールのような体で、カインの末裔たる女王を体現した。パミーナ大植は今回はオカッパ(最初は坊主、次は美しい長髪)。笠井の振付を真っ直ぐに踊る。笠井の息子と言ってもいいほど。体いじりは相変わらずで森山、菅原とともにブリッジを披露した。無垢な体と魂の持ち主である。

その笠井は、前作で踊れなかったことを取り返すように、一番元気だった。ピンマイクで喋りながら、くるくると楽し気に踊る。弟子たちに担がれて退場する時の嬉しそうなこと。5人のベテラン振付家兼ダンサーが、これほどまでに献身できるのは、笠井の空間だからこそ。5人の笠井振付遂行の偽りのなさ、互いの踊りを見る真剣な眼差しに感動を覚えた。終幕、金銀紙吹雪が舞うなか、死体となって宙吊りになる笠井。西洋的知識の血肉化された体で、日本的霊性を表す唯一無二の存在である。

 

小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『言葉とシェイクスピアの鳥』(1月9日 吉祥寺シアター

吉祥寺ダンス LAB. の6回目。これまではジャンルの垣根を越えたコラボレーションが多かったが、今回は演劇にダンスシーンを組み込んだ公演だった。前半と後半は身体表現を伴った発話や対話、中間部に動きのみの場面がある。これが興味深かった。3人づつのバトルや全員ユニゾンなど。最初は無音、途中から音楽が入る。音楽が入ると少しダンスに見えるものの、全体的には、決め時の吐く息、何か意味を感じさせる手の動きから、手話に近い感触を受けた。手話を全身に拡大させ、東洋武術の足や、体操、スポーツ系の動き(柔道の審判など)を組み合わせた印象。ダンスと言うよりも身体技法の実演に見える。個人による動きの幅はあるが、それぞれの思考の流れ、情緒、感情は排除されている。

15人の出演者はダンサー体型でない人もよく動き、俳優としても発話がこなれている。城崎国際アートセンターのレジデンスを経ているとのことで、全体のパフォーマンスの質は高く、ラボらしい実験性も見て取れた。ただ、身体表現と発話の組み合わせ(少し岡田利規を思わせる)については、直近の山崎広太の詩的喚起力、中村蓉の言語解像度と音楽的抽出力に比べると、語られるテキストの推移が緩くランダムに思われる。加えて瞑想音楽が流れるため、集中するのが難しかった。中間部の身体技法に言葉を組み合わせるとどうなるか、テキストを(題名にある)シェイクスピアから採ったらどうかなど、色々夢想しながらの145分だった。

 

山崎広太ダンス・クラス(1月13, 14日 Dance Base Yokohama)

「舞台作品の制作を心がける方に向けたスペシャルワークショップ」という副題。主催は山崎、共催は Dance Base Yokohama(DaBY)、黒沼千春を中心とする Core Collective の後援による。2日間それぞれ、テクニッククラス、インプロビゼーションクラス、コンポジションクラス(基礎編)が開講された。そのうちインプロビゼーションクラスを両日見学した。 DaBY は一般に開かれた、いつでも見学ができるスタジオである。復元建築のため入れ子構造になっており、外廊下から見学する。例によってスタジオに立つ4本の巨大な柱が、クリエイティブな空間を形成する。

初日は Core Collective のメンバーに山崎をよく知っている人、ダンス経験者だが、山崎の技法を知らない人が混ざっていた。インプロへの道筋を教えるクラスで、手、腹、脚、口、声出し、座位、立位、椅子座り、振り子動きなどが、伝えられる。座位で口を大きく動かした後、同じ動きを体で繰り返すパートが面白かった。そこに音楽が入ると、誰もが途端にダンスになる。山崎がやって見せる動きの繊細さ。優雅で滑らか。すっと動きに入る体の、蓄積、歴史を思わされる。見る者を同期させる親密な体でもあった。

二日目は Core Collective のメンバーに、舞台経験のあるダンサーのみとなった。山崎もリラックスして、阿吽の呼吸で指示を出していく。これで分かるのかと思うほど簡潔な言葉だが、ダンサーたちはすぐに動きを出す。改めて体をメディアにしている表現者の凄さを思った。立位の動きが主で、歩行、言葉出し、点から面で動きを作る、つつきコンタクト、3人インプロ(役割あり)など。

後半は山崎の動きをダンサーが真似るダイアゴナル行って帰り。まるで親鳥が雛に餌を与えるように、次々と動き(養分)を与えていく。それだけでなく、一人一人順番に動きを作らせて、皆が(山崎も)真似るシリーズも。作品と同じように、山崎の体が糊となって徐々に共同体が形成される。

最後は①腹から動く、②正面性のアフリカンダンス、➂それぞれ(覚えてない)を組み合わせて、ポップな曲で全員インプロの嵐となった。その凄まじさ。ダンサーたちはダイアゴナル時に体が出来上がり、3つの動きを必死で覚えて、今はゾーンに入っている。山崎が一つ一つ餌を与えて、インプロが出来るようになる奇跡の過程を見ることができた。終わって車座になると、山崎が「頭が痛い」とつぶやく。動きすぎたか。

 

* Noism✕鼓童『鬼』(1月13日 KAAT 神奈川芸術劇場 ホール)

演出振付は Noism Company Niigata 芸術総監督の金森穣、22年の初演である。作曲は原田敬子、衣裳は昨年11月に他界した堂本教子による。新潟を拠点とするカンパニー、鼓童とNoism Comapany Niigata のコラボレーションとして注目を集めた。作曲を委嘱された原田が「鬼」というテーマを提示し、そこから金森は、鼓童の本拠地である佐渡を舞台に、伝説の役行者と清音尼をモチーフとして振り付けた。清音尼を Noism0 の井関佐和子、役行者を同じく山田勇気、侍女・遊女・鬼を、Noism1 の三好綾音、庄島さくら、庄島すみれ、杉野可林、太田菜月、兼述育見、修行者・鉱山労働者・鬼を、同じく中尾洸太、坪田光、樋浦瞳、糸川祐希、ジョフォア・ポプラヴスキー(ゲスト)、鬼を金森自身が務めた。

改めてダンサー金森と井関がよく似ている。体の質感、腕使い、体捌き。金森の方が力感は優るが、井関はより一層体が研ぎ澄まされてきた。山田は年齢を重ねるごとに武術家としての風貌が濃くなっている。修行僧としても同様。年齢を味方にする Noism0 の存在意義を強く感じさせた。Noism1 のダンサーたちはよく訓練され、金森の東洋的ニュアンスを具現化している。ノイズム・メソッドによる鍛錬の賜物だろう。

再演で方向性が分かっているせいか、原田の楽曲が初演時よりもよく聴こえた。ただし物語の意味が付着し、金森の音楽との呼応が十全に読み取れたとは言えない。抜きん出て優れた音楽性の持ち主なので、原田=鼓童との音楽的一騎打ちを見たかった気もする。

一方同時上演の『お菊の結婚』は、ストラヴィンスキーの『結婚』に振り付けられた。ピエール・ロティの『お菊さん』を基に、フランス人から見た日本人の異形性を人形ぶりに変換。ニジンスカ原典版のエコーもある。ピエールのポプラヴスキー、お菊の井関、楼主の山田、その妻の三好、息子の中尾、さらに遊女たちや若い衆、青年、ピエールの許嫁に至るまで、複雑な音楽を汲み取った振付を精緻に踊っていた。

だがなぜこの原作を選んだのかという疑問も浮かぶ。日本人である金森が日本人蔑視を含む小説を用いる裏には、海外経験からくるシニシズムがあるのだろうか。コンテンポラリーダンスのカンパニーとして、明確な物語を付加した方が、観客に伝わりやすいとの考えだろうか。劇場コンテンツとしては通りやすいが、金森の資質を生かした作品とは必ずしも言えない。21世紀の振付家として、ストラヴィンスキー(と原曲の物語)に素手で勝負し、ニジンスカに対抗して貰いたかった。

 

* Ballet Art Kanagawa 2024『白鳥の湖(1月14日 神奈川県民ホール

日本バレエ協会 関東支部 神奈川ブロックによる第38回自主公演。演出・再振付は石井竜一、バレエミストレスは小島由美子、池田尚子、大滝ようによる。石井版はマイムを採用し、終幕を悲劇で終わらせるオーソドックスなヴァージョン。新演出としては、プロローグでジークフリードとベンノの幼少期を描いた他、3幕の花嫁候補の踊りにオディールを絡ませるなど、随所に工夫が見られる。終幕では、死後のジークフリードとオデットの立ち姿を、ベンノが見守る演出となっている。

新振付は1幕パ・ド・トロワ(村人が踊る)のヴァリエーション、3幕のキャラクターダンス、3幕パ・ド・ドゥのコーダ(新発見曲使用、全員で踊る)など。いずれも音楽性が豊かである。1幕ワルツ、4幕白鳥フォーメーションでは、シンフォニック・バレエを振り付けてきた蓄積を感じさせた。

音楽性に優れる石井だが、演劇性の面では初演とあって分かりにくさが残る。登場人物の出入り(1、3幕の王子)、オディール選択の重複など、物語の流れが途切れる印象を受けた。またプロローグのマイムは、もう少し音楽と呼応した優雅さが望まれる。神奈川ブロックでは橋浦勇版、井上バレエ団では関直人版という優れた先行版がある。石井版の再演に向けて、更なる練り上げを期待したい。

オデット=オディールには福田侑香。ロシア カレリア共和国音楽劇場バレエ団に6年間所属、ソリストとして主役を踊ってきた。演出によりオディールのみを経験しているが、オデットも完成度が高く、古風なロシア派の伝統を感じさせる。一挙手一投足に神経が行き届き、あるべきラインとフォルムを隈なく見ることができた。湖畔のマイムも素晴らしい。品格があり、稀に見る本格派の白鳥だった。

ジークフリード秋元康臣。同じくロシア派の美しい踊りを見せる。王子らしい気品と悲しみの表現が際立っていた。ベンノには高橋真之。道化のパートを踊るせいか、学友に少し道化色が加わっている。献身的な踊りに人の好さが滲み出る幼友達だった。パ・ド・トロワは牧歌的な村娘、勝田菜々穂、西沢真衣に、溌溂とした村の青年、益子倭。益子は舞台をはみだす元気のよさだった。ロットバルトの安村圭太、王妃の三井亜矢、ヴォルフガングの川島春生はやや控えめ。やり過ぎず、心得た演技で舞台に貢献した。

白鳥アンサンブルは指導が行き届いている。ポアント音なし、音楽的によく揃っていた。花嫁候補の率いるキャラクターダンスもそれぞれ見応えがある。チャルダッシュの孝多佑月、ナポリの山下湧吾を始めとする男性ゲスト陣も、ノーブルなスタイルで統一されていた。

指揮の木村康人が俊友会管弦楽団から、情感豊かで引き締まった音楽を引き出している。