ライムント・ホーゲ『牧神の午後』

ピナ・バウシュのドラマトゥルグをやっていたライムント・ホーゲの『牧神の午後』(08年)を見た。(7月14日 KAAT大スタジオ)
ダンサーのエマニュエル・エゲルモンが仰向けに寝ている。頭と足の線上にコップが二つ。ホーゲが茶道のように歩いて、コップに牛乳(最後には乳液に見えた)を注いで、後ずさりしながら下がる。そして上手前で後見のように正座する。結界の作り方は日本的に思える。ホーゲはせむしだった。
振付はニジンスキーの振付を引用し、再構成したもの。脚はほとんど使わず。冒頭はお手前のようなスタティックな動きだった。振付の精密さと、エゲルモンの動きの密度は拮抗している。と言うか、不可分。ホーゲの怖ろしく美的な注文を正確にこなしている。
音楽はドビュッシーの『牧神』や『月の光』等と、マーラー歌曲『亡き子をしのぶ歌』等を交互に使う。エゲルモンはドビュッシーの時には明晰で主体的、マーラーの時には客体的、退廃趣味の対象になった(アーリア民族的ポーズ)。冒頭のお手前も精神をよく表していたが、終盤の菩薩のような手の振りと気の飛ばしも的確だった(韓国経験ありとのこと)。途中、ドビュッシーでタンゴのような足技があった。コンテの教育だと思うが、いかにもフランスの脚、素晴らしかった。
最後、ホーゲが白い液体をこぼして、二人で字を書いたり、絵を描いたりする。そして精神と肉体のように向き合って終わる。1時間15分、少し長い気が。最後も余分のような。しかし優れたドラマトゥルグがきっちり構成して、優れた振付家がきっちり振り付けた上で、動きの質を指定して、優れたダンサーがそれを完璧に遂行する凄さを感じた。見ていて頭がひりひりした。
Noismに必要なのは、優れたドラマトゥルグのような気がする。