新国立劇場バレエ団『シルヴィア』

新国立劇場バレエ団の『シルヴィア』評をアップする。

新国立劇場バレエ団が2012-13シーズン開幕公演として、デヴィッド・ビントレー版『シルヴィア』全三幕を上演した。少年時代、ネヴィル・マリナー指揮の『シルヴィア』組曲を繰り返し聴いた、ビントレー監督のドリーブ・オマージュである。
同版は93年にバーミンガム・ロイヤル・バレエで初演。09年の改訂では、原台本にほぼ忠実な神話物語に、プロローグとエピローグとして、モーツァルトの『フィガロの結婚』とフェリーニの『甘い生活』を援用した、現代伯爵家のエピソードが加えられた。伯爵夫妻、家庭教師と使用人の2カップルが、神話の世界にタイムスリップし、ダイアナとオライオン、シルヴィアとアミンタに変身する演出である。
狂言廻しは愛の神エロス。伯爵家の老庭師や、海賊(原台本)に姿を変え、シルヴィアとアミンタを愛の成就へと導く。
昨シーズンの『パゴダの王子』ほど込み入った作りではないが、物語の原型に対するビントレーの鋭い感覚は、タイムスリップしてもなお、現世の記憶を失わないアミンタを盲目にし、オルフェウスのように愛する人を求め歩く設定にしたことでも明らかである。
今回はまた、男性神に女性が扮するトラヴェスティ、大中小の海賊船を使って遠近を表すロー・テクノロジーで、十九世紀バレエへの讃歌を捧げている。
主要キャストは三組。シルヴィアとアミンタには、バレエ団の将来を担う小野絢子=福岡雄大組と米沢唯=菅野英男組、そしてBRBからは、改訂版を初演した佐久間奈緒とツァオ・チーが招かれた。
初日の小野と福岡は、ビントレーの振付世界を完全に実現できる組み合わせである。小野の繊細なラインと、気持ちのよい弾むような音楽性、福岡のスポーティな踊りと、半ば無意識のロマンティックな肉体が、恋人たちの甘い関係を紡ぎだす。三幕パ・ド・ドゥは恋の喜びに満ちた、闊達な踊りの交換だった。
一方、米沢と菅野の舞台には、古典作品の清澄さが伴った。米沢の振付解釈はある意味、ビントレー作品に客観性をもたらすものである。古典から現代物まで、あらゆる作品に照らし合わされての解釈。さらに、自らの実存をそこに反映させることで、作品を生きた芸術へと昇華させる。盲目の菅野に寄り添うだけで、米沢の深い孤独が感じられた。パ・ド・ドゥのアダージョはお手本のような踊り。ヴァリエーションでは、登場するだけで会場を鎮める、極めて高い境地を示した。
菅野には米沢の行なっていること全てを受け止める度量がある。三幕で目が見えないまま、両手を広げて立つ姿はその象徴だった。踊りはあくまで端正。人間的厚みを感じさせる舞台だった。
ゲストの佐久間とツァオは、初演者らしい安定した演技。佐久間の力みのない自然な踊りと、ベテランらしからぬ初々しさが、ツァオの亭主関白な風厳しさ、激しさを和らげている。二人の長年の歴史が感じられた。
ダイアナには一途で献身的な湯川麻美子、的確な演技の堀口純、華やかな存在感の本島美和が美を競い合った。対するオライオンは、重心の低い古川和則が、肉厚の演技で野生の荒々しさを表現した他、トレウバエフが生真面目な、厚地康雄がノーブルな造形をそれぞれ行なっている。
物語の要、愛の神エロスには、『パゴダ』で新境地を拓いた吉本泰久が、年輪を感じさせる好演。役との絶妙な距離、観客への愛情あふれるコミュニケーションが素晴らしい。他日の八幡顕光、福田圭吾は巧みではあったが、まだ若さが優り、ゴグ・マゴグ役での献身的で切れの良い踊りに、持ち味を発揮した。
バレエ団はニンフ、奴隷、海賊、パーティ客など、新旧の多種多様な踊りを生き生きと踊って、現代と神話世界を無理なく結びつけた。一つ残念だったのは、一幕が洞窟であること。原台本通り、風や草木が薫り、月明りの差す森だったらどんなによかっただろう。
東京フィル率いるポール・マーフィは、エネルギッシュな指揮ぶりだったが、残念ながら、ドリーブの優美な音色を実現するには至らなかった。(10月27日、11月2、3日 新国立劇場オペラパレス)  『音楽舞踊新聞』No.2888(H25.1.1/11号)初出