酒井はな—日本バレエ協会『白鳥の湖』

日本バレエ協会が都民芸術フェスティバル参加作品として、ゴルスキー版『白鳥の湖』を上演、その三日目を見た(3月17日 東京文化会館)。
監修はベラルーシ国立ミンスク・ボリショイ・オペラ・バレエ劇場を長年率いたワレンチン・N・エリザリエフ。2004年にはNBAバレエ団に『エスメラルダ』、2011年には、バレエ協会に『ドン・キホーテ』を振り付けている。
ゴルスキー版と言えば、東京バレエ団の『白鳥』。アサフ・メッセレルとイーゴリ・スミルノフが、64年に改訂導入したボリショイ版である。二幕湖畔のコール・ド・バレエが背景に留まらず、主役を凌駕するほどダイナミックに動く点が大きな特徴。今回のエリザリエフ監修版では、そうした演出は見られなかった。他に目立った違いは、道化の扱い。東バでは、片脚を前に伸ばして座り、両腕を前に寄り合わせてパタンと前傾する古風な挨拶が見られたが、今回はなし。代わりに一幕、三幕では所狭しと回転技を披露する。ディヴェルティスマンの前振りとして踊るのを、初めて見た(ディヴェルティスマン自体、東バ版の方が古風な味わいが残る)。東バ版も踊りが多いが、それよりも多い印象。エリザリエフは『ドン・キホーテ』でも踊りを細かく挿入していた。今回もその気がある。エリザリエフのエネルギッシュな方向性が反映された版のように思われる。

酒井はなの『白鳥』を見るのは5年ぶりだった。新国立劇場オペラ劇場で見るたびに、ものすごく疲れたことを思い出す。今回も疲れた。帰りの山手線で一瞬眠りそうになったほど。新国立時代の白鳥と比べると、内に向かっていたエネルギーが、外向きになったような気がする(以前は勝手に座敷舞と称していた)。今回はもっと生々しく、一つ一つのフォルムに思いを充満させている。一昨年の「オールニッポンバレエガラ」で見た『瀕死の白鳥』を思い出した。踊りのフレージングがなく、エネルギーの塊としてのフォルムが数珠つなぎになっている。また重心が低く、丹田がエネルギーの中心のように感じられる。つまりバレエ(腰高で上昇する踊り)には見えない。そのことと、見ていて異常に疲れることとは関係あるのだろうか。酒井が舞台で格闘していて、それに体ごと引き込まれる、そんな感じ。『白鳥』に限られるが。

序曲が流れると、胸がグーッと熱くなった。福田一雄の指揮(東京ニューフィルハーモニック管弦楽団)。このようにバレエ音楽を愛する指揮者はいない。ドリーブの一音一音を愛でるような指揮、プロコフィエフのたった一音でドラマを立ち上げる指揮、そして自らドラマを生きるような『白鳥』の指揮。指揮台に立つだけで、福田一雄の音になる。年下の誰よりも熱い指揮だった。