新国立劇場バレエ団『ドン・キホーテ』初日と二日目

標記公演を見た(6月22、23日 新国立劇場オペラパレス)。
以前理想的と思っていた組み合わせが逆に。小野絢子は菅野英男と、米沢唯は福岡雄大と。『くるみ割り人形』もそうなったので、『パゴダの王子』や『アラジン』以外はこの組み合わせになるのかも。小野は菅野との『こうもり』で女らしさを出していたし、米沢と福岡はビントレーのモダンダンスでエネルギーが拮抗していた。
初日の米沢は、考え抜かれた演技と踊り。米沢の特徴は、身体(意識)の自在なギアチェンジと、回転技を中心とするずば抜けた技術にある。今回は後者が爆発した。これまで妖精(金平糖)、白鳥、死霊(ジゼル)と、異形の者で、身体意識を変えてきた。今回は人間なので、技術が目立ったということか。グラン・フェッテはトリプル以上(数えられなかった)。扇子スパイラル回しは、確か酒井はながやっていた(訂正:酒井は扇の開閉だった)。酒井は一度、トランス状態のキトリを佐々木大とやったことがある。その時のオペラ劇場の興奮は、それ以降経験したことがない。米沢はすっきりと静かなフェッテ。エネルギーがはじけるのではなく、高速コマの静止状態のような感じ。長唄をやっていたことと関係あるのだろうか。
バジル福岡は万全の体調で、なおかつ気持ちも充実していた。グランパのヴァリエーションは、危険ぎりぎりのところまで楽々と跳んで回る。コンクール荒らしの二人が組むと、という図だった。
そして山本隆之のドン・キホーテ。サポートするだけで物語を立ち上げる凄腕なので、全編山本ドン・キの視線に覆われる。米沢とは組んだことはないと思うが、『アンナ・カレーニナ』で組んだ森の女王の厚木三杏、『椿姫』で組んだグランパソリストの堀口純を、遠くから見つめる。その距離の遠さに、愕然とする。彼女たちと組むことはもうないだろう。だがそうした感慨はこちらの勝手で、山本は視線でサポートしている風にも見える。妖精たちに囲まれるのは、山本の定位置だった。シルフィード、ウィリ、白鳥、眠りの森の妖精、バヤデールに囲まれて、舞台生活を過ごしてきた。キホーテが森の妖精に囲まれる姿が、これほど様になっているのを見たことがない。サンチョの吉本泰久とは王子と道化で組んだ仲なので、阿吽の呼吸。初日は山本の舞台だったかもしれない。バジルの狂言自殺のとき、皆が顔を覆うなかで、ドン・キホーテだけがバジルの動作を見つめていた。山本によって初めて気づいた芝居だ(これまでも多々あり)。
ロレンツォの輪島拓也、ガマーシュの古川和則、カスタネットの踊りの西川貴子が役(踊り)に息吹を与えていた。特にカスタネットの踊りは、初めて十全に踊られた気がする。西川の正確なポジション、その全てに気が漲った円熟の踊りだった。厚木の森の女王も、アクシデントはあったものの、これまでで最高の出来栄え。キホーテと対話し、すべてをふくよかに包み込む踊りだった。

二日目は菅野の舞台。機嫌のいい笑顔、何があってもサポートできる開かれた身体性。小野がこけそうになっても、あわてず騒がず、びっくりしたね〜とでも言うように笑い合う。これほど人間的で自然な包容力のあるパートナーはいない。観客は無意識のうちに、世界が肯定されているのを感じとり、気持ちよく家路につくのである。
小野は大きい踊り(ロシア派?)を見せようと、骨がはずれるのでは、と思うくらい頑張っていた。グランパ・アダージョは輝くエネルギーを発散し、1.5倍くらいの大きさに見えた。そして持ち前のユーモアも。
古川のキホーテは、近くで見た知人は「顔がすんごいおかしかった」と言っていたが、遠目ではよく分からなかった。ただ存在が何もない感じはよく出ていた。エスパーダは福岡。コテコテの関西弁のような踊り。生き生きとしている。初日メルセデス、二日目森の女王の本島美和が、スパニッシュでもクラシックでも大きくゴージャスな踊りを見せた。今シーズンに入って、地に足が着いた感じがする。本来の資質が花開いた。

全体に芝居がツボにはまり、踊りも思い切りがよくなった。コール・ド・バレエのクラシック・スタイルも復活し、いいとこだらけ。ゲスト・コーチはナタリア・ホフマン。キホーテの盾と鎧が異常に重い、という芝居をサンチョや宿の女将だったかがするのが新鮮だった。キホーテの神憑りがよく分かる芝居。