アメリカン・バレエ・シアター『マノン』2014

標記公演を見た(2月28日昼夜、3月1日 東京文化会館)。
まず思ったのが、1月の東京バレエ団ロミオとジュリエット』と同じく、東京シティ・フィルの演奏がよいということ。両者とも上から見たせいかもしれない。現在進行中のパリ・オペラ座バレエ団公演もシティ・フィルだが、やはりいい演奏。なぜ? これまでこんなには思わなかった。12年に宮本文昭音楽監督になったことと関係があるのだろうか(宮本は団員の労働条件がかわいそう、みたいなことを言っていた、ケルンのオーボエ奏者時代と比べてだと思うが)。
『マノン』は3キャスト別々の指揮者だった。連投させないためだろうか。中でもヴィシニョーワ=ゴメス組のオームズビー・ウィルキンズが素晴らしい(ABTの音楽監督)。新国立の『マノン』再演時、新編曲者のマーティン・イエーツが振ったが、それよりもよかった。繊細でダイナミック、音楽を隈なく表現している。いつも微妙になるイエーツ挿入の間奏曲でも、納得のいく演奏だった(他の2人の時は、同じ奏者でもそうではなかった)。舞台も演奏にふさわしい出来だったこともあり、相乗効果があったのかも。
演出はジュリー・リンコンと内海百合。団員は芝居が巧いが、演出はあまり濃密さがない。新国立の初演時、酒井はなが「つつかれた」と言うモニカ・パーカーとパトリシア・ルアンヌに比べると、切迫感なし。新国立再演時はカール・バーネットとルアンヌだったが、新編曲だったせいか清潔な印象。ただし寝室のパ・ド・ドゥで、男女が順に同じ振りをするところは、男が女の真似をしていることがよく分かった。今回は分からず。
セミオノワとコリー・スターンズ、ケントとボッレ、ヴィシとゴメスの順で見た。セミオノワはパートナーが違っていれば(ゴメスだったら)、もっと感情が出せたかもしれない。脚の演技はギエムを思わせる。ケントとボッレはずーっと水色の感じ。感情の刻みが浅いが、自分の踊りを貫いて、と言うか、それしか出来ないけど完璧に練り上げられていて、文句のつけようがない。ピューリタン伝統内のケントと、アポロのようなボッレ(天に腕を突き上げるところ)。似たもの同士に見えた。ヴィシは初めて諸手を挙げていいと思った(アンナ・カレーニナはひどかった)。このために生まれてきたんだと思った。少し品のないところ(老人の財布を覗くところ)は妙なリアリティ。役作りをしていないと思わせるほど、自然な造形。沼地も演じてないように見えた。ゴメスの誠実な懐深いサポートが可能にさせたのだと思う。フォーゲルがどこかで言っていたが、『マノン』のパートナリングは他とは比べものにならない程の密度が必要で、別の人と踊っているのをパートナーに見られると、浮気しているような気になる、らしい。小林紀子バレエ・シアターの島添亮子も、もう一度テューズリーと踊らせたかった。
島添のマノンは体の美しさが抜きん出ている。今回そう思った。特に二幕のソロは誰よりも素晴らしい。