新国立劇場バレエ団『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』

標記公演を見た(3月18、19、23日 新国立劇場中劇場)。ジェシカ・ラングの新作『暗やみから解き放たれて』、ハンス・ファン・マーネンの『大フーガ』(71年)、バランシンの『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』(72年)によるトリプル・ビルである。
3回見て3回とも感じたのは、劇場内に気が回っていないということ。ビントレーが組んだこれまでのトリプル・ビルと比べると、ダンサーの発する熱量が観客の手前で止まっている。パリ・オペラ座、Kバレエカンパニー、ピナ・バウシュ、アーキタンツと重なって、客席はガラガラだったが、それだけのせいではないような気がする。
ラングの作品は、日本で日本人ダンサーが初演することが枷となっているような気がした。東日本大震災がどうしても関わってくる。成仏する前の魂が、白いドーナツ状の浮遊体となって上下する。最後は上昇し、人々は明るい浄土に向かって歩いていく。ラングの他の作品は一部しか見たことがないので、作風の比較は難しいが、一つ一つのムーヴメントが意味に引きずられて、動きそのものの強度に物足りなさを感じた。せっかくオリジナルを作って貰ったのに申し訳ないが(語彙がクラシック主体なのは、ダンサーに当てはめてのことだろうか)。ダンサーたちが奥に向かって歩いたので、こちらの息が向こうへ吸い込まれるような気がした。二日目キャストの本島美和、湯川麻美子が、抽象的な断片から物語を汲み取っていた。さすがベテラン。
『大フーガ』も二日目キャストの男性陣(トレウバエフ、福岡雄大、小口邦明、清水裕三郎)で作品がよく分かった。トレウバエフは武道(合気道?)をやっていたと思うが、その重心の低さと重い切れ味にマーネンのニュアンスが出ていた。福岡は言うまでもなくコンテの王様、巧すぎるほど。小口も石山雄三作品でめちゃくちゃ巧かったが、今回もそう。清水は濃厚なニュアンスを出していた。変な作品。女性は白塗り、花魁のような髪飾り。6番ポジションが内股のように見える(日本の脚)。すり足歩行あり。男女ともに伏し目がちで、目力は使えない。低い重心のプリエ多用もあり、全体に日本的な感じ。変な作品だった。西洋人がやるとまた違うのかも。
『シンフォニー・イン・スリー・ムーブメンツ』がどうしても面白い。天才バランシン。ムーヴメント、フォーメイションは誰にも真似ができない面白さ。脚を閉じで横っ飛びを、例えば今現在、バレエ作品で誰かが振り付けたとしても、奇を衒ったとしか言われないと思うが、バランシンがやると絶対的な振りになる。こうでしかありえないから。確信があるから。ストラヴィンスキーの音楽をCDで聴くと、重苦しく悲劇的なのに、バランシンは平気でやり過ごして、明るくエネルギッシュな作品を作る。でも盟友。だから盟友なのか。対角線に並んだ16人の美女が、ユニゾン、カノンで踊る破格のフォーメイションを、ビントレーは新国ダンサーで見たかったのかも。