山崎広太@「Tokyo Experimental Performance Archive」

標記公演を見た(9月23日 Super Deluxe)。主催は一般社団法人日本パフォーマンス/アート研究所(プロデューサー・小沢康夫)。通常の公演と違うのは、パフォーマンスを映像や写真で記録して編集、新たな映像作品としてネット上にアーカイブし、公開するという点。さらにパフォーマンスのコンテクストを言語化し、歴史的パースペクティブを新たにつくる、とのこと。アーツカウンシル東京の助成を受けている。パフォーマンスをリアルタイムでネット上に配信と、趣意書にはあるが、今回はなかったようだ。山崎の使用した音楽の著作権問題で、「配信時には別の音楽に差し替える」とのコメントが出されたから。
客席は対面式。真中の空き地でパフォーマンスが行われる。空き地の三方には映像カメラ4台、写真家一人が配置され、スタッフが場当たり(?)も行なった。こうした状況で山崎の踊りを見るのは初めて。どういう心持になったかと言うと、山崎の踊りが記録されるのを見ている野次馬、だった。さらに自分も映像に映り込むかもしれない、という変な緊張感。山崎との間に一皮も二皮も隔たりがあった。
山崎はいつもと同じ心境だったと言うかもしれない。踊りにはそれだけの強度があった。題は『ランニング』。冒頭は縞の着物に白い帽子で、正統派の舞踏。重い体、足指、手指の踊りだった。一指し舞うと、着物を脱ぎ捨て、黒いランニングと青い短パンになって、軽快にハチャメチャに踊る。音楽は全て歌の入った洋楽。音楽との呼応が強く、音楽とのデュオ、のような作品だった。昨年のベケット作『ネエアンタ』で見せた踊らない踊りや、日舞の胚胎はなく、発散する動きが多い。最後は再び溜める踊りに戻り、つま先立ち前傾バランスで終わった。
ランニングしている時に考えたことが反映されているのだろうか。終盤に山崎の意識が消えた時間があり、体が引き締まった、と言うか、統一された。目の前の肉体にこちらの意識が入り込む、いつもの山崎体験だった。
併演は音楽家、美術作家、パフォーマーの恩田晃。日常音の録音や、シンバルとビー玉、電子音で音を作っていることしか分からなかった。その場で音を作っているという意味ではパフォーマー、シンバルを並べているので美術作家、なのだろうか。