ナハリン×米沢唯×ギエム

『ダンスマガジン』でオハッド・ナハリンのインタビューを読んだ(2016年1月号)。聴き手は三浦雅士(話はそれるが、NHKの『サラリーマンNEO』で、三浦そっくりの役者が三浦役を演じていたことを書き留めておく)。
元に戻って、面白かったのは、ナハリンが鏡を嫌いだということ。「私はダンスを始めたのが遅かったですから、鏡に自分の姿を写してみるという考えはありませんでした。私は鏡を見るのが好きになれなかったのです。ところが、ベジャールのもとでは男性はみな孔雀のように自分の姿を鏡に写して見ていたのです・・・私たちは鏡を使わずに練習します。鏡を使うことを許していないのです。壁を見、相手を見ることでさまざまなことを感じ取る。自分の外部を感じるのです。そして自分を感じる。」
ダンサーが鏡を見るのは必須だが、自分を疎外することにもなる。バットシェバ舞踊団を見ていて、複雑な振りをしても、ダンサーが自分を保っているのが不思議だった。自分でいることが気持ちよさそうに見えるし、見ている方も気持ちがいい。しかしパフォーマンスについて何かを言う気にはなれない。見せるために踊っているように見えないから(辛うじて作品化されているものもあるが)。
以前、新国立劇場バレエ団の米沢唯が、「子供のころから本が好きで、近視になった。高校の頃、レッスンでメガネを掛けて鏡を見たら、自分のラインが汚いのに驚いた」といったようなことを語っていて、さもありなんと思った。つまり自分を疎外しないで踊っていたのである。そのことが今でも、米沢を唯一無二のダンサーに仕立てている。
もしギエムがパリ・オペラ座バレエ学校に入らなかったら(体操選手になっているだろうが)、似たようなことが起こったのではないか。米沢の好きなジゼル・ダンサーがギエム、と言うのも、よく理解できる。ギエムは引退後やりたいことに、アーチェリー、太極拳、陶芸を挙げている。全て精神性の高いものだ。米沢の父、竹内敏晴が弓道をやっていたことを思い出した。