ボリショイ・バレエ in シネマ『ジゼル』2016

標記映画を見た(6月4日 ル・シネマ1 2015年10月収録)。グリゴローヴィチ版『ジゼル』は初めてだった。主な改訂は、貴族とお供の者がステップを踏みながら登場する点。貴族の優雅な行進は、グリゴローヴィチの好むところだが、演劇的必然性がなく、ドラマを支える振付とは言えない。ただグリゴローヴィチの刻印が押されているというだけ。だが、ザハロワのジゼル造形からは、ボリショイ(またはマリインスキー)の伝統が脈々と流れていることが感じられた。ウラノワからセメニャカに伝えられた細やかな演出・振付を、ザハロワが体現している(ように見える)。一幕の慎ましやかな演技は、これまでのザハロワには見られなかったアプローチ(ジゼルは未見だが)。一挙手一投足が役に奉仕している。二幕の大きいエクステンションは、役柄と懸け離れているとは言え、好きに踊っていた頃からすると、殊勝な踊りに見える。
最も衝撃を受けたのが、二幕のウィリになる瞬間だった。ミルタにレヴェランスしてアラベスク・ターンをする際、通常はいきなり両腕を広げるが、ザハロワはアン・バから徐々に腕を広げていった。羽化するように、翼が広がるように。ウィリ変態を視覚化した、説得力のある振りだと思う。もう一つは演出面。二幕、シモテ手前にジゼルの石の十字架が置かれ、ジゼルは墓石(すっぽん)から出入りする。新国立のマリインスキー版でも最初の頃は、すっぽんや滑車など、機械仕掛けを踏襲して、19世紀の雰囲気を醸し出していた(ワイヤーはなし)。来季『ジゼル』でのすっぽん復活を願う。
ザハロワの演技が変わったと思ったのが、前回のボリショイ・バレエ来日の時。グリゴローヴィチ版の『白鳥の湖』を踊り、こってりと濃厚なオデット=オディールを見せた。そして今回の細やかな演技。ウーリン総裁就任と軌を一にするが、何か関係があるのだろうか。ザハロワのジゼル造形は行き届いていた。だが一方で、どこかアンナチュラルなものも感じられた。芸術的要請、内的必然性よりも、外的な要請を想像させる。殊勝な演技と思わせるところに、ザハロワの自然との乖離がある。
ウクライナカップルとなったアルブレヒトのポルーニンは、色悪風の魅力がある。英国ロイヤル仕込みの繊細な演技と丁寧なサポートは、パートナーとしての強力な武器。二幕アントルシャの高さと持続に、狂気を滲ませた。他の役でも見てみたい。