カンパニーデラシネラ『ロミオとジュリエット』2016

標記公演を見た(7月15日 東京芸術劇場シアターイースト)。この作品は、2011年9月28日に、世田谷ものづくり学校でも見ている。元教室が舞台。2、3mの至近距離から、子供椅子に座って見た記憶がある。今回は機構の整った劇場。照明・音響・衣裳、演出の細部は変わっていたが、実質は変わらず。小野寺修二の傑作だと思う。
構成・選曲の素晴らしさは言うまでもない。マイム、ダンス、発話を含む演技という、異なる表現形態の繋ぎ目を見せない、練度の高い演出がすごい(他の作品ではダンスが突出することもあった)。さらに、役者のマイム・ダンス・演技の強度を、同レベルにする指導力も。加えて小道具の扱い。ルパージュと共有するローテク志向は、劇場マジックへの愛である。小さい人形・馬・家・喋る胸像などを、生身の肉体と地続きに存在させる力がある。
前回同様、最も驚かされたのが殺しの場面。ティボルトのマキューシオ殺しは、マキューシオの持つトマトを、ティボルトがおもちゃの剣で突き刺すことで表す。ロミオのティボルト殺しは、ティボルトが持っていたキャベツを、ロミオがメチャメチャに千切ることで表す(直前にティボルトは、キャベツを昂然とむしって食べている)。天才の発想。
終幕、ベッリーニ『ノルマ』の清冽なアリアが流れる中、息絶えるロミ・ジュリ。客席ではすすり泣く声も。カラフルなリボンが四方から床に投げられると、二人は立ち上がり、全員でフリスビーを投げ合って、生から死に向かって疾走した二人を祝福するように終わる。
出演者は、ジュリエットとマキューシオ以外は前回と同じ。ロミオの斉藤悠は、持ち前の気品に若者の不安定さを滲ませて、はまり役。ジュリエットの崎山莉奈はしっかりしたお嬢様、パリスとマキューシオの王下貴司は、発声がやや上ずっていたが、観客との繋ぎ役をにぎやかに務めた。神父とキャピュレットの大庭裕介は自在、意識が丹田にある。乳母の藤田桃子も、もちろん自在。前回は「ホニャラガ」を連発し、台詞を端折っていたが、今回は、小声で喋る技を駆使して、乳母の滑稽味を見せる。客席のくしゃみに節度を保って反応するのは、いかにもももこん。小型ティボルトの小野寺は、疲れ知らず。キャベツのむしり喰いのみで、ティボルトの不敵な性格を表した。
直前まで学校巡回公演に参加し、25回ほぼ連日の過酷なスケジュールをこなしている。通常の演劇よりもはるかにきつい気がするが、これほど面白い芝居を見ることができた子供たちは、幸せだと思う。