横浜ダンスコレクション『VESSEL yokohama』2017

標記公演を見た(1月26日 横浜赤レンガ倉庫1号館)。横浜ダンスコレクションの開幕作品である。振付はダミアン・ジャレ、舞台美術は名和晃平、音楽は原摩利彦(特別参加:坂本龍一)。出演は森山未來、エミリオス・アラボグル、浅井信好、森井淳、皆川まゆむ、三東瑠璃、戸沢直子。国内ですでに3回上演されているとのことだが初見。とても面白かった。
舞台中央に白い楕円の小山、中央は窪んでいて、底から白い液体(片栗粉を水で溶いたもの)がブクブクと泡立っている。温泉状態。薄暗い空間のそちこちに人体の塊。二体が抱き合い絡み合って蠢く。よく見ると黒い床には水が張ってある。時折人体が、と言うかダンサーが、バシャバシャと水音を立てたので分かった。当初はあまり動かず、舞踏か、と思ったが、徐々に頭を絶対見せないこだわりが見えてきた。女性3人、男性4人が、ひたすら頭を隠して動く(全員パンツのみ)。首倒立でゆらゆら揺れたり、背中を甲虫のように6体(7?)並べて互いにぶつかり、上下に動き、グニャッとくねる。さらに肩甲骨回しも。そのユーモラスなビジュアルに笑ってしまった。クラシック・ダンサーの背中は恐ろしく筋肉が割れているが、こちらは首を中に入れているせいか、丸みを帯びてつやつやしている。一個一個がおいしそうな背中だった。
人体二体が組んで作るフォルムは、縄文の火炎土器、食虫植物、ヒンズー神の合体、(舞台美術もそうだが)女性器などを思わせる。が、最終的には物(ブツ、モノ)に行きつく。その清々しさ。振付家の美意識の押しつけもなく、ダンサーの個性の押し売りもなく、ただブツが蠢き、形を作る。ジャレの肉体を使った動きの探究は、名和の空間と共に、原初的な祈りにも似た素朴なストイシズムを纏っていた。ただし、バックに流れる轟音や機械音が定型を促し、俗世に我々を引き戻す。もし無音でこれらが行われていたら、肉体への愛しさがさらにしみじみと滲み出てきたのではと想像する。最後は、森山が窪みの前でついに頭をもたげ、片栗粉のどろどろを顔に塗りたくる。深みに入り左右にロボット動き、そして白い液体の中に、赤子のように沈んでいく。なぜ森山は、と言うかジャレは、最後に顔を見せることにしたのだろう。森山が映画『怒り』で見せた気持ちの悪い怒りの表出が思い出されて(こっちの勝手だが)、余計なものを見た気がした。森山はもっと個性を殺さなければならなかったのでは?