谷桃子バレエ団 「Contemporary Dance Triple Bill」 2017

標記公演を見た(7月2日昼 かめありリリオホール)。演目は、島地保武振付『セクエンツァ』、柳本雅寛振付『Nontanz』、広崎うらん振付『Pêches』。かねてよりコンテンポラリー・ダンスに意欲を見せていた新芸術監督 郄部尚子のヴィジョンを反映した公演である。島地、柳本は、コンテンポラリーダンサー・振付家として国内外で活躍、広崎は自主公演を続けながら、演劇畑とタグを組む演出・振付家。出自や経歴を異にする3人の振付家が、クラシックを基盤とする谷のダンサーとどのように向き合うのか、興味深い企画である。
幕開けの島地作品は、男女5人ずつがルチアーノ・ベリオの器楽曲で踊る。前半はヴァイオリン・ソロでバレエ語彙を拡張した振付。ポアント無しからポアント有りへと移行し、当然フォーサイスを連想させるが、異なるのは、クネクネ動きや、左右の小刻みジャンプが差し挟まれる点。後半は、ハープやトロンボーン・ソロによるデュオやトリオがダイナミックに躍動。バレエ語彙を離れ、島地自身の体から生み出された動きが横溢した。“一旦カーテンコールをしておいて、後半が始まる”、“突然客電が付いて、電光掲示板に1:30が点灯し、ダンサーが「1時30分」と告げる”など、人を喰った演出はいかにも島地らしい。破格、破調を目指しつつ、常に自分の身体から離れない点に島地の誠実さがある。
「本番の日までには、もちろん仕上げなくてはならないという気持ちはありますが、でもどこかではもっと長い年月をかけて、たどり着くものがあると思いながら、ダンサー達とリハーサルを積み重ねています」(プログラム「座談会」)という島地の言葉は、ダンスの可能性をダンサーと共に探ろうとする、つまりダンスのコミュニティを作ろうとする自身の姿勢を明らかにしている。実際の舞台でも、蓮池ういのクネクネ踊り、馳麻弥のゴージャスな肢体、山口緋奈子と竹内奈那子の華やかコンビ、佐藤麻利香、古澤可歩子の繊細な踊り、横岡諒の伸びやかで大きな踊りと献身的サポート、吉田邑那の左右ジャンプ、市橋万樹の掟破り、安村圭太の切れ味、守屋隆生、池澤嘉政の人間味と、ダンサーの個性と可能性があふれかえり、ダンスのコミュニティが実現された。
二つ目の柳本作品は、松本じろのピアノ、笛、ギター、声による和洋混淆民族的音楽をバックに、6人の女性と5人の男性が踊る。床でグニョグニョ動く、固まって動く、走って回る、走る足音でリズムを作る、ミニマルな音楽で手のダンスをする、一列になって腹式呼吸をする、などの動きがあり、学校生活によって体に刻まれた集団行動への快感が、通奏低音となっている。が、基本的には空間を規定し、音楽の曲想を反映するバレエ出自の振付である。最後は低くなった男性の股に女性が首を入れて逆立ちをする破天荒なシルエットで終わるが、中心には、齊藤耀と牧村直紀の体の境界がなくなるようなデュエットを置くなど、構成への意志は明らか。ダンサーを駒とすることも辞さない強烈な美意識の持ち主である。豪放磊落に見えて細かい柳本、神経質に見えて偶然性を許容する島地。バレエとの距離を測る上でも、興味深い二作並列上演だった。
最終演目の広崎作品は、題名の「桃」から分かるように谷桃子に捧げる作品。尾本安代、郄部尚子、伊藤範子、樋口みのり、赤城圭、齊藤拓のベテラン勢に、若手ダンサーたちがアンサンブルを形成する。ラフマニノフのピアノ協奏曲を使用し、赤い靴をモチーフとした演劇性、内面を動きに変えようとする衝迫、踊りのエネルギーを特徴とする。さらに多人数を踊らせる工夫も見て取れる。ただし、コンセプトが分かりにくく、振付もクラシック・ダンサーの技量を生かすには至っていない。むしろ郄部、尾本、赤城の演技、伊藤、齊藤の踊りによって、作品の輪郭が見えた可能性もある。郄部が相変わらず抜きん出たダンサーであることが分かるという美点はあったが、バレエ団、振付家の双方を生かす作品とは、残念ながら言えなかった。付け加えれば、齊藤拓はクラシックは言うまでもなく、優れたコンテンポラリー・ダンサーである。どの振付家と合わせるにしろ、もっと踊らせるべきだった。