島地保武 @ Open Lab「ダンサー言葉で踊る」vol.3 2020

標記イベントを見た(9月12日 Dance Base Yokohama)。表題は「W. フォーサイスと出会う~Before & After~」。

当日、DaBY 最寄り駅「馬車道」の改札を出ると、巨大な構造物が地下広場に。Bank ART Studio NYK の内外を簀子(?)で覆った、あの川俣正の作品だった。銀色のフェンスパネルをツリー上に立てかけ、縦長の竪穴式住居を作っている。中に入ると、金属なのになぜか懐かしく、子供時代の「囲まれて安心」感が蘇る。近くの Bank ART Temporary と「新高島」駅地下の Bank ART Station で、『都市への挿入』と題した展覧会を開催中とのこと(9/11~10/11 未見)。

本題に戻って、島地保武の踊りを初めて見たのは、山崎広太の作品だった。長身で体の柔らかい若者が、山崎の変幻自在なスタイルを慎ましく踊りこなしている。作品の核となりうる器の大きさが、すでにあった。師匠の加藤みや子作品では、砂の上を白塗りで舞踏風に歩く。粉にまみれた体が黄粉餅のように柔らかく、瑞々しかった。加藤が足を怪我した際には、ロビーで師をおんぶする姿も。また同じモダンの井上恵美子作品では、昆野まり子と濃厚なデュオを踊って、優れたパートナーとなる予感を、バレエの鈴木稔作品では、フォーサイス風の振付を華やかに踊って、海外渡航の予感を抱かせた。

渡航前に入った Noismでも、立ち上げたばかりのカンパニーを支える主軸ダンサーに(2004-06)。ザ・フォーサイス・カンパニー入団後は、あまり見る機会はなかったが(2006-15)、在籍中にも帰国して、パートナー酒井はなとのユニット「アルトノイ」で現状を報告した(1)。退団後は、谷桃子バレエ団(2)、環 ROYとの共作(3) 、KAAT 神奈川芸術劇場4)、新国立劇場バレエ研修所(5)などで、振付作品を発表している。また、森山開次作品(KAAT)では深いバリトン発話を披露(6)。直近では長塚圭史作・演出『イヌビト』に出演し、女形と犬化の演技で圧倒的な存在感を示した。顎髭を残したまま、体から女性になり、しかも自分であり続ける。犬化する際の剃刀のような切れ味。グーの手で皿をつかみ、四つん這いで伸びをする力感が素晴らしかった。

トークは、中央に島地、カミテにナビゲーターの唐津絵理(DaBY アーティスティック・ディレクター)、シモテにホストの小㞍健太(DaBY ダンスエバンジェリスト)という配置。島地のダンス前半生を映像と共に辿った。以下はその概要。

 

● 1978年生まれ。中2のとき「ダンス甲子園」にはまる。ビデオを見てノートをとり、友人と二人、給食の配膳室で踊っていた。

● 高校では空手部。ダンスは休止し、型を新たに作っていた。

日本大学芸術学部演劇学科演技コースに入学。面接で「踊りたい」と言ったが、合格した。常に洋舞コース生と一緒にいて、単位と関係なく様々なクラスを受けた。モダンダンス 旗野恵美先生のコントラクション&リリースのクラスは、面白かった。授業の最後に、テーマを与えられて作品を創った。小㞍「最初から踊りと創るが一つになってるんだ。」

● ストリートダンスも再開し、ボキャブラリーを増やすために、クラスを取っていた。

● 初めての師匠 加藤みや子先生の授業で、ベジャールの『ボレロ』を見て感想を書いた。バレエは男性ダンサーのタイツが気持ち悪かったが、すぐに始める(理解できないことをやりたい性格)。フォーサイスの映像を見て、ヒップホップだと思った。

● 4年生の時、東京バレエ団に入団(シャッセも分からないのに)。単位がたまっていたので、公演には出なかった。

●( 山崎)広太さんのカンパニーは在学中から始めて、卒業後はツアーを回った。「面白いよ」と人に言われたのがきっかけ。クラスでは無意識のところを「違う、違う」と指摘された。広太さんを踊っていたから、フォーサイスに行ったと思う。

● この人と働きたいと思ったら、必ず働ける(『イヌビト』長塚さんにも直接出たいと言った)。

● Noism はワークショップを受けて、オーディションで合格した。(金森)穣さんの踊りを見てびっくりした。楽しく踊れると思った。

● ヨーロッパでオーディションを受ける時、(小㞍)健太の家に泊まった。最初からザ・フォーサイス・カンパニーに入れるとは思っていなかった。あちこち受けて、ここではだいたいこうなると予想がついたが、フォーサイスのところは「怖いな」と思っていた。(安藤)洋子さんから「背の高い中国人が抜けたよ」と連絡がきて、行くと合格した。

● 入団してすぐに『クインテット』のソロを踊った。フォーサイスに行って、「やっていいんだ、息ができる、生きれる」と思った。フォーサイスは固まろうとしたら、壊すのを喜ぶ。自分でも出来上がった振付を捨てる。本番中に新たな指示があることも。公演は昔は1日4回だったが、自分が言った頃は2回になっていた。

● 小㞍「島ちゃんとフォーサイスは、動きの作り方が似ている。島ちゃんは思考回路を理解する。自分は振付として覚える。NDT にいた同僚がフォーサイスのところに行って、すごい悩んでた。」

島地「自分もレパートリーの振付を覚えるのは苦労したけど。フォーサイスに〈君は僕を理解している〉と言われたことはある。」

● インプロは初めからやっていたが、フォーサイス以後は、よりレイヤーが複雑になり、他人と共有することが加わった。相手を感じ取ろうとするようになった。

 

トークの前に、島地と小㞍による20分のデュオ・パフォーマンスがあった。無音でコンタクトのような絡みを続ける。時に手を消毒したり。チェルフィッチュ岡田利規が、酒井はなの『瀕死の白鳥』について言ったように、(映像ではない)生の肉体は情報量が多い。二つの肉体は、違うタイプであると言い続けていた。小㞍はホストという役目もあるのか、やや控えめ。島地を生かそうとしていたのか。いずれにしても、両者の美点を発揮するには至らず。

島地の現状を覆そうとするインプロ精神、小㞍の動きと音楽の両方にまたがる緻密な振付解釈は、そもそも噛み合わない。むしろ同じ音源で、ダブル・ソロを踊った方が、個性を発揮できたかもしれない。振付家としても、島地はコミュニティを作ろうとするアプローチ、小㞍の可能性は、その優れた音楽性から、ネオクラシカルなバレエ作品にあると思う。