薄井憲二氏を追悼する2018 【追記あり】

舞踊家で舞踊歴史研究の薄井憲二氏が、昨年12月24日に亡くなられた(享年93歳)。著書『バレエ 誕生から現代までの歴史』(音楽之友社 1999)の著者紹介によると、「1924年東京生まれ。東京大学経済学部卒。東勇作、ヴィタリー・オシンズ、アレクセイ・ワルラーモフに師事。モスクワ、ヴァルナ、ジャクソン国際バレエ・コンクール審査員を歴任。現在日本バレエ協会常務理事、ロシア国立モスクワ・ボリショイ・バレエ・アカデミー名誉教授。著書『バレエ千一夜』訳書『バレエ』『踊るニューヨーク』ほかがある。」その後、2006年から15年まで日本バレエ協会会長を務められた。訳書は他に、ダニロワの生涯を描いた A.E.トゥイスデンの『あるバレリーナの半生』がある。またバレエ・リュスの世界的コレクターでもあった(参照:http://d.hatena.ne.jp/takuma25/20170322/1490173936)。
冒頭の肩書は「バレエ年鑑2018」アンケートの回答を踏襲したものである(『ダンスマガジン』2018年2月号)。ご自身でも「私は評論家(など)ではありませんから」と言われていた。評論家の不勉強をお怒りになる姿が目に見えるようだ。因みに最後の寄稿となった回答には、長年愛し続けた熊川哲也による『クレオパトラ』と振付家としての熊川の名が挙げられている。
日本バレエ協会会長を体調のせいで退かれ、加療を続けてこられたが、お会いする時には、以前と変わらぬノーブルなお姿を拝見することができた。最後にご挨拶したのは、昨年のバレエ協会『ラ・バヤデール』(1月)以降、セルゲイ・ヴィハレフ急逝(6月)の間。確か新国立劇場だったような気がする。鋭い目つきで目礼を返して下さった。ヴィハレフの死は、薄井氏にとって大きな打撃となったことだろう。慟哭のような追悼文が『ダンスマガジン』2017年9月号に掲載されている。(参照:http://d.hatena.ne.jp/takuma25/20170615/1497505244)。
薄井氏を最初に認識したのは、その文章によってである。著書に加え、『ダンスマガジン』『バレエ』『オン★ステージ新聞』への寄稿文、新国立劇場バレエ団、井上バレエ団等の公演プログラムに掲載された作品解説やバレエ・エッセイ、さらに日本バレエ協会公演プログラムの会長挨拶など、どれを読んでもすぐに薄井氏だと分かるノーブルで簡潔な文章だった。学識の深さは言うまでもない、文章自体に読む快楽のある稀少な文章家だった。明晰な論理性を備えながら、思いもよらない詩的跳躍があるのは、同じ学部の後輩で思想家の柄谷行人と共通する。政治的信条は当然異なる(と思う)が、思考の貴族性という点で似たものを感じる。
個人的にお話しできたのは、第3回「ブルノンヴィル・フェスティバル」でのことだった。世界中から著名な舞踊史研究家、批評家が集まり、薄井氏もその一人だった。こちらはブルノンヴィル好きというだけで、井上バレエ団のツアーに入れて頂き、初めて海外の劇場を体験した。薄井氏のことは遠巻きに窺うのみだったが、2、3日経って、同行の井上バレエ団理事で現日本バレエ協会会長の岡本佳津子さんに、「薄井先生が怒ってらっしゃるわよ、こちらから挨拶するわけにもいかないしって」と言われ、初めてご挨拶に伺った。プログラム等を拝読していることをお伝えすると、笑顔で応えて下さった。「何に興味があるの?」と訊かれ、「ブルノンヴィルです」と答えると、19世紀バレエの専門家の女性をご紹介下さった(その意味の深さは当時分からなかった)。また「バレエ研究にはロシア語とフランス語が必須です」とおっしゃったが、第二外国語のフランス語ですらままならない。その後、氏はバレエ協会の会長に就任され、主催公演をこちらが批評する立場となった。氏の作品選択は、意外にも審美的な基準ではなく、人間関係から端を発しているように見えた。そこが却って面白く、好きなものは全て集めるコレクターの熱情の一端を見た気がした。ある時には「熊川くんをいじめないでね」とも言われた。批判的に書いた拙評を読まれたのだろう。薄井コレクションには海外ダンサーのブロマイドに混じって、若き熊川のブロマイドが収蔵されている。


【追記】
薄井氏が日本バレエ協会会長時代に導入したメアリー・スキーピング版『ジゼル』は、日本のバレエ受容史において非常に重要な作品と言える(2010、2012年)。プティパ以前の版に遡ろうとする試みで、一幕ジゼルとロイスの牧歌的パ・ド・ドゥ、二幕の怒りのフーガが復元振付されている。さらにウィリの踊り方をシルフィードに近づけていることも示唆的だった。軽やかに飛翔し、微笑みながら男たちを襲うウィリの姿に、原台本に即したロマンティック・バレエの感触があった。他にヴィハレフ復元版『コッペリア』(2015年)も導入し、プティパ芸術の粋を知らしめている。