神村恵@「ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん」 2018

標記公演は、日本女子体育大学ダンス・プロデュース研究部主催のコンテンポラリーダンス公演(5月11日 あうるすぽっと)。コンテンポラリーダンスの現役振付家を招聘し、同大舞踊学専攻生がダンサー、裏方全般を担う。11回目に当たる今回は、白神ももこ、神村恵、福留麻里が振付を行なった(上演順)。白神の動きそのものの追求、福留の動きの始まりの追求は、ボキャブラリー開拓の意味で大きな教育的意義があった。一方、神村の場合は、学生をただ目の前にいるダンサーとして捉え、作品を共に作り上げている。
神村作品『直進するためのいくつかの方法』(30分)は、ポストモダンダンスの系譜にある。日常的身振り、ミニマルに切り詰められた振付、さらにそこから滲み出る原初的紐帯がその証である。ダンサーは当然女性のみだが、初期ローザスのような少女性やナルシシズムはなく、存在の底にまで降りていく偽りのなさ、他者への誠実さが身体化されている。四つん這いになったダンサーたちが、水銀のように徐々に集まる場面が素晴らしい。一種動物と化して、互いの気配のみを感じながら、中央に集まり、前進する。また縦一列に密着して立ち、少しずつ前進する場面。民族舞踊に見られるような無意識の同期がそこにあった。
うつ伏せになるだけで、空間が築かれるのは、また後ろ走りするだけで、ダンサーの体に強度があるのは、どのような指示が出されてのことだろうか。日常的身振りから原初的身振りへの変容(無意識化)はどのように行われているのだろう。音源は、コツコツという打音、弦音、警報のような音、ピアノ音等が録音されたラジカセ。それをダンサーたちが持ち歩いたり、置き換えたりするため、空間の移動が目に見える。唯一の生音、ダンサーが横一列に並んで口を鳴らす音は、何かの合図か、水滴が落ちる音にも聞こえる。素朴な味わいがあった。
踊り終えたあと、ダンサーたちは別の世界に行ってきたような洗われた表情をしていた。自分と向き合う経験でもあったのだろう。神村は東日本大震災チャリティー公演で、被災者に伴走するソロを踊っている。日常的身振りの中に、ラディカルなまでに愛とパトスを込められるダンサー・振付家である(参照:http://d.hatena.ne.jp/takuma25/20111231/1325335115)。