Noism01『ROMEO&JULIETS』 2018

標記公演を見た(9月14日 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)。演出振付は芸術監督の金森穣。本拠のりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館で3回、富山市オーバートホールで1回、今回共演した俳優達(SPAC)の本拠 静岡芸術劇場での2回公演を経た、埼玉公演3回の初日である。
劇的舞踊4作目は、シェイクスピアの戯曲(台本:金森)、プロコフィエフの音楽を使用。前作『ラ・バヤデール―幻の国』よりも俳優の数を増やし、舞踊と語りの混淆、車椅子ダンス、手話での語りなど、表現手法の実験性をさらに追求した。また、現実になりつつあるアンドロイドやサイボーグと人間の関係がリアルに描かれる。舞台は近未来の精神病院。『ロミオとジュリエット』の物語は患者の妄想で、看護師や医者は医療と物語の二重のレベルで介入する。ロミオは車椅子に乗り(最も狂気に近いということか)、車椅子を押すアンドロイドの看護師が、ロミオの後を追って心中、物語はアンドロイドの恋に収斂する。鈴木忠志から平田オリザまでを射程に入れた演劇へのオマージュである。
鏡の衝立、ランプ、炎の皿、黒衣と馴染深い道具立てに、今回は三方を出入り自由な鎖のカーテンで囲む(美術:須長檀、田根剛)。衣裳(YUIMA NAKAZATO)は透明感のある白を基調とした病人服に、金の腕飾り、顔にはペインティング、医療側も白服で、看護師2人はそれぞれ胸とお尻を強調する。オケ・ピットは死の空間、マキューシオ、ティボルト、ロミオとアンドロイド看護師が、正面から奈落へ落ちる。鈴木メソッド発声の俳優達は、音楽との関係か、マイクを使用。ただし声の遠近がなく、ダンサーの生の身体に対して強すぎる印象だった。地声の方が声の持つ身体性が生きるのではないか。その中で、キャピュレットの貴島豪、夫人の布施明安寿香に、ドラマティックな感情の起伏を見ることができた。ロミオの武石守正は、定型とは異なり骨太なタイプ。車椅子早走りの運動性、死体となってからの身体性に強度がある。
金森の演出は、初演ということもあり、見る側の感覚の閾値を超える場面が散見された。音楽と発話と踊りが重なる場面は強烈ではあるが、それらすべてを感受することはできない。一方踊りの場面は、音楽性の鋭さは変わらぬまま、円熟味が増している。ティボルト(中川賢)、ベンヴォーリオ(吉粼裕哉)、マキューシオ(チャン・シャンユー)による肉弾相打つ男性トリオ、ジュリエット5人によるユニゾン、カノンの素晴しさ。浅海侑加、鳥羽絢美、西岡ひなの、井本星那、池ヶ谷奏が、亡霊のように俯きながら次々と登場し、車椅子のロミオに思いの丈を伝える。それぞれに個性があり、自分を出し切る強さがあった。特に池ヶ谷は自在な動き、情熱の強さで際立っている。5人がベッドの上で仮死状態になり、一つの生物のように動く場面には振付の妙があった。
井関佐和子のアンドロイド振りは素晴らしい。ピコピコと音が聞こえるような歩行、体の殺し、磨き抜かれた美しさが、リアル(?)なアンドロイドを現前させる。山田勇気演じる献身的使者からロレンス神父の手紙を取り上げ、ジュリエットに成りすますが、ロミオは気付かず自死。膝を着いてくずおれる井関のフォルムに、アンドロイドの悲劇が見えた。続いてロミオを担ぎ、共に奈落へ落ちるまでの緻密な振付には、金森の強靭な思考の跡が見える。その衝撃の強さに、終幕の鎖のカーテンが落ちる音は余計に思われた。
医者とロレンスを演じた金森の踊りは、重厚だった。腕の鮮やかさは金森の個性。美しく力強く雄弁である。ノマディック・プロジェクトで、平原慎太郎とユニゾンした腕の踊りを思い出した。井関とは兄妹のような身体性。普通に二人のロミオとジュリエットを見られないのは残念である。