3月に見た振付家・ダンサー2019

熊川哲也 @ Kバレエカンパニー『カルメン(3月8日 オーチャードホール

2014年初演、3度目の上演。初演時のやや生硬な印象とは異なる、豊かでふくよかな演出だった。登場人物にふさわしい振付が、細やかに上書きされ、それぞれの人物が自立して見える。熊川印を刻みつつ、創作することで増やしてきた多彩なボキャブラリーに、改めて驚かされた。音楽と感情が完全に一致した動き、見るオペラである。

物語の流れを常に見守る道化のような娼婦は、いかにも熊川らしい演出。そのペーソスあふれる優しさが、観客と舞台を橋渡しする。終幕は、ホセがカルメンをピストルで撃ち、その亡骸を抱いて歩き出す。その姿を物陰から見るスニガと部下。外部の視線が加わることで、悲劇が一つの物語へと収斂する。音楽も愛のテーマ(間奏曲)が流れた後、序曲のにぎやかな出だしで締めくくられた。

スニガのスチュアート・キャシディが出色の演技。その佇まい、一挙手一投足が、物語を明確に指し示す(敬礼の素晴らしさ!)。終幕、ホセを見張る立ち姿のみで、悲劇が一気に俯瞰され、ホセの人生が浮かび上がる。日本にいながら、英国バレエ正統の演技を見られるのは僥倖。キャシディの熊川への友愛、バレエ団への愛情のおかげである。

 

オルガ・スミルノワ @ マニュエル・ルグリ「スターズ・イン・ブルー」(3月8日 東京芸術劇場 コンサートホール)

ルグリの、音楽とダンス・クラシックの規範への愛が結実した企画。中でもスミルノワはダンス・クラシックの化身だった。演目は『瀕死の白鳥』(フォーキン)、『タイスの瞑想曲』(プティ)、『OCHIBA~When leaves are falling』(パトリック・ド・バナ)。クラシカル、モダン、コンテンポラリー系、それぞれの語彙で踊ったが、フォーキン、ド・バナで個性を発揮した。

『瀕死』は美しいと言うよりも、古風。白鳥を描写するような冷静さがあるが、冷たさはない。伝えられた振付を、何も足さず、何も落とさず踊り、作品の命脈を保つことに自らの体を捧げている。バランスのよい美しいフォルム、緻密なポアント遣いに、息をのんだ。以前ボリショイ来日公演で踊ったオデットを思い出す(参照)。一方、ド・バナ作品では、薄衣をまとってパ・ド・ブレ、正座して横たわるシークエンスをミニマルに繰り返す。フィリップ・グラス音楽の体現者。「抒情的ではない」透明感は、ダンス・クラシックの伝統をそのまま生きているから。だが形式主義ではなく、その場で動きを生み出す生成感が強い。謎である。

 

島地保武 @「エトワールへの道程2019」(3月16日 新国立劇場中劇場)

新国立劇場バレエ研修所の修了公演。島地振付の『彩雲-Iridescent clouds-』は、14期修了生4人と、15期生4人に振り付けられた。バクラン指揮、東京フィルが奏でるヘンデルに乗せて、女性6人、男性2人が踊る。急に音が止まるところは、島地らしい(バクランも協力)。ひびのこづえデザインによる、蛍光黄緑色のフード付きオールタイツが可愛い。後半はバックドロップが上がり、裏舞台から堂々たるパーキンンソン赤城 季亜楽が、風船の入った宙に浮く長いガウンを引いて登場する(ひびの作)。このガウンは宙に浮いたまま、ポップなインスタレーションとして機能した。

振付はポアント使用で、バレエのパを用いる。そこにお尻をブリブリさせたり(誰だったか)、クニクニ動きを細かく入れる。そのくずしの品の良さ。ダンサーに自由を与えつつ、ポジティヴな共同体を作っている。カーテンコールでは島地を中心に手をつないで挨拶。カーテンが下りるとともに、全員がしゃがみ込んで最後まで顔を見せた。バクランも楽しんでいたようだ(バクランは、年末からずっと日本の指揮者になっている)。