5月に見た『ドン・キホーテ』 2021

Kバレエカンパニー『ドン・キホーテ(5月19日 Bunkamura オーチャードホール

演出・再振付・舞台美術・衣裳デザインは芸術監督の熊川哲也。2004年の初演以来、再演を重ねる重要なレパートリーである。熊川版は、熊川自身が踊ったバリシニコフ版を基盤とし、そこに英国的な様式性と細やかな演技が加えられている。今回さらにバジルとエスパーダの鍔迫り合いが振り付けられた(居酒屋)。2幕冒頭のアダージョは、前音楽監督で現名誉音楽監督 福田一雄による原曲ピアノ譜からの編曲。2幕の間奏曲も福田好みの「キューピッドたちの踊り」を使用。終幕のスペイン色濃厚な曲も素晴らしく、いわば熊川と福田の合作版と言える。

主役4キャストのうち、初日の日髙世菜と高橋裕哉を見た。3月の『白鳥の湖』に続く組み合わせである。日髙は今回もベテランらしい落ち着きで舞台をまとめている。全く毛色の異なる作品にもかかわらず、3月と同印象を受けるのは、日髙の個性が発揮されているからだろう。高い跳躍を誇りながら、重心の低い、丹田を意識した佇まい。技を切れではなく、ややまったりとした自分の間合いで見せる。グラン・フェッテなど決めるべき所もあっさりと、演技もことさらではなく、かと言って大らかというのでもない。一貫して自分の芯がぶれない、不思議な存在感の持ち主である。対する高橋はノーブルなラインに人柄のよさが滲む。やや控えめなバジルながら、熊川初演のチャレンジングな振付を、鮮烈な腕遣い、思い切りのよさで踊り切った。

ドン・キホーテ役 ニコライ・ヴィュウジャーニンの枯れた立ち姿、腰を折った歩行が素晴らしい。佇まいだけで舞台を浄化する「善」の体現者である。プロローグ、夢の場面、終幕でのドルシネア(片岡美紅)への憧憬にも真実味があった。キホーテが愛情をかける相棒 サンチョ・パンサには、可愛らしく献身的な酒匂麗。3幕行進曲とコーダの切れの良い踊りは、まさしくサンチョの踊りだった(なお熊川版では3幕に毛布投げ→ 胴上げがある)。キホーテを天敵とするガマーシュにはビャンバ・バットボルト。悠然と構えるキホーテに対し、痙攣的に動く細かい演技で応酬する。なぜか時折 自分を匂ったり。二人の正統派フェンシングは見応えがあった。また伊坂文月のロレンツォも腹の決まった演技で、要所を締めている。

メルセデスの戸田梨紗子(森の女王も)は、街の踊り子にしては品よくおとなしめだったが、鮮やかな踊りで、エスパーダの杉野慧は、今すぐ闘牛場に立てるほど気迫のこもった踊りで、花売り娘の成田紗弥、毛利実沙子は華やかな踊りで、1幕を盛り上げた。2幕キューピッド 萱野望美の切れ味鋭い踊りも印象的。

石橋奨也を始めとする闘牛士たち、佐伯美帆を始めとする3幕アントレ、また森の精たちの統一されたスタイルと音楽性は相変わらず。グラン・パ・ド・ドゥ時に勢揃いするアンサンブルの、引き締まった様式性が素晴らしかった。1幕で活躍する子役たちはミニ熊川。

指揮は井田勝大、管弦楽はシアターオーケストラトーキョー。初日ということもあり、テンポの緩急がやや露わながら、舞台と呼応する演奏だった。

 

● NBAバレエ団『ドン・キホーテ(5月29日12時 所沢市文化センターミューズ マーキーホール)

同団は 2008年にセルゲイ・ヴィハレフ版、2015年にアンナ=マリー・ホームズ版『ドン・キホーテ』を上演した。ヴィハレフ版は19世紀バレエ研究に基づいたマイム重視のロマンティックな演出、ホームズ版は男性群舞のフラメンコが特徴。ヌレエフ版を参考に、コミカルな演技を基調とする。今回はホームズ版に古典的な様式性を加味しているが、ファンダンゴの粋で切れ味鋭い振付、ドン・キホーテとガマーシュ決闘のフラメンコ風振付は、依然として魅力がある。因みに決闘は3幕居酒屋の最後、黒中幕の前で行われ、中幕が上がると広場での結婚式となる。グラン・パ・ド・ドゥのアントレで神父(刑部星矢)が出てきて二人を祝福、二人が口づけを交わす場面は初めて見た気がする。

キトリは野久保奈央、勅使河原綾乃、バジルは新井悠汰、高橋真之のWキャスト。その初回を見た。2月のコボー版『シンデレラ』で鮮烈な主役デビューを果たした野久保は、キトリでも期待を裏切らなかった。まずは高度な技術。オシポワ並みの高い跳躍、軸が微塵もぶれない回転技(グラン・フェッテ前に7, 8回ピルエット、アン・ドゥダンの切れ、両回転も)、柔らかく切れ味鋭い足技が揃う。しかも技術を前面に出さず、いついかなる時も調和のとれた踊り、佇まいを保っている。音楽を目一杯使えるのも、抜きんでた技術があればこそだろう。さらに芝居の巧さ(コメディセンスは『シンデレラ』でも確認済み)。演技が常に相手との対話になっており、それがピンポイントの間合いで実践される。これ程演技と踊りが渾然一体となり、しかも気張りのない舞台は稀。久々に現れた本格的な古典バレリーナである(自然な演技、柔らかいポール・ド・ブラ、正確な足技は、フランス派を想起)。

バジルの新井は柔らかな開脚、高い跳躍を武器に、見応えのあるヴァリエーションを作り上げた。マネージュのアクセントに前後開脚が入る。癖のない素直な演技と持ち味の優しさで、野久保キトリを支えている。エスパーダにはシンデレラの王子を踊った宮内浩之。粋でノーブル、踊りも美しく、絵に描いたような花形闘牛士だった。対するメルセデスはベテランの峰岸千晶。街の踊り子にしては気品があり、古典の風格を漂わせる。峰岸の個性なのだろう。

ドン・キホーテの米倉佑飛は長身のノーブルタイプ。目の使い方など、まだ演技が定まらない点も見受けられたが、適役。相棒サンチョ・パンサの佐藤史哉は、もう少し彫り込みを望みたいところだが、可愛げがあり、こっそりとバナナを食べていた。ガマーシュの三船元維は一貫した役作りで、舞台を大きく支える。フラメンコ風決闘には思わず笑ってしまった。ロレンツォの安中勝勇は若く元気なキトリ父、キトリ友人の猪島沙織、阪本絵利奈と共に1幕を盛り上げた。

夢の女王はベテランの佐藤圭、キューピッドには切れのある岩田雅女、ジプシーソリストには関口祐美と大森康正の同門コンビが配された。関口の嫋やかな情感、大森の華のある鮮烈な踊りが印象深い。また夢のソリスト3人組(大島沙彩、須谷まきこ、福田真帆)の息の合った踊りが目を楽しませる。今回アンサンブルでは、ファンダンゴ男女の生きの良さに目を奪われた。

前回の『ドン・キホーテ』は現バレエマスターの鈴木正彦がゲストコーチ。大森康正のバジルには、現在では見られない細やかなニュアンスが加わっていた(今回は見当たらず)。貴重な伝統の保存を期待したい。