関直人氏を偲ぶ 2021

井上バレエ団7月公演『コッペリア』を見た(7月31日 新宿文化センター 大ホール)。振付は関直人、再構成・振付を石井竜一が担当、森の詩人 P・ファーマーのけぶるような美術が幻想性を加える。「祈り」とフランツのソロを除いて関の振付が保存されているが、残念ながら関作品の趣は薄れていた。芝居の扱い、舞踊スタイルの違いが原因だろう。

再構成の石井は、全幕『シルヴィア』(19年)や、つい先日の『モーツァルティアーナ』(Iwaki Ballet Company)など、自身も優れた音楽性と美しいノーブルスタイルを誇る。ただ今回は関の振付を残す折衷的な舞台のせいか、美点を発揮するには至らなかったようだ。昨秋の今村博明・川口ゆり子版(バレエシャンブルウエスト)、今年に入ってからは R・プティ版(新国立劇場バレエ団)、P・ライト版(スターダンサーズ・バレエ団)と、このところベテラン勢の確立された『コッペリア』上演が続いている。石井改訂には、コッペリウス(森田健太郎)をノーブルでエネルギッシュな性格とする独自の工夫が見られたものの、先行版と比べると、古典解釈、演技指導の点で、やや物足りなさが残った。

1幕、2幕、そして3幕の鐘のディヴェルティスマンになって、ようやく関作品が失われることの意味、伝統の切断に思いが至る。フランス=デンマーク派を基盤とするシンプルな腕遣いと真っ直ぐな脚、きりっと粒だった音楽性、これ見よがしのない19世紀的職人気質。創立者 井上博文の美意識と、関の祝祭的な音楽性が融合した、他団では見られない固有の舞踊スタイルだった。関の喜びに駆り立てられる熱狂的なフィナーレを、無償の愛・贈り物として与えられ、帰り道は3cmほど浮いた気分になったものだ。

観客に自分を見せるのではなく、自分を捧げる姿勢、美的ではなく倫理的な態度が、井上バレエ団の身上だった。創立者 井上博文が選んだ最後のプリマ、藤井直子は、自分を脇に置いて、舞台を優先させた。「客席のお客さんを全部かかえるようにして踊りなさい」という井上のアドヴァイスを、終始実践したプリマである。井上のプリマ道、関の職人気質と古風なノーブルスタイルは、経験者がいる限り、継承可能ではないか。あの祝祭的音楽性も。もう一度あのシンプルで清潔なアンサンブルを見てみたい。