日本バレエ協会『ラ・エスメラルダ』2022【追記あり】

標記公演を見た(3月5日, 6日夜 東京文化会館 大ホール)。都民芸術フェスティバル参加公演である。ペロー原振付(1844年)、プティパ改訂振付(1866~99年)、ユーリ・ブルラーカ復元振付・演出の『ラ・エスメラルダ』は、2009年ボリショイ・バレエで初演された。4幕構成・3時間半に及ぶ大作(アンナ・ゴルディーワ、訳・宇都宮亜紀、『ダンスマガジン』新書館、2010年4月号)だが、今回は3幕構成・3時間10分にまとめられている。その中身は、ロマンティックバレエと古典バレエのせめぎ合いに、ソ連時代の追加振付、さらに男性群舞(1、3幕)の新振付を加えた、言わば「見るバレエ史」である。ゴルディーワによると「作者たち(ブルラーカ、メドヴェジェフ他)はこの新しい作品を、1844年から1935年までのバレエ『エスメラルダ』の変遷に対する演出チームの見解と捉えてほしいと考えている」(同上)。

1幕「奇跡の広場」「エスメラルダの家」、3幕「エスメラルダの家」「グレーブ広場」はロマンティックバレエ寄り。物語に沿った踊りが繰り広げられ、マイムも多く残されている(全員での縛り首マイムの楽しさ)。壺割り、ロマの占いなど、ユーゴ―原作由来の風俗も味わい深い。闊達な男女乞食・民衆アンサンブルは『ドン・キホーテ』やブルノンヴィル作品を、エスメラルダがフェビュスのスカーフを貰って喜ぶ場面は『ラ・シルフィード』、カジモドに水を飲ませる場面やフロロとの対峙は『ラ・バヤデール』、3幕の虚脱状態、尼僧アンサンブル(聖歌隊)をパ・ド・ブレで回る姿は『ジゼル』を想起させる。3幕「悲しみの行進」途中、判事が縛り首マイムをして、エスメラルダに紫のベールをかける場面は印象的だった。

一方、2幕「アロイーザの館」におけるフルール・ド・リとフェビュスの結婚を控えた宴は、古典様式で始まる。『ラ・バヤデール』の「婚約式」(現行)のようなクラシック・チュチュでのグラン・パ。フェビュスとフルール、友人男女2組、花籠アンサンブル(『海賊』の「活ける花園」を想起)が、ソロ、デュオを交えて古典舞踊を踊る。エスメラルダの感情豊かな踊りに対し、フルールの古典様式が際立つ場面である。

続いて貴族たちの歴史舞踊、さらにワガノワが本作を改訂した際、宴の余興として取り入れた「ダイアナとアクテオン」(1935年)も加えられた。プティパの『カンダウル王』の「パ・ド・ダイアナ」(ダイアナ、エンディミオン、サチュロスのトロワ)を、ダイアナとアクテオンのパ・ド・ドゥに変更したもので(The Marius Petipa Society)、悲劇的結末を感じさせない牧歌的なパ・ド・ドゥである。古風なニンフ・アンサンブルも、清涼な神話の雰囲気を高めている。

2幕最後は二人の結婚を祝うため、ロマの踊り子たちが迎え入れられる。エスメラルダ、別室夫婦となったグランゴワール、エスメラルダの友人4人(パ・ド・シス)。エスメラルダは型通りの手相見でフルール・ド・リを祝福し、グランゴワールとのブリゼ・ユニゾンを含む華やかなアントレを踊る。直後、フルールの相手がフェビュスと分かり、絶望の淵に。グランゴワールに促され、支えられて、脱力のアダージョを踊り始める(現行「パ・ド・シス」はワガノワ改訂振付で、グランゴワール・ソロはアクテオン同様、チャブキアーニ振付とのこと)。踊りが終わり、エスメラルダがフェビュスに貰ったスカーフを身に着けると、フルールが見咎める。彼女の贈り物だったのだ。婚約は破棄、フェビュスはエスメラルダの後を追い、フルールは指輪を投げつける。

2幕では、古典の薫り高いグラン・パ、パダクションに近いパ・ド・シス、『ラ・バヤデール』『ラ・シルフィード』を想起させる芝居が並列され、19世紀バレエの様式の変遷を思わされた。作品の結末はペローの台本通り、フェビュスが刑場に走り込んできて、真犯人のフロロを告発。エスメラルダとフェビュスが結ばれるハッピーエンドである。フロロの最期は、養い子のカジモドにセーヌ川へ突き落される演出となっている。

主役のエスメラルダは、1幕の足技、回転技多用の踊り、2幕の抒情的な踊り、3幕のダイナミックなアダージョを踊る技術と、雄弁なマイム・芝居の技量が要求される。今回は新国立劇場バレエ団の米沢唯、元東京バレエ団の川島麻実子、元Kバレエカンパニーの白石あゆ美が配された。そのうち初日と二日目ソワレを見た。

米沢のエスメラルダは登場した瞬間から、旋風を巻き起こす。動きは俊敏、誰の手も届かない悪戯っぽい妖精の雰囲気。目にも止まらない足技の数々を、息をするように踊り、瞬く間に消えてしまう。鮮やかな踊りもさることながら、役作りの深さに驚かされた。グランゴワールへの同情とからかい、フェビュスへの恋心と恥じらい、カジモドへの情け深さが、手に取るように伝わってくる。ペロー版初演者のカルロッタ・グリジは、ユーゴ―原作を読み込んでいると評されたが(Ivor Guest, The Romantic Ballet in England, Pitman, 1972, p.105)、米沢も同様だろう。2幕の虚脱状態、3幕の白衣での狂乱は、米沢の本領と言える。

フェビュスは中家正博。美しいラインにノーブルな佇まい、ゆったりとしたサポートで、ワガノワの正統派ノーブルスタイルを体現した。2幕ソロも気品のあるマズルカ。終幕は米沢を大きく支えて、晴れやかなアダージョを演出した。

グランゴワールは木下嘉人、究極のはまり役だった。詩人の知性、乞食集団の仲間に入る自由さ、ロマンティックで清潔な踊りが揃う。『マノン』のレスコー役で証明した作品解釈、役理解の深さ、それを実行に移す芝居の巧さと技術を、惜しみなくグランゴワールに注いでいる。エスメラルダへの言い寄り方、宴での愛情深いサポート、エスメラルダのフェビュスへの愛を理解し祝福する心の広さなど、複雑な詩人像をこれほど的確に表現できるダンサーは他にいないだろう。

最終回のエスメラルダを踊った白石も、米沢同様、高度な技術の持ち主だった。これ見よがしのない踊りに、ジゼルのような佇まいで、身寄りのない美少女を造形する。初幕から終幕まで一貫してリリカルなアプローチだった。2幕脱力のアダージョも密やかである。3幕フロロへの拒絶は、悲しそうにフロロの十字架に触れるため、フロロの怒りが空回りに見えるほど。白石のロマンティック・バレエ解釈が底辺にあるのだろう。原作本来の悲劇的結末の方が似合うタイプかもしれない。

フェビュスは橋本直樹。ボリショイ系のりりしいダンス―ル・ノーブルである。2幕ソロも美しく勇壮。だが本領は人柄を反映した誠実なマナーにある。終幕のアダージョでは、白石を包み込む暖かい踊りを見ることができた。グランゴワールは清水健太。本来はフェビュス・タイプながら、軽めのコミカルな演技で芸域を広げている。パ・ド・ドゥでの厚みのある存在感は健在。ソロも重厚で、主役を歴任してきた蓄積を感じさせた。

フロロ初日の遅沢佑介ははまり役。暗い情念を立ち姿のみで表現、登場するとたちまち不穏な空気が漂う。カジモドの扱いも腹に入っていた。丹田に意識のある佇まいが、熊川哲也版『蝶々夫人』のボンゾウを思い出させる。最終回の小林貫太は、小林恭版『ノートル・ダム・ド・パリ』でも父の当たり役フロロを演じている。聖職者であることと欲望との葛藤をリアルに表現。本来はグランゴワール・タイプだろうか。所々人の好さが垣間見えるフロロだった。

カジモドは全日ベテランの奥田慎也。背中に瘤のある脚の不自由な男を、終始蹲るようにして演じた。鐘番のため耳が聞こえなくなったが、エスメラルダのタンバリンは聞こえるようだ。彼女への憧れ、フロロへの複雑な愛情を体全体で表す。終幕、エスメラルダを殺そうとしたフロロを、セーヌ河へと追い込み突き落す後ろ姿に、養い親を殺す悲痛な思いが滲み出た。

フルール・ド・リ初日の玉井るいは、伸びやかでややモダンな趣、最終回の渡久地真理子は、古典のスタイル、踊りの技術、感情のこもったマイムの三拍子が揃い、グラン・パを華やかにまとめ上げた。母親アロイーザは気品と風格のあるテーラー麻衣、貧民窟の頭目クロパンは、共に切れ味鋭い荒井英之、小山憲、ロマの女将メゲーラは包容力のある金田あゆ子、判事は味のある大ベテラン 岡田幸治が務めている。

コンサート・ピースでもある「ダイアナとアクテオン」は、初日が飯塚絵莉と牧村直紀、最終回は古尾谷莉奈と藤島光太。共に伸びやかで大きな踊りを見せた飯塚と古尾谷は、アクセントや体の角度がほぼ同じ。指導者の薫陶を感じさせた。一方男性二人は対照的。牧村は大らかな踊りに献身的なサポートで、温かみのあるアクテオン、藤島は所属団体のノーブルスタイルを遵守しつつ、アメリカ仕込みの華やかな技巧を駆使して、覇気あふれるアクテオンを造形した。

エスメラルダ、フルール、フェビュスのそれぞれ友人たち、道化たちを始め、広場の男女アンサンブル、花かごアンサンブル、ニンフアンサンブル、貴族や聖歌隊の立ち役に至るまで、血の通った舞台。特に広場のアンサンブルは躍動感にあふれる。コロナ禍等の諸般の事情で、ブルラーカ、振付補佐のフョードル・ムラショフはリモート指導とのこと。バレエ・ミストレス 佐藤真左美、角山明日香の渾身の指導が、質の高い生きた舞台を作り上げたと言える。

録音音源での上演ながら、プーニ(ドリゴを含む)の音楽の素晴らしさが伝わってきた。次回はオーケストラによる生演奏を期待したい。

追記】オペラ史研究家の岸純信氏によると、ユゴー自身が台本を書いたオペラ『ラ・エスメラルダ』(作曲:ルイーズ・ベルタン)の終幕は、フェビュスが現れてエスメラルダの無実を証言し、その後絶命するとのこと(『オン★ステージ新聞』2022.5.1号)。二人が結ばれるのはバレエ仕様ということか。