5月に見た公演 2022

谷桃子バレエ団『眠れる森の美女』(5月4日昼夜 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)

2016年バレエ団初演のエルダ-・アリエフ版。監修のイリーナ・コルパコワはアリエフと綿密に話し合い、「この作品と、古いロマンティック・バレエのスタイルや雰囲気の特色を結び合わせること」を目標にしたと語っている。初演時には、プティパ時代の優美で調和のとれたスタイル、自然体のマイム・芝居が実現。舞踊が突出することなく、まるで水が流れるように物語が進行した。主な改訂は、1幕ワルツ、2幕パ・ダクション、3幕シンデレラとフォルチュネ王子の新振付。特にシンデレラと王子のパ・ド・ドゥは、アリエフの優れた振付手腕を明らかにしている。

今回は埼玉の子供たちがオーディションで参加する短縮版。ロシア現況のためアリエフ指導は難しく、初演時の優美なスタイルはやや影を潜めたが、バレエ団の地力は発揮された。主役は3組。初日マチネは馳麻弥と今井智也、同ソワレは山口緋奈子と三木雄馬、二日目は竹内菜那子と田村幸弘という組み合わせだった(二日目は見られず)。

初日マチネの馳は、2月公演「Love Stories in Ballet」で(ゾベイダならぬ)シェヘラザードを妖艶に踊り、個性を全開させた。どちらかと言うと強いキャラクターのタイプだが、『眠り』の1幕では繊細な可愛らしさを、3幕では品格を意識して、明るめのオーロラを造形した。ローズアダージョの長いバランスなど、高い技術は証明済み。主役としてはもう少し周囲との細やかなコミュニケーションを期待したい。対する王子の今井は、バレエ団のノーブルスタイルを体現していた。献身的なサポート、神経の行き届いたソロに、ベテランらしい成熟した味わいがある。

初日ソワレの山口は『オセロ』のエミリアで強烈な印象を残した演技派。今回も『眠り』が物語バレエであったことを再確認させられた。登場した瞬間から周囲と対話を交わし、舞台が生き生きと息づき始める。全ての振りから言葉が聞こえるのは、物語の全体像が体に入っているからだろう。繊細な腕使い、美しいライン、気品の揃ったオーロラだった。幻影の場の透明感あふれる体も素晴らしい。一方、陰影あるイアーゴー、慎ましやかなシャフリヤール王が印象的だった三木は、今回は規範に則った古典的な王子。品格あるノーブルスタイルを貫いた。もう少し笑顔を望みたいところだが、山口との呼吸は万全だった。2月公演で切れの良い『ドン・キホーテ』pdd を踊った竹内・田村組も見てみたかった。

カラボスには高岸直樹がゲスト出演。遠藤康行振付『Little Briar Rose』(21年 日本バレエ協会)での重心の低いカラボス、フリードマン版『R&J』(3月 NBAバレエ団)での激しく力強いキャピュレット公など、バレエ界全体のキャラクターダンサーになりつつある。今回はこれまでの蓄積が花開いた模様。大きく鮮やかな存在感に、美しい女性の香りまで漂う(既に白雪姫の義母を経験)。マイムと演技が融合する独特のアプローチは、初演時カラボスがバレエダンサーでなかったことと関係があるだろうか。直接アリエフに指導を受けていたら、もっとマイム寄りになった可能性も考えられる。これからどのような役が待ち受けているのか、非常に楽しみである。

フロレスタン国王は、初日マチネの内藤博がなぜか少しコミカルな演技、ソワレの小林貫太はリラの精と共に世界を善で満たす国王だった。行き届いた芝居を見せる王妃の尾本安代は、小林と呼吸が合っている。リラの精は初日マチネが森本悠香、ソワレが中川桃花。森本の風格あるリラ、中川の善の体現者としてのリラは、それぞれの主役に見合った配役と言える。

5人の妖精たちはWキャスト。前原愛里佳の呑気、星加梨那の勇気を始め、気持ちの良い古典スタイルを遵守している。フロリナ姫・青い鳥は、齊藤耀・池澤嘉政の繊細さ、加藤未希・市橋万樹のすっきりした技巧と対照的。シンデレラ・フォルチュネ王子は、永井裕美・昂師吏功、北浦児依・土井翔也人による瑞々しい愛のパ・ド・ドゥ競演だった。ベテラン菅沼寿一の練り上げられた狼、若手 松尾力滝の力強い長靴猫など、見応えのある童話ディヴェルティスマンだった。

 

スターダンサーズ・バレエ団『ジゼル』(5月15日 テアトロ・ジーリオ・ショウワ)

1989年バレエ団初演のピーター・ライト版。デニス・ボナーを振付指導に迎え、主役からアンサンブルまで、細やかな演技を身につけている。主役はWキャスト。初日のジゼルは渡辺恭子、二日目が喜入依里、アルブレヒトはそれぞれ林田翔平、池田武志、その二日目を見た。

喜入はこれまでドラマティックで強い役柄を踊ってきたため、ミルタ配役かと思われたが、今回はジゼル。1幕では村娘らしい可愛らしさをよく工夫して演じている。初役ゆえ、まだ自然な感情の発露には至っていないが、2幕では母性的で一本気な「喜入らしさ」を垣間見せて、今後の役作りへの端緒を開いている。対する池田はノーブルスタイルをよく意識したアプローチ。2幕では所々、立ち居振る舞いが素になることもあったが、初めての役を真っ直ぐに演じている。次回はもう少し感情を込めた造形を期待したい。ヒラリオンの久野直哉は無骨さがよく出た明確な演技。ミルタの杉山桃子は美しく艶やかな踊りで、夜の森にかぐわしい香りを漂わせた。4人とも身長が高いので、主役二人にドラマが生じた場合は迫力が増すだろう。

ウィルフリードの友杉洋之、ベルタの周防サユルの行き届いた演技もさることながら、最も驚かされたのがバチルドのフルフォード佳林。新国立劇場でのキトリ母で、生まれながらの役者と思っていたが、想像を上回る演技だった。登場した途端に、どういう人物で何をしようとしているのか分かる。好きに育って人は好いが、さほど周囲に興味はなく、思うがままに振る舞う。かと言って我儘ではなく、意地悪でもなく、もちろん世間知らずだが、貴族らしい品格を見せる。これまで見たバチルドの誰とも似ていない絶妙なあわいを、針に糸を通すように演じていた。父親クールランド公の鈴木稔も「仕様がないなぁ」と思いながら可愛がっている様子。鈴木父は洒落者で洒脱。熟練の狩猟長 鴻巣明史との阿吽の遣り取りが楽しかった。

パ・ド・シスのトップ西原友衣菜、西澤優希、また塩谷綾菜、佐野朋太郎(初日トップ)が牧歌的な踊りで村人アンサンブルを、ドゥ・ウィリの石山沙央理、東真帆が伸びやかな踊りでウィリ・アンサンブルを牽引した。また貴族アンサンブルの生きた芝居が1幕の悲劇を濃厚に彩っている。

テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ率いる指揮の田中良和は、装飾の多い編曲版をすっきりと演奏し、舞台と音楽を繋ぐ要となった。

 

ケダゴロ『세월』(5月27日昼 神奈川芸術劇場 大スタジオ)

表題の読みは「せうぉる」で、2014年に起きた韓国最大の海難事故「セウォル号」転覆・沈没を題材としている。乗客447人のうち325人は修学旅行の高校生だった。振付・構成・演出は下島礼紗。出演は、下島を含む5人のケダゴロ団員(女4、男1)、劇団東京乾電池団員(男1)、7人の無所属ダンサー(女5、男2)である。

舞台は0場(30分)から始まる。救命具のオレンジ色に塗られた平台をアーチ状に組み、その上にTシャツ・トレパンの生徒たちが立っている(一部座り)。無表情に、何かを耐えるでもなく、時おりトイレの我慢でモジモジしながら。上演前の注意アナウンスに続き、中央の4つのスピーカーから男性の声で同じアナウンス。さらに女性の声が何か言う。突然男性の声で「まもなく出航致します」。汽笛の音。生徒たちが驚いてアーチを離れると、平台が崩れた。生徒たちが重しとなってアーチを作っていたのだ。

舞台が船そのものとなって、ダンサー(と観客)が事故を体感していく1時間。シモテに全員が寄りかかり、スピーカーが斜めになる衝撃的場面。逆立ちになり「水くれー」と叫ぶ声、薄闇の中「暑いー、ヒュー」と呻く声。息を詰めて平台を運び、「ハー」と息を吐く生徒たち。階段状に組まれた平台をゴロゴロと横転する生徒たち、横転できない女生徒。斜めになった平台に乗りかかり、滑り落ちる生徒たち。平台を背負い、次々と倒れていく生徒たち。時折聞こえる女声アナウンス「カマニッソ(そこで待っていろ)」は、避難誘導が行われなかったことを示している。

もちろん見る側の体は鉛のように重くなり、事故を追体験したような心持になる。だが、そこに差し挟まれる朴訥な男声アナウンス、阿波踊りステップ、大股プリエ、ジムナスティック動き(倒立、倒立前転、仰向け跳び起き、前跳び回転)、人体の救命胴衣化といった振付が、下島のストイックな自己省察、抜群の運動神経と結びついた身体思考、巧まざるユーモアを示して、事故に対する安直な共感を禁じる。下島は次のように語っている(プログラム)。

企画が立ち上がった当初、ある舞台装置を使用することが計画されていました。今、思い出すと言いようのない激しい怒りが込み上げてきますが、それは「巨大な水槽」を使用するというものでした。色々な言い訳はあるにせよ、この事件のスペクタクルに無意識の高揚を感じていたことは否定できません。そんな演出を考えていたおぞましい自分への憎悪を震源地として、きょうまで創作を続けてきました。しかし、この題材は”表現されること”をことごとく拒絶し、作品を創ることでこの題材を選んだ責任を取ろうとする私を跳ね除け続けました。

1時間という区切りの中で、ダンサーたちの苦しい呼吸に見る側の呼吸も同期し、船内の状況を体感させられるが、同時に虚構の限界(当事者への理解不可能性)も共有させられる。見た後の胸苦しさ、体の強張りは、安全地帯にいるがゆえなのだ。

下島のユーモアは救命胴衣の場面で炸裂した。下島明(礼紗祖父)の「救命胴衣を、を、を、に、なってください」のアナウンス。直後、男性4人が「シュッシュッシュッシュ」と言いながら腕立て伏せをし(空気入れ)、立っている女性たちが体を膨らませる(救命胴衣化)。限界になると「ハーッ」と言ってぶっ倒れる。何回か繰り返すなか、男性が自分のTシャツの袖を食いちぎり、体を膨らませる女性の鼻に近づける。女性はたまらずぶっ倒れる。隣にいた下島は笑ったと思う。下島祖父は「上演時間はあと〇〇分です」、「この作品は状況が分からないので、乗客は早く離れる(べき)か、船長は判断してください」、「係員がご案内しますので着席のままお待ちください」といった、船と劇場を掛け合わせたアナウンスも。下島房子(礼紗祖母)による鋭い「カニマッソ」とともに、周到に演出されたアナウンスだった。

振付の面白さ、題材を自分の無意識の奥底に落とし込む思考の強さ、ダンサーを100%出し切らせる演出力(振付家の権力を自覚しつつ)がぎっしり詰まった濃密な1時間だった。

 

バレエシャンブルウエスト『タチヤーナ』(5月28日 J:COM ホール八王子)

演出・振付は今村博明・川口ゆり子。2002年に初演され、国内はもとよりキーウ、サンクトペテルブルク、モスクワでも上演された重要なレパートリーである。今回は、04年のキーウ公演、05年、06年の国内公演で指揮をしたアレクセイ・バクランを、避難先のポーランドから招聘した。バクランはプログラムで次のように述べている。

ウクライナ国立歌劇場で初めて『タチヤーナ』を指揮した時の鮮烈な感動は今でも忘れられません。チャイコフスキーの楽曲からの絶妙な選曲、オペラ『オネーギン』の世界を巧みにバレエ化した今村さんとゆり子さんの演出・振付、お二人のロマンチックで息の合った踊り、迫真の演技、深い洞察に裏打ちされた役作り、バレエシャンブルウエストの高いレベルのアンサンブル、どれも秀逸でした・・・今回がゆり子さんにとって最後のタチヤーナとうかがい、残念な気持ちで一杯です。ゆり子さんと今村さんはまさに日本のバレエ史に燦然と輝く至宝です。その輝きをいつまでも保ち続けてくださるようお祈りいたします。

バクランの言葉通り、マイムと舞踊の継ぎ目がないドラマティックで音楽性豊かな振付、紗幕使いの場面転換、登場人物の出入りが隅々まで計算された緻密な演出を誇る。江藤勝己選曲、福田一雄編曲によるチャイコフスキー音楽は物語と渾然一体となり、完全に使い切られている。またマイムがダンサーの体に入ったことで、物語の流れがより自然になった。生え抜きダンサーの年輪、アンサンブルの呼吸の一致は、付属スクールを持つバレエ団の長所と言える。

川口ゆり子のタチヤーナは円熟の極みにある。1幕の読書好きで人見知りの少女、その裏に秘めたロマンティックな情熱、2幕の憂いに沈む少女、3幕の気品あふれる社交界の華、貞節と情熱に引き裂かれる成熟した女性を、一挙手一投足に至る緻密な役作り、細やかな振付ニュアンスで描き出す。役を生きると同時に、全体を俯瞰する眼差しを忘れないのは、長年の主役経験によるものだろう。体の繊細な切り替え、リフト時に見せる絶対的フォルムの相変わらぬ素晴らしさ。体の隅々まで意識化されている。アクロバティックなリフトには1ミリの迷いもなく、舞台に体を投げ出す苛烈さに、精神そのものを見る思いだった。

対するオネーギンには逸見智彦。序盤のニヒルな佇まいにはやや硬さが見られたが、夢のパ・ド・ドゥ、終幕のパ・ド・ドゥの荒々しい情熱で本領を発揮した。クールな外見とは裏腹に、タガが外れた時に個性が光る。アクロバティックなサポートも切れがよく、川口を思い切り踊らせた。師匠の今村博明は絵に描いたようなスタイリッシュなオネーギンだったが、逸見は狂気に近い生な感情を川口にぶつけている。二人の呼吸もよかった。

吉本真由美の明るく邪気のないオリガ、山本帆介のノーブルで人の好いレンスキー、深沢祥子の美しく華やかなラーリナ、延本裕子の温かく懐の深い乳母、鈴木愛澄、土方一生、井上良太の庭師等が1幕を彩る。2幕パーティでは、芸人たちを率いる藤島光太の鮮やかな踊りが高揚をもたらし、決闘シーンではベテラン宮本祐宜のザレツキー、同じく奥田慎也のギリオが悲劇的な場を引き締めた。3幕では正木亮の大らかで温かみのあるグレーミンが、白いショールをタチヤーナに与えて、夫婦の絆を深めている。いつもながら、伸びやかな女性アンサンブル、ノーブルな男性アンサンブルが、全編を通して踊る喜びを体現した。

指揮のバクランは、大阪交響楽団から豊かで厚みのある音を引き出し、幕開けから終わりまで舞台を強力に牽引した。最後は川口と一体化する指揮ぶり。川口への深い敬意と愛情を感じさせる。今回は副指揮者(福田夏絵)を迎えることで、伝統を次代に伝える貴重な機会ともなった。