新国立劇場バレエ団『マノン』

新国立劇場バレエ団がケネス・マクミラン版『マノン』を、9年振りに上演した。その公演評をアップする。

新国立劇場バレエ団が9年ぶりにケネス・マクミランの『マノン』(全三幕)を上演した。74年英国ロイヤル・バレエ初演、マクミラン44才の円熟期に作られた、現代バレエの古典である。
作品の魅力はやはり4つのパ・ド・ドゥ。クラシックを基盤とする「出会い」、「寝室」の両パ・ド・ドゥ、演劇的な「パッキング」のパ・ド・ドゥ、そして表現主義的な「沼地」のパ・ド・ドゥが、アモラルな美少女マノンと、神学生デ・グリューの恋の変遷を描き出す。互いの肉体が絡みつくような「出会い」、半ば意識の薄れるなか、マノンが自らの肉体を虚空に投げ出す「沼地」は、現代バレエにおけるパ・ド・ドゥの極北である。
演出はカール・バーネットとパトリシア・ルアンヌ。前回のモニカ・パーカーとルアンヌ組が、十八世紀パリの退廃を演技に求め、振付のアクセントを厳密に要求したのに対して、今回はバレエ団の清潔な地を生かす、全体の流れを重視したステイジングだった。
美術も、砂埃や匂いを感じさせるジョージアディスの猥雑さから、森の詩人P・ファーマー(オーストラリア・バレエ提供)の洗練に取って代わり、マスネの音楽もマーティン・イェーツの美しくメロディアスな編曲に変わった。その結果、上演の歴史的遺産を含むマクミラン作品が、一物語バレエに還元され、振付によって掘り起こされるという、一種の普遍化を見ることになった。
主役はバレエ団2組、ゲスト1組の3キャスト。初日の小野絢子、福岡雄大が初々しい少年少女の愛を描き出した。
小野はあどけなさの残るマノン。寝室のパ・ド・ドゥも明るく若い喜びにあふれる。毛皮とダイアモンドに目がくらみながらも、デ・グリューへの愛をそのまま持ち続けていたことが、和解の際に明らかになる。存在そのもので見せる三幕は等身大に留まっているが、振付を体に入れて実行する度合い、視線を含む演技、そのどちらにも優れた、見事な初役だった。
デ・グリューの福岡はバランスの難しいソロ、複雑でハードなサポート、恋する若者の一途な演技を十全に行ない、小野と協力して清々しい舞台を立ち上げている。再演ではさらに福岡らしい覇気や、やんちゃな仕草が加わることだろう。
バレエ団もう一組は、ベテランの本島美和と山本隆之。本島はマノンの柄だが、前半は緊張のせいか体が硬く、マクミランの流れるような振付を実現するには至らなかった。パッキング以降は力が抜け、沼地では、山本の盤石のサポートと全身での演技に大きく支えられて、悲劇的瞬間を現出させることに成功した。
山本は例によって振付解釈が圧倒的。踊りのダイナミズムや切れ味は本調子ではないが、舞台を総合的に作り上げる力はバレエ団随一である。
ゲストはヒューストン・バレエのサラ・ウェッブとコナー・ウォルシュ。共に手の内に入った役らしく、細かく的確な演技だった。ウェッブは繊細な身のこなし、ウォルシュは美しいアラベスクに若く明るい演技で、振付のニュアンスをよく伝えている。
レスコーは、ノーブルで生真面目な菅野英男、コミカルで温かい古川和則、少し線が細いが、振付をよく読み込んだ福田圭吾が勤めた。愛人には懐の深い湯川麻美子と愛情深い寺田亜沙子、ムッシューG.M.には緻密な演技のトレウバエフと、存在感あふれる貝川鐵夫が配された。
マダム西川貴子の美しいマイムと豪快な踊り、物乞い八幡顕光の切れ味鋭い踊り、踊る紳士江本拓の美しい踊り、少年装娼婦、五月女遥の鮮やかな踊りが印象深い。また高級娼婦の厚木三杏がフル回転で数人分の演技を担当、マノンに付き添う老紳士の内藤博が、幅のある演技で一幕一場の要となった。
イェーツ指揮、東京フィルは仕上がりがよく、チェロ(金木博幸)の薫り高い音色に魅了された。(6月23、24、30、7月1日 新国立劇場オペラパレス) 『音楽舞踊新聞』No.2876(H24.7.21号)初出


久しぶりの『マノン』。前回は初めてアジア人がマノンを踊るというので、バレエ団も観客も緊張していた気がする。スタダンで初めて『ステップテクスト』を上演した時のように。
今回は芸術監督が英国人なので、変な安心感があり、通常のレパートリー公演のような余裕ある意気込みだった。そして出来栄えも通常通り。マクミランファンにとっては物足りないだろうが、新国ファンにとってはOKなのでは。インターナショナルとは言えない外国人ゲストにもブラボーが飛び(当然のブラボー)、新国goerの成熟度を示した。ブラボーの主がオペラ常連だった可能性もあるが。惜しむらくは、米沢唯のマノン解釈を見られなかったことである。
今回は終わって3週間位、マスネの音楽、特に「エレジー」が耳に付いて離れなかった。新編曲のせいだろうか。イェーツの指揮が良かったのだろうか。初めてだと思うが、副指揮者に井田勝大を呼んでリハーサルに臨んだせいだろうか。
それにしても、英国人監督によって、初めて等身大のバレエ団が出来つつある。欧州の中でも英国は、バレエ・リュス以降に、自国のバレエ団、自国バレエ作品を作ったという経緯がある。ビントレーにはそれがインプットされているのだろう。日本のバレエ団を作ろうとしている。『パゴダの王子』の際にも、英国人の自分が考えた日本文化のファンタジーと、ことわりを述べていたが、誰がここまで日本文化を大切に思ってくれるだろう。この作品を海外で上演するときは、日本人が洋風の所作を学んでいるように、海外のダンサーが日本の所作を学ばなければならないんだよ、とビントレーは嬉しそうに話していた。ダンサーの才能を慈しみ、育ててくれる芸術監督。先日の「バレエ・アステラス」に出演した佐久間奈緒が、他の女性ダンサーに比べて、自然な感情、自然な肉体を保持しているのは、ビントレーに愛されて育ったからだと思う。